新・歌舞伎町ガイド

エリア

FOLLOW US:

“住む人の街ー 生活の自由”│歌舞伎町のブンガクに誘われてVol.7

歌舞伎町

コラム
歌舞伎町のブンガクに誘われて 鈴木涼美
DATE : 2022.10.07
かつて歌舞伎町に住み、キャバクラ嬢として働いていた作家の鈴木涼美さん。
街の住人として、お客さんとして、作家として、あらゆる視点でこの街と接してきた鈴木さんが、歌舞伎町に混在するカルチャーを起点に、街へ思いを巡らせる連載コラムです。

第7回のテーマは“住む”です。歌舞伎町にある住居には、どんな人が暮らしているのでしょうか?

Vol.07 住む人の街ー 生活の自由

風林会館一階のカフェレストラン・パリジェンヌで短い打ち合わせをした後、職安通りのアジアスーパーで魚醤などを買ってから東新宿駅で地下鉄に乗ろうと思って区役所通りを北上していたら、スコールがなくなっていて驚いた。良く見れば経営母体が変わったわけではなく、なんだか良くわからないけどパセラの上位ブランドのカラオケ店に生まれ変わったようだ。キャバクラの勤務時間が終わった深夜にも営業していたグリル系のレストランスコールと併設のスコールカフェは、お金のない時代に食べ放題のカレー目当てにサラダバーだけオーダーして何時間も居座ったり、カフェでホスト帰りのお姉さんたちと待ち合わせをしたりする、程よい溜まり場だった。

レストランが空いている時にはぐるっと半円のソファが囲む広いテーブル席を陣取って、当時の悪友のマオちゃんなんかと深夜の2時過ぎに「どっか面白いとこ行きたいよね」「なんか面白いとこある?」と話し始め、結局空が白け出すまで何時間も「別にホストもつまんないしね」「クラブ行く元気ないな」「誰か呼ぶ?」と話し続け、手持ち無沙汰で直し続けた化粧が無駄に濃くなっただけで、「疲れたし帰ろっか」と言って二丁目と北新宿の方にそれぞれ重い身体を持ち帰った。そんな日が週に何度もあった。

その頃には気づかなかったが、スコールの上は結構しっかりした家賃の高いマンションになっていて、そこには歌舞伎町の本来的な意味での住民がびっしり住んでいる。それを何で知ったかというと、5年ほど前に知り合いのバーで飲んでいた時に、そこの店長の元同僚のホストが、「昨日、女と揉めてたら、その女がマンションの窓から飛び降りようとして必死で引っ張ったせいで肩が脱臼気味」だという話をしていて、聞けばその女が飛び降りようとしたマンションがスコールの上層階だったのだ。だとすれば前日の深夜、区役所通りの地表から五階分上層の空に、窓から半身乗り出した女と、それを引っ張る男の姿があったわけで、ほんまかいなとも思うけど、何か楽しい出来事の前後に区役所通りを早足で歩く人々はきっとそんな姿には気づかない。現に、歌舞伎町のすぐそばに住んでいたことも、歌舞伎町の中で働いていたこともある私だって、そこにマンションがあることすらその時まで知らなかったのだ。

こんなとこ住む人いるんだという場所は色々とあって、街があればそこに住む人がいる。私自身が若い頃、割とそういうところに住みがちだった。そもそも私の実家は鎌倉の神社仏閣の合間を縫うようにたどり着く山中にある上に、ギョッとするほど鬱蒼とした林道を入っていくので、こんなところに人が住んでるんだ感は結構強い。新橋の烏森口の近く、つまりチェーン居酒屋とファストフードと定食屋ばかり並んでいるおじさん臭い通りにも住んでいたことがあるし、西麻布の権八の真裏にも住んでいた。どの街も、訪れる人も働く人もいれば、住む人もいる。訪れる理由と住む理由は必ずしも一致しないし、訪れる人にとってのその街と住む人にとってのその街は結構違った顔をしていることもある。私は大仏の中に入ったことがなく、交通事情を除くと新橋に特に用事はなかった。

はたして歌舞伎町にも、東新宿から新大久保、西新宿の北端と北新宿、明治通りを渡って抜弁天(ぬけべんてん)のあたりまでの周縁も含めれば、実に多くの人が住まう。もちろんそこで生まれる者もいれば、地方から出てきてたまたま借りた家がそこだったという人もいるけれど、多くの歌舞伎町住民は、新橋と私よりはもう少し濃密に街に用事のある場合が多い。歌舞伎町で働くホストたちの多くは売上を立てて寮を出てもそのまま付近に留まるし、バーの店員やスカウトマン、送りの車両が用意されるキャバクラ嬢すら案外近所に住んでいる。歌舞伎町に拠点のある風俗店では、近くに住む嬢たちをわざわざ待機所に集めず自宅で待機させる。西日本などから出稼ぎに来る女性たちは近辺のマンションやホテルを探さずとも、歌舞伎町の中央のラブホテルを仮住まいとしていたりするし、吉原や川崎の堀之内に勤める泡姫たちも、遊び場が歌舞伎町であれば仕事場の近くではなく歌舞伎町の近くに自宅を構えていたりする。一日三本映画を観てゴールデン街で飲むという週末を10年続けていたかつての会社の先輩も、歌舞伎町を出てすぐの明治通りの脇道に住んでいた。

新橋の民というとガード下の飲み屋やホルモン焼きなどで飲み歩いているサラリーマンなどを想像し、彼らのほとんどが新橋住民ではなく高島平とか西葛西とか好き放題な方向からやってくる。実際の新橋住民はかつての私のように、大して新橋チックではない。これに対して歌舞伎町では実際の住民たちが実に歌舞伎町に相応しい姿をしていることが多い。そしてそれは街に生まれたりたまたま住んだりするとその色に染まっていくという一般的な“街の色”ではなく、まずは訪れ、やがて深く街に関わり出すと、自ずと本来的な意味での住民になるという、街の求心力の強さを物語っているのだと思う。

まず何より、あらゆる時間に活動する人がいるこの街は、国が想定するような時間帯から少しズレて暮らしている人にとても便利なのだ。スコールで四時まで話していても表にはタクシーが列を作っていて、歓楽街なのに銀座や六本木に比べてコンビニが多く、ネイルサロンも美容院もクリニックまで街の外では営業時間外の深夜に門戸を開いている。24時間営業のファミレスが日本から姿を消しつつある昨今、生活時間が何か大きな力によって規定されているような窮屈さを感じることがある。自然の光と暗闇に身を任せる生活にも私は魅力を感じるけど、現代の都会でみんながあらゆる事情とともに生き方を決める中、歌舞伎町は平均値からズレていく者に優しい。時間の自由、生活の自由が住む者それぞれに委ねられているのだ。北新宿から住宅街に引っ越した時、どことなく感じた疎外感は、夜型で自由に生きたい私はこの街が理想とする生活をしていないのだなという気分だった。

加えて、歌舞伎町を訪れ、その魅力の虜となった者は街を訪れる頻度が増え、やがてもっと深く街と関わりたいと思うようになるのかもしれないとも思う。歌舞伎町に集う仲間がいると、そこからたとえば目黒区の閑静な住宅地に帰っていく気になかなかならない。ズッポリと肩までこの街の空気に一度浸かってみたくなる。それはもしかしたら、実態のない世間の理想からはみ出した者たちの、自由と受容への欲望が刺激されるからではないかと、職安通り手前のコンビニで冷凍たこ焼きを四パックも買って出ていく派手髪の女子を見て思った。

鈴木涼美

作家。慶應義塾大学環境情報学部在学中にAVデビュー。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了後、日本経済新聞社へ入社。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎文庫)、『オンナの値段』(講談社)、『女がそんなことで喜ぶと思うなよ〜愚男愚女愛憎世間今昔絵巻〜』(集英社ノンフィクション)、『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(講談社)、『ニッポンのおじさん』(KADOKAWA)、『娼婦の本棚』(中公新書)、最新作に、初小説作品で芥川賞候補作となった『ギフテッド』(文藝春秋)など

text:鈴木涼美
illustration:フクザワ
photo:MASHUP編集部

こんな記事もおすすめ