鈴木涼美(以下、鈴木):先日もこの連載の第2回に登場した(手塚)マキさんと、“水商売枠”からなかなか抜け出せない自分たちと(田中)開さんを比べて、「田中開はどうして文化人枠なのか」と悪口を言っていたところなんですよ(笑)。
田中開(以下、田中):僕の悪口で盛り上がっていたんですね……でもそれ、マキさんにも直接言われました(笑)。そのこと自体の良し悪しは関係なく、涼美さんとマキさんは歌舞伎町のイメージがやはり強いですよね。
鈴木:マキさんのことは、未だにホストみたいだなと思っています(笑)。歌舞伎町とゴールデン街の違いでしょうか。歌舞伎町も時代によって違って、2003年から2005年に行われた「歌舞伎町浄化作戦」の前と後、また新大久保が隆盛する前と後でも街は変化しているのですが……。
田中:僕自身は「歌舞伎町浄化作戦」の前のこの街については実感がないんですよね。涼美さんは、いつから歌舞伎町で遊んでいるんですか?
鈴木:私も90年代は、コマ劇場前の映画館や新宿アルタに来るくらいでした。そのときは夜の街についてはあまり知らなくて、『不夜城』(馳星周による小説。1998年には、リー・チーガイ監督によって映画化された)のイメージがあったくらいでしたね。2002年に大学に入学して横浜のキャバクラで働き始め、実際に歌舞伎町を訪れるようになったのは2005年頃かな。ゴールデン街が主戦場の開さんが歌舞伎町に来るのは、どういうときですか?
田中:僕は純粋に歌舞伎町に好きなお店があるからですね。「うな鐵」とか「三日月」とか……。涼美さんは遊び場としてだけでなく、仕事場や住む場所としても歌舞伎町との付き合いがありますよね。
鈴木:そうですね、セクシー女優をやっていたときも撮影の待ち合わせはだいたい新宿でした。学生時代に歌舞伎町に住み、新聞社に入社してからは離れていましたが、会社を辞めたときに歌舞伎町・税務署通りに戻ってきました。夜に生きる人々について書く物書きとして、さすがに5年前に吸った空気だけで書き続けるのは良くないなと。実際にその場に身を置いたほうが筆が進むんじゃないかと考えたんです。あとは現実問題として、飲食店でもネイルサロンでも何でも、夜中まで営業している店が多いのが、単純に昼夜逆転した物書きである自分の生活スタイルに合っていました。
田中:新聞社にお勤めのときは、どこに住んでいたのですか?
鈴木:月島のファミリーマンションに住んでいました。歌舞伎町と比べてそこでは何も起きないし、謎なこともない(笑)。私みたいな人間が、そこまでの平穏の中で暮らして良いものか、と思いましたね。他の街では生きづらい人でも、歌舞伎町は清濁併呑で、何かしらに紛れられる居心地の良さはあるかもしれないですね。やっぱり新宿は、カラフルでおもしろいです。開さんは、「オープンブック 2号店」も新宿にオープンしていますが、新宿でお店をやる理由は?
田中:実際に他の街でも挑戦してみて、新宿以外で店やるのは難しいと知ったんです。この街では、トイレを掃除しているだけでも褒められる(笑)。底上げしてくれます。
ところで、涼美さんがMASH UPの連載で、歌舞伎町を「描かれざる街」と評していたのが印象的でした。表立ってはそう描かれていないけれど、小説『ギフテッド』の舞台は歌舞伎町ですよね。
鈴木:そうですね。有名な歓楽街としてのイメージが支配的過ぎて、「歌舞伎町」という固有名詞はあえて出しませんでした。そこで静かに生きている人々のことを描きたかったからです。エッセイなどでは固有名詞もよく使います。固有名詞が内包するイメージを使うのは便利な一方、強すぎるときもある。特に歌舞伎町は、印象が先行する街ですから。『エンター・ザ・ボイド』(2010年に公開された、ギャスパー・ノエ監督が東京を描いた作品)のように好きな作品もありますが。
田中:おっしゃる通り、ネオンサインがギラギラしたいわゆる歓楽街として描かれることはあっても、市井の人の話はそう多くはないのかもしれません。昔は編集者や作家が多く訪れていたゴールデン街も今では趣が変わってきています。鈴美さんは文壇バーには行きますか?
鈴木:行くとしたら「猫目」くらいかな。同世代の物書きの間では、ゴールデン街で酒に飲まれて締め切り遅れて……みたいなカルチャーはあまりありませんね。良い意味で無頼派ぶらない人ばかりというか、「無頼派がかっこいい」という感覚すらないのだと思います。
田中:文壇バーのような場所にフィジカルに通う意味は、当時は「コミュニティを得られる」ということがあったかもしれないですけれど、そういう必要性がなくなったのかもしれませんね。
鈴木:あとは、無頼派でいられたというのは、ある種の余裕があったということの象徴じゃないですか。締め切りを破るのがデフォルトなのも、出版社にも作家自身にも経済的余裕があった時代だと思うけど、今はそんなこと言っていられないですよね。
田中:タクシー代が経費で落ちなくなってから、深夜のお店が閑散としたという話はよく聞きますね。酒場以外ではどんなところが好きですか?
鈴木:「カフェアヤ」という喫茶店にはよく通っていました。ホスト帰りの女の子が、仕事終わりのホストを待っていたり突然泣き出したりしているのを傍目に原稿を書いていました。その光景を描写するわけじゃないけど、その空気に揉まれているのが好きでしたね。
田中:なんでみんな“ダダ漏れ”な感じで生きているんですかね、歌舞伎町って(笑)。周りが“受け入れてくれる”前提で生きているし、実際に何も言われない。でも話しかけられるわけでもなく、ただ「排除されない」というムードがあるだけ。
鈴木:みんなそれぞれが自分のことに集中している感じはありますよね。今また歌舞伎町のキャバクラやホストクラブに人が集まっていますが、ほかに楽しい場所が減ったからじゃないかと思います。海外旅行に行けない人が、浮いたお金をBTSなど“推し”に使っていたり……。本当に、人を街に連れ出すのが大変な時代になりました。「そこに行かないと吸えない空気」みたいなものに、人々が興味を失っているのではないでしょうか。でも新宿には唯一まだ「そこに行かないと吸えない空気」があるように感じます。私自身、今だに断ち切れない歓楽街への憧れがあるのかもしれません。
鈴木涼美 Suzuki Suzumi
1983年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学在学中にAVデビュー。東京大学大学院修士課程修了後、日本経済新聞社に5年半勤務した。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『オンナの値段』、『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』、『ニッポンのおじさん』、『JJとその時代』『娼婦の本棚』など。近著に『ギフテッド』がある。MASH UPでコラム「歌舞伎町のブンガクに誘われて」を連載中。
田中開 Tanaka Kai
新宿ゴールデン街「The OPEN BOOK」(東京都新宿区歌舞伎町1-1-6 ゴールデン街五番街)店主。1991年、ドイツで生まれ、東京で育つ。早稲田大学基幹理工学部卒。新宿ゴールデン街にレモンサワー専門のバー「OPEN BOOK」、新宿一丁目に「OPEN BOOK 破」、日本橋のホテルK5内に「Bar Ao」を経営。直木賞受賞作家の田中小実昌を祖父に持つ。今年5月初の著書『酔っ払いは二度お会計する』(産業編集センター)を刊行した。
写真:池野詩織
文:平井莉生(FIUME Inc.)