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【田中開(OPEN BOOK)が新宿を掘り下げる】Vol.04 外波山文明(『クラクラ』店主)「今も昔も区役所通りを境に、全く異なる文化が根付く街」

歌舞伎町

インタビュー 食べる
ゴールデン街 バー 新宿歌舞伎町MAP 田中開
DATE : 2023.03.02
新宿・ゴールデン街のレモンサワー専門店「OPEN BOOK」の店主・田中開がカウンターを飛び出して、歌舞伎町の人々と対話しながら街の魅力を掘り下げる本連載。第4回のゲストは、ゴールデン街で「クラクラ」という店を営みながら、ゴールデン街の理事も務める外波山文明さん。1960年代後半から新宿に通い始めたという外波山さんから聞く当時の思い出話は興味深いものばかり。歌舞伎町とゴールデン街、そして新宿2丁目という異なる文化を有する新宿の懐の深さを再確認する回となった。

田中開(以下、田中):外波山さんは、歌舞伎町で飲むことはあるんですか?

外波山文明(以下、外波山):行かないわけでもないんだけど、まあ飲み食いしようにも今は僕らが行くような飲み屋がそんなにないし、知らないんだよね。昔は区役所の並びに「小茶」という店があってよく行ってました。

田中:「小茶」、聞いたことあります!

外波山:僕はゴールデン街で飲み始める前に、その店で飲み出したんですね。ここは珍しくゴールデン街と人間関係が地続きな店で、そのうち「小茶」で飲んでからゴールデン街に行ったり、ゴールデン街で飲んでいておなかが空いたら「小茶」に行って、煮しめや刺身、でかいおにぎりなんてのを食べて、朝まで飲んで……ということをやっていましたね。

「OPEN BOOK」を開ける際に外波山さんに挨拶をしに行ったという田中さん。

田中:それは、いつ頃のお話ですか。

外波山:僕が1967年に上京してきて、その頃かな。1968年が新宿騒乱、69年には新宿西口で反戦運動「フォークゲリラ」が起きたり、70年安保闘争があったりして、あの頃は新宿通りや靖国通りでしょっちゅうデモが起きている政治の季節でした。その頃から僕は新宿で飲みだして、デモでわっしょいわっしょいやって、警察に追われてゴールデン街に逃げ込んだりね。

田中:ゴールデン街までは警察は追ってこないんですか。

外波山:追ってこないというか、このあたりは入り組んでいるし、店に入ってしまえば「誰が来たかなんて知らない」となると。ただその頃はまだぼったくりなんかもあって、ゴールデン街でもまともに行ける店は限られていましたね。行っていたのは、あなたのおじいさんの、コミさん(田中小実昌さん)もよく行っていた『まえだ』なんかだね。

田中:『まえだ』は、ゴールデン街に長く通っている人からは必ず名前があがる有名店ですよね。その昔このあたりは、路面電車が走っていたと聞きましたが、外波山さんはその時代も知っているんでしょうか。

外波山:都電は1963年に廃止されたので、僕が飲んでいる時代にはもう今の緑道の部分に引き込み線だけある状態。当時は金がなかったから酒屋で適当な酒を買って、枕木に腰掛けてよく飲んでいましたね。

今も舞台に立ち続ける現役の役者である外波山さん。

田中:そんな中、「小茶」にはどうして通っていたんですか。

外波山:当時あのあたりにはいかがわしい店もたくさんあったんだけど、「小茶」は明瞭会計だった。店のおばちゃんが頑張っていてね。ゴールデン街の店が閉まったあとに、朝までやっている「小茶」に流れるというのが、決まりの流れだった。

田中:「小茶」は希有な店かもしれないけれど、その当時から歌舞伎町とゴールデン街には趣の違いがあったんですね。

外波山:ゴールデン街はもともと闇市が閉鎖になってそこから流れてきた人達が作った場所で、いわゆる“青線”地帯でね。歌舞伎町の方はそうじゃなくって、当時はキャバレーやショーパブ、トリスバーが主流だった。あとは商店街もあったと聞きますね。

新宿の古い記事を前に話が弾む2人。

田中:新宿の街を撮っている、“流しの写真家”と呼ばれる渡辺克己さんの写真集を見ると、本当にありとあらゆる業態がひしめいていたようですね。

外波山:そうだね。その当時は、色々な店がありましたね。これは歌舞伎町じゃなくて新宿二丁目の話になるけれど、ヌードクラブっていうのがあってね。入ると女性が立っていて、客は店のカメラやスケッチブックを渡される。でもカメラにはフィルムが入っていないんだよね。警察が来た時には、裸になった女性を写生しているって風情にしてさ。

田中:ダブルミーニングですね。でも当然、風営法の在り方は変わりましたけれど、話を聞いていると不思議なもので、それぞれの街の風情は大きくは変わらないような気がします。上京してきた頃の外波山さんにとって、新宿はどういうイメージだったんですか。

外波山:怖い場所だな、とは思っていたけれど、当時新宿・花園神社が野外劇の聖地だったから、よく足を運ぶようになったんです。かつては伊勢丹の明治通り沿いの向かいに、アートシアター新宿文化という劇場があり昼間映画を上映し終わった後は、舞台装置を入れて夜9時30分からは芝居をやっていました。で、そこから飲みに行ったり、アンダーグラウンド作品のオールナイト上映をやっている映画館をハシゴしたりして、朝まで新宿で過ごすことが多かったですね。政治の季節が下火になり、それぞれ挫折感のようなものを抱えながらも、芝居はその頃から面白くなっていきました。

「クラクラ」があるのは新宿ゴールデン街のG2通りだ。

田中:その頃から外波山さんは芝居をやりながら、ゴールデン街にも密接に関わっていくようになるんですね。

外波山:そうだね。それが今となっては、ゴールデン街の理事なんていうのをやっていますけれども、今は区と、地主組合、僕らが一緒になって「新宿ゴールデン街まちづくり協議会」を立ち上げて活動しています。ゴールデン街は、今の法律からすると違法建築で、一度壊したら同じような建物は建てられない。一度壊すと街全体がめちゃくちゃになってしまうから、「みんなで考えていきましょう」という会ですね。

田中:今後の街づくりという視点で考えたときに、歌舞伎町とゴールデン街の文化が交わっていく可能性はあるんですか。

外波山:うーん、どうですかね。今のゴールデン街は昭和の風情を残しているから、なるべく今のままで残したいというのが僕らの思いではあります。

田中:新しくなる部分があっても、ハリボテのようにはなってほしくないですね。

外波山:そうそう。だから、僕らは街で看板の規制もやっているんですよ。海外からのお客さんが多くなって、わかりやすい「TOKYO」のイメージでネオン看板を立てたがるようなところもあって、そういうのは遠慮してもらっているの。外からやって来た人からすると、歌舞伎町の店よりもゴールデン街の店の方が敷居が高いという人もいるけれど、酒が好きであれば居心地の良い街だと思いますよ。

夜になると人が肩を寄せて酒を飲む「クラクラ」のカウンター。

田中:心底「酒が好き」で通う人が多いですからね。

外波山:そう、僕が「酒は文化」だと思っているのは、酒を通じて人と話すことで生まれてきたものを知っているから。ここ「クラクラ」は映画関係者や芝居関係者が多いけれど、よくここで出会って話がまとまった、なんてことを聞きますよ。飲み屋はそうやって人が交差する交差点。お客同士で仲良くなって、ここからまた出かけて飲みに行くなんて光景もしょっちゅうです。

田中:そう考えると歌舞伎町も、酒を通して人が交わる場所ではあるんだけれど、共通言語が違うのかもしれないですね。時代が変わっても、区役所通りに川が流れているかのように歌舞伎町とゴールデン街には異なる文化があるのは面白い。それも、新宿の懐の深さなのかな。

外波山文明

新宿ゴールデン街「クラクラ」(東京都新宿区歌舞伎町1-1-9 G2通り)オーナー。 劇団椿組主宰し、自ら舞台に立つ役者でありプロデューサー。長野県木曽郡生まれ。街頭劇、野外劇を経て1971年「はみだし劇場」を旗揚げ。 1986 年、新宿花園神社にて立松和平作「南部義民伝」野外劇を始める。映画・テレビドラマ・アニメ声優等多方面で活躍。新宿ゴールデン街商店街振興組合の理事長も務める。

田中開

新宿ゴールデン街「OPEN BOOK」(東京都新宿区歌舞伎町1-1-6 ゴールデン街五番街)店主。1991年、ドイツで生まれ、東京で育つ。早稲田大学基幹理工学部卒。新宿ゴールデン街にレモンサワー専門のバー「OPEN BOOK」、新宿一丁目に「OPEN BOOK 破」、日本橋のホテルK5内に「Bar Ao」を経営。直木賞受賞作家の田中小実昌を祖父に持つ。2022年には初の著書『酔っ払いは二度お会計する』(産業編集センター)を刊行。

写真:工藤瑠入

文:平井莉生(FIUME Inc.)

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