街の住人として、お客さんとして、作家として、あらゆる視点でこの街と接してきた鈴木さんが、歌舞伎町に混在するカルチャーを起点に、街へ思いを巡らせる連載コラムです。
第2回は、歌舞伎町の広場について。この街にとってどんな存在なのか語っていただきました。
Vol.02 広場のある街 ー二つの非現実と街の緩み
「仕事終わった?そしたらコマ劇前で一回落ち合おうよ」
歌舞伎町の飲み屋で働いていた頃、そんな電話を何回しただろうか。区役所通りにある店で働いていた頃、なんとなく私は昼でも夜中でもコマ劇前の広場を集合地点にすることが多かった。今だったらせめて深夜営業の喫茶店や飲み屋の中で待ち合わせるだろうが、若い頃は待ち合わせのためだけに払うコーヒー代が惜しかった。それに、夜中にはド派手な女装の男たちが店のビラを持っていたり、新歓コンパか何かで若い男女が酔い潰れていたりと多様な光景が見られるし、昼は昼で、ヴィジュアル系のコスプレをした集団が通り過ぎたり、女の子がぬいぐるみに話しかけていたり、映画館から出た不倫カップルがホテル街の方へ消えていったりするので、見ていて飽きない。2000年前後はまだ今より周辺の治安は不安定だったし、広場自体に特別なエンターテインメントや目的があるわけではなかったが、だからこそ、他の場所に収まりきらない営みを包摂する「街の緩み」のような機能を持っていた。高度に発展した利便性の高い都市にはそのような緩みがあまりに少ない。

コマ劇とはかつて存在した東宝の新宿コマ劇場の略で、数多のミュージカルやバレエが上演されたほか、美空ひばりや北島三郎らが公演を開く「演歌の殿堂」としても名を馳せた。橋口敏男『新宿の迷宮を歩く』によれば、コマ劇の「コマ」とはコマのように回りながらせり上がる円形劇場の仕掛けに由来し、開業の際には周辺住民におもちゃのコマが配られたらしい。
あまり知られていないが、1958年に放送された第9回NHK紅白歌合戦は、コマ劇で開催された。現在まで続く年末の風物詩は放送開始直後から大変な人気ではあったものの、当時はその裏でも生中継の番組が多く放送されていた。掛け持ちをするタレントがタクシーで他の会場とコマ劇を飛び交う様は、「神風タレント」なんて呼ばれた。当時の大スターであったフランキー堺に至っては、白バイ先導で劇場に駆けつけたとNHKのヒストリーに記録されている。歌舞伎劇場の誘致を狙った地名の、叶うことのなかった本丸の代わりに、昭和の新しい大衆文化を芽吹かせる歌舞伎町独自の拠点として機能したのがコマ劇だった。
そんな劇場の正面の、私たちがコマ劇前と呼んでいた広場は、いつの間にか少し整備され、2007年には新宿区によってシネシティ広場という正式名称が付けられた。全編クイーンの楽曲で編成されたミュージカル「We Will Rock You」のコマ劇公演が終わり、ド派手な看板が外された少し後のことだ。その後コマ劇は、施設の老朽化などを理由に52年の歴史に幕を降ろしたのだが、お役所のつけた名前というのは往々にしてなかなか定着しないもので、劇場自体の解体が始まっても、長らく私や私の友人はコマ劇前と呼び続けていた。ちなみに90年代前半までは中央に噴水池があったため、少し歳上のおねえさんたちの中には、噴水広場と呼んでいる人もいた。その頃の正式名称はヤングスポット。早慶戦の後に、早稲田の学生が池に飛び込んではしゃぐのがお約束となっていたが、そのような行為が多発したことで、噴水池は埋め立てられた。調べてみると70年代初めまではレインボーガーデンという名称があったらしく、噴水に七色のライトが当たる、今より随分華やかな演出があったらしい。

いまいち使用はされていないものの、シネシティとはそれなりに体を表す名称だ。広場は、コマ劇だけでなく、新宿ジョイシネマ、ミラノ座、新宿オデヲン座など映画館に四方を囲まれていた。その名前が付けられた後、コマ劇閉館に続いて09年から14年に周囲の映画館も相次いで閉業したのはちょっとした皮肉だが、2015年には12スクリーンの映画館を要する新宿東宝ビルが開業。シネシティ広場の名前は再び由縁あるものとなり、12メートル大のゴジラの頭が覗くビルの外見から、今度はゴジラビル前なんていう通称もできた。2017年には広場の奥に、期間限定のVR体験施設が開かれ、新しい映像との出会いも演出された。

最近、その広場が稀にニュース番組などで映されていたことがあった。昨年5月に広場に隣接するホテルであった10代男女2人の飛び降り事件、あるいは11月に近隣ビルの屋上で男性が暴行を受け死亡した事件で、当事者たちが「トー横キッズ」と報道されたからだ。トー横は東宝ビルの横、という意味で、同ビル周辺に集まる特定の若者たちの呼称としてメディアが好んで使っている。佐々木チワワ『「ぴえん」という病』は、SNSで自撮り写真をアップする若者たちが、オフラインの交流の場として東宝ビルの横や広場を利用し、お金がないために路上で飲む彼らを周囲の人々が揶揄したのが「キッズ」の名称の起源であると指摘するが、確かにここ2〜3年、ビル周辺で、同じドン・キホーテのTシャツを着た若者が大人数で当て所なく居る姿はしばしば見かける。
神風タレント、噴水池の早大生、映画館の集積、コマ劇前の待ち合わせ、ゴジラとVRの登場、SNSで繋がったキッズ、そして来年には映画館やライブホールが入居する高層ビルが新宿TOKYU MILANO(ミラノ座)跡地に開業する。この広場は常に、ミュージカル、演歌、映画などのフィクションと、若者たちのノンフィクションが交互に立ち現れる場所だった。双方に言えるのは、会社や学校といった、大人の用意する現実からはみ出した存在である点だ。二つの意味で合理的な現実に収まらない過剰を引き受けるそこは、噴水を埋め立てても、街の浄化を進めても、何かしらの話題を生んできた。その緩みを持ち続けることは、歓楽街の華やかなネオンとはまた別の、歌舞伎町の豊かさだ。
鈴木涼美
作家。慶應義塾大学環境情報学部在学中にAVデビュー。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了後、日本経済新聞社へ入社。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎文庫)、『オンナの値段』(講談社)、『女がそんなことで喜ぶと思うなよ〜愚男愚女愛憎世間今昔絵巻〜』(集英社ノンフィクション)、『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)、『ニッポンのおじさん』(KADOKAWA)、最新作に『娼婦の本棚』(中公新書)など
text:鈴木涼美
illustration:フクザワ
photo:Captain&Me