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“金色の街 ー引き止め、呼び戻し、突き放す”│歌舞伎町のブンガクに誘われてVol.4

歌舞伎町

コラム
ゴールデン街 歌舞伎町のブンガクに誘われて 鈴木涼美
DATE : 2022.07.01
かつて歌舞伎町に住み、キャバクラ嬢として働いていた作家の鈴木涼美さん。
街の住人として、お客さんとして、作家として、あらゆる視点でこの街と接してきた鈴木さんが、歌舞伎町に混在するカルチャーを起点に、街へ思いを巡らせる連載コラムです。

第4回は、歌舞伎町の東側に位置する、飲み屋街・ゴールデン街についてです。

金色の街 ー引き止め、呼び戻し、突き放す

新宿三丁目の末廣亭の向かいに満月盧という中華店があって、学部生時代にゼミの納会というと必ずこの店で開かれた。夜はホステス、週末はポルノ女優と生半可な学生だった私も、この文芸評論家の福田和也ゼミがある日は必ず出席して、学期末最終日は仕事を休んで納会まで参加した。湘南にある学部でなぜ新宿の中華店なのかというと、ゼミはサロン的であるべきだとする先生が、期末には自分が懇意にしている編集者を何人もゼミに招待し、学生の書いたコラムや編集した雑誌を論評してもらうというのを習慣にしていたからで、個室を貸切にして開く納会には都心で働く編集者たちのほか、ゼミのOBや時には落語家にも参加してもらう狙いがあるようだった。

参加者が揃って乾杯が終わると先生が学生たちに一つお題を出す。そのお題に答えながら一人ずつ自己紹介をしていくというのがお約束の流れだった。お題は「今まで読んだ中で最も衝撃を受けた雑誌は?」「読んで泣いたことがある小説は?」という、いかにも文学ゼミ的なものから、「人生で最も恥ずかしかったことは?」「大切な人に言われてショックだったことは?」など合コンの大喜利みたいなものまで多様で、若さを持て余した学生たちは、編集者や先生を笑わせたり唸らせたりしようと、自分の番が来るまで頭をぐるぐると回転させていた。出版社志望の学生も多かったため、生身の編集者たちが参加しやすい新宿で飲み会をするのは先生の粋なはからいでもあったと思う。

飲み会が終わると多くの学生は帰り、元気な子たちはカラオケなどに流れ、先生は一部の編集者と連れ立っていつの間にか靖国通りを歌舞伎町の方に渡っていく。当時、歌舞伎町のキャバクラで働いていた私もなんとなく歌舞伎町の方に向かって消えることが多かったので、区役所通りの入り口あたりで再び先生たちと遭遇したこともある。そこから私は歌舞伎町の奥の飲み屋街の方へ、先生たちはゴールデン街の方へ向かったのですぐにまた分かれた。歌舞伎町に勤める私にとってもゴールデン街は少し未知で不可解なところがあり、ゼミの途中で先生が「こないだゴールデン街で」とか「私みたいにゴールデン街なんかで夜中まで飲んでいると」と話している様子から、何やら文化人がぐだぐだと飲み歩いている場所なのだという印象だけあった。

所蔵先:新宿歴史博物館

もともと闇市撤廃で追いやられた人々が流れ着き、飲食店に見せかけたもぐりの売春業が横行した、いわゆる青線地帯であった。売春防止法で青線が消滅した後に「新宿ゴールデン街」の名はついた。闇市に端を発する場所ならではの混沌や退廃には、徐々に整然としていく外の街に馴染まない様々な魚たちが迷い込み、棲んだ。ゲイ、女装家、作家や編集者、ワルモノたち。特に活気のあった70年代には文壇バーが軒を連ね、中上健二、野坂昭如、田中小実昌など作家や映画人、演劇人らに愛された。私が先生の背中越しに見たゴールデン街にはその頃ほどの勢いはなかったのであろうが、それでもそのような人々にとって特別な場所だった。

それにしても、古びた木造長屋に小さな飲み屋がひしめき合う様子に対して、ゴールデン街とはなかなか大胆なネーミングだ。

「黄金製の」「金色の」、また「すばらしい」「最高の」の意ーー。広辞苑でゴールデンを引くとそのように説明される。新明解国語辞典では、「価値が高い。豪華な。」とある。念のためリーダーズ英和辞典でもgoldenを引く。「金色の, やまぶき色の; 金のように輝く; <髪が>ブロンドの/金の, 金製の/金に満ちた, 金を産する.」「最高の, すばらしい; 絶好の<機会>; 前途洋々の; 人気のある; 隆盛を極めた; 生気に満ちた; 豊かでなめらかな, 朗々たる<声>/50回目の, 50周年の.」。

所蔵先:新宿歴史博物館

歌舞伎町の東端、花園神社の手前にあるその小さな区画に、闇市や青線の名残を見る人はもういないだろう。疫病禍前には主に欧米からの観光客が小さな飲み屋から道に溢れるようにビールを飲んでいて、文壇人たちの熱い議論の面影もかなり薄れていた。2000坪ほどの小さな区画に数人で満席となるバーが三百も並んでいる様子は、土地の広い国の出身者からすれば異様な巣窟に見えるのかもしれず、今や英語圏の東京ガイドブックでは浅草や秋葉原を凌ぐほど大きく扱われている。少なくとも表層的にはクリーン化が進む歌舞伎町そのものの説明よりも、中の小さな区画であるゴールデン街の方が大きな写真で紹介されているのだ。外国人観光客の臭覚は侮れない。どこに未開の地が残り、どこが多様な人に開かれているのかを嗅ぎ取る。ゴールデン街は歌舞伎町の中で最も未開の姿を残しているように見えて、最も進化が激しいとも言えるのだ。建物が刷新されるのではなく、客層が大胆に入れ替わっていく。行き場を探す人が迷いこみ、居着くから新たな客たちが街の色を塗り替えていく。コロナ禍のゴールデン街に何度か足を運んだが、欧米からの客がいない代わりに、ウェブメディアの編集者が隣で公開が延期されていた「シン・エヴァンゲリオン」の話をしていたことはあった。

所蔵先:新宿三光商店街振興組合

野坂昭如がこんな風に書いている。

「その雑然たるたたずまい、混沌とした雰囲気故に、新宿ゴールデン街には闇市時代の面影が残るといわれるけれど、これは錯覚である。由緒正しき都市ならば、当然かかえこんでいる悪所でもないし、足踏み入れたとたん身のすくむ裏町とも違う、女子供が深夜一人歩きして、何の危険もなく、また、孤独な青年が迷いこんで、とてつもない美女の情けにめぐり合うことも考えられぬ。」

ゴールデン街の、妖しくありながら妙に明るい雰囲気を言い当てるこの文章を引用した映画があった。今岡信治監督「つぐない〜新宿ゴールデン街の女〜」は、刑務所帰りの女が田舎に帰る途中、かつての恋人を探してゴールデン街のバーを訪れる場面で始まる。恋人は今はそのバーのママのヒモであるらしい。女は元恋人に会うために立ち寄ったこの街をさっさと出ていくつもりだったようだが、行きずりの男に誘われて受け入れ、しばし止まる。バーのママもヒモに見切りをつけて街を出ようと一晩を外で過ごすものの、夜が明けると舞い戻ってくる。

嫌気が差し、街から外へ出るものの、どうしてか愛してもいないはずの街に人は戻ってくる。ある種の歓楽街にはそのような吸引力がある。足を踏み入れ、しばし止まる。立ち去ろうとするものの何かに導かれて再び舞い戻る。街自体は出ていく人を追う様子はなく、突き放しているようにさえ見えるのに、逃げ出したはずのものまで、なぜか帰ってくる。ゴールデン街にしばし踏み留まる人々を描いた映画は、歓楽街が、歌舞伎町が持つそのような吸引力を端的に表している。

野坂はこうも書く。「祭は終った、酔いは醒めた。ぼくはただ、この巷の、建物いっさいが取払われ、二千坪とやらの、空地となった風景をみてみたい、多分、高層ビルが建つのだろうから、基礎工事の穴を深く掘る、その穴をのぞきこんでみたい。」

穴に何か、去った者を中毒のようにさせる媚薬か、あるいは吸い込み口の古びた吸引機か、あるいは混沌としたかつての青線で地面の底まで染み込んだ人の業のようなものが怨念のように誰かの足を引っ張ろうとする様子か、そういう奇怪な仕組みを見ようとしたのだろうか。奇しくも二千坪の土地はコロナ禍を経て今もなお、飲み屋が軒を連ね、更地にはなっていない。

鈴木涼美

作家。慶應義塾大学環境情報学部在学中にAVデビュー。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了後、日本経済新聞社へ入社。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎文庫)、『オンナの値段』(講談社)、『女がそんなことで喜ぶと思うなよ〜愚男愚女愛憎世間今昔絵巻〜』(集英社ノンフィクション)、『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)、『ニッポンのおじさん』(KADOKAWA)、最新作に『娼婦の本棚』(中公新書)など

text:鈴木涼美
illustration:フクザワ
※写真は新宿三光商店街振興組合の許諾を得て使用しています。

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