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新宿センチメンタル——ソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション』上映に寄せて

歌舞伎町

コラム 観る
映画 映画館 東急歌舞伎町タワー
DATE : 2024.06.19
ソフィア・コッポラ監督の代表作である『ロスト・イン・トランスレーション』と『ヴァ―ジン・スーサイズ』の2作が、109シネマズプレミアム新宿で2024年6月21日(金)〜6月27日(木)の期間限定で上映される。

そこでこの記事では、新宿も舞台として登場する『ロスト・イン・トランスレーション』にフォーカス。カルチャージン『KAZAK』編集・発行人であり、ソフィア・コッポラを愛してやまないaggiiiiiiiさんに、20年以上の年月を経ても色褪せない本作の魅力について、過去の思い出も交えて綴ってもらった。

アギー aggiiiiiii

ジン『KAZAK』編集・発行人。文章を書いたり似てない似顔絵を描いたり、たまに翻訳も行う。手がけた訳書に『プッシー・ライオットの革命』(DU BOOKS)ほか。『GINZA』(マガジンハウス)でカルチャーコラムを連載中。 

上京して初めて住んだのは、西武新宿線の都立家政というところ。それから東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷に引っ越して、そのあと中央線沿線の住民になった。だから自分にとって一番身近な東京の都会は、ずっと新宿ということになる。 

こっちにやってきたのは、ある雑誌の編集部に職を見つけたからだ。ところが初日から上司に、正確にはどんな言葉だったのか忘れてしまったけれど、この仕事は東京出身の人間でないと不利だと告げられた。街をよく知っていないとダメ。その人自身も地方出身で、経験から生まれた本心だったのかもしれない。だが、地元からほくほく出てきたばかりの身としては、そんなこと言われたって! と出鼻をくじかれるような思いになったのを覚えている。 

だからというわけではないけれど、しばらくして原付のバイクを手に入れたわたしは、よく東京の道を走った。当時付き合っていた人が幡ヶ谷に住んでいたので、新宿方面に出ることも多くあった。アルタ周辺の人の多さが嘘のような、裏新宿とでも呼びたくなるような、ごく静かなエリア。本当かどうかは知らないが海外の有名なデザイナーが地下足袋を買っていったと噂の作業服屋、熊野神社、新宿中央公園。東京には意外と緑が多いことを知った。休日には、パークタワーの向かいの広場で楽器を吹いた。真夜中に都庁の前を通った時は、漫画『AKIRA』の世界だと息を呑んだ。 

思い出してもいまだにハッとするのは、家から青梅街道をひたすら東に直進し、環七も山手通りも越えて中野坂上から西新宿の駅前をひと息に走り抜け、ガソリンまみれの風を顔いっぱいに受けながらJR高架下の新宿大ガードをくぐったところに現れる、ド派手なネオン街だ。トンネルを抜けるとそこは、歌舞伎町の入り口だった。

『ロスト・イン・トランスレーション』でビル・マーレイが演じる落ち目の俳優ボブ・ハリスも、物語の冒頭、車中からこのネオン街を眺めるシーンがある。いましがた成田に到着したばかりの、時差ぼけの瞳さえ見開かれるような原色の洪水。同じネオン街でも、ニューヨークのタイムズ・スクエアともロンドンのピカデリー・サーカスとも様子が違うのは、ここへ集まっているのがパチンコ、金貸し、脱毛、激安の殿堂といった人間の生々しい欲望をさらけ出すものばかりだからかもしれない。書かれた文字は理解できないとしても、この圧の強いグラフィカルな光景に挟まれたウイスキーの広告に出演している自分の姿を、ハリスは信じられない気持ちで見つめている。 

映画のおもな舞台になったホテル、パーク ハイアット 東京には、そのうち撮影の仕事で訪れる機会があった。前述のように周辺ではよく遊んでいたのだけれど、中に入るのは初めてのことだ。パークタワーの高層エレベーターに乗って41階にあるロビーへ到着すると、天井は高く、たっぷりの日差しがまぶしく、室内だというのに木々が生い茂っていて、なんだか桃源郷のようだと思った。部屋代はもう支払っているから、仕事が終わったら友達を呼んで泊まってもいいよと言われていたのに、なぜそうしなかったのか理由を思い出せない! 

もうひとりの主人公であるスカーレット・ヨハンソンが演じるシャーロットは、売れっ子写真家の夫の日本出張にくっついてきた、大学を卒業したばかりの若者である。海外の仕事先にパートナーを連れてくる文化っていいなあ、と自分などは羨ましく思うけれど、当の本人は夫が不在の時間を持て余して、ホテルの部屋でひとり退屈しきっている。はけ口のない感情を溜め込んだような彼女はモラトリアムの真っ最中で、自分がこれからどのようにして生きていきたいのか、まだ答えを見い出せていない。 

監督・脚本を手がけたソフィア・コッポラは「これはわたしのとてもパーソナルな物語なんです」と、ビル・マーレイに宛てた、出演を依頼する手紙に書いた。そう、すでに周知のとおり、これはコッポラの半自伝的な映画である。彼女は二十代の頃、よくカリフォルニアから東京にやって来ていた。時代で言うと90年代だ。理由のひとつに、まだ今ほどは注目されていなかった彼女の才能をいち早く認め、写真家として起用していた林文浩という日本の雑誌編集者の存在があった。映画でも周囲から愛情を込めて”チャーリー”と実際のニックネームで呼ばれていた、あの人だ。 

個人的には『ロスト・イン・トランスレーション』といえば、林をはじめ、藤原ヒロシやヒロミックスといった業界の有名人がこぞって登場するナイト・アウトのシーンの印象が強い。当時をよく知る写真家の鈴木親によると、コッポラにそういった東京のアンダーグラウンド・カルチャーを教えたのも林だったそうだ。彼に連れられて遊びに行った場所が、そのまま映画のロケ地になったという。 

この映画を観て、センスのよいローカル・ピープルの案内があってこその、リアルな東京の過ごしかたに魅力を感じた外国人は多いだろう。清貧さと猥雑さ。礼儀正しさとエキセントリックさ。モードの最先端を行く新宿伊勢丹と、道を一本挟んだだけのところにある酉の市で有名な花園神社。東京には相反する魅力が不思議と共存している。そうした両面を外からの視点でごくナチュラルに描いたのは、いまのところコッポラ監督だけではないだろうか。 

と言いつつも、あらためて本作を観なおしてみると、にぎやかなシーンはじつはそれほど大きなウェイトを占めていないことに気がついた。最初から最後まで映っているのは、異国でただただ孤独なふたりの人間である。 

わたしはこの原稿を書くにあたって、シャーロットの足取りをたどってみようと思った。パークハイアットから、ラストシーンが撮影された西口のヨドバシカメラがある路地まで歩いてみることにしたのだ。彼女はあの日、いったいどんな気持ちで、どの道を通ったのだろう? 行ったところでわかるわけはないけれど、こういうのは実際に行動してみるのが大事なのだ。

ひとまず到着してみるとパーク ハイアット 東京はなんと休業中で、ひさしぶりに前を通りかかった例の広場はフットサル場になっていた。あいかわらずこのあたりには人が少ないと感じる。そうやって懐かしい場所を歩いていると、昔の日々が思い出されてきた。あの後しばらくして、わたしは仕事がうまくいかなくなり、恋人とも別れ、バイクは盗まれたのだった。わたしこそ、長い長いモラトリアムの渦中にいた。都庁の下は悲しみの吹きだまりなので、自然と早足になる。

だいたいでいうとシャーロットぐらいの年齢だった当時の自分と、現在の自分が、頭の中でぐるぐる交差し始める。「年をとれば楽になる?」かつてのわたしがシャーロットのように尋ねる。「そうだね。楽になるよ」現在のわたしがハリスのように答える。「ほんと? 今のあなたはちがうみたい」——やばい、こんなにエモい散歩になるなんて思ってもいなかったのに。 

路地を抜けて京王百貨店の前まで出ると、見たことのない景色になっていた。ぽっかりと抜けた広い空間で、大がかりな工事が始まっている。何かがなくなったのだということはわかるけれど、なくなったものが何なのかはわからない。わたしはあれから二十年経っても、東京の街をまだよく知らないままだ。 

文・イラストaggiiiiiii 

上映期間:2024年6月21日(金)~6月27日(木)の1週間限定 
上映館:109シネマズプレミアム新宿 

『ロスト・イン・トランスレーション』

監督:ソフィア・コッポラ 
出演:ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ジョヴァンニ・リビシ、アンナ・ファリス、マシュー南 
©2003 LOST IN TRANSLATION INC. 

上映期間:2024年6月21日(金)~6月27日(木)の1週間限定 
上映館:109シネマズプレミアム新宿 

『ヴァージン・スーサイズ』  

監督:ソフィア・コッポラ  
出演:キルスティン・ダンスト、キャスリーン・ターナー、ジェームズ・ウッズ、ジョシュ・ハートネット、ハンナ・ホール 
©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures. All Rights Reserved.

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