孤独のグルメにも登場。市場で70年以上続く「伊勢屋食堂」
市場関係者だけではなく、一般人も気軽に立ち寄れることから、淀橋市場でもっとも知名度があるのは「伊勢屋食堂」だろう。淀橋市場の南門から入ったところにある伊勢屋食堂の創業は1951(昭和26)年。かつては市場内と場外で2店舗あり、のり巻きや赤飯、団子といったメニューが中心だった。その後、現店主の先代にあたる田中久さんが引き継ぐこととなり、徐々に定食類が増えていく。
先代の久さんは山梨から上京し、パン店で働き当時の「伊勢屋食堂」にも商品を卸していたところ、当時の店主から真面目な仕事ぶりを買われて同店を任されることになったという。
その後久さんは、2022年春に引退し、現在は息子夫婦の博さんと由紀さん、そして博さんの姉にあたる尚代さんの3人を中心に食堂を切り盛りしている。
そんな同店をより有名にしたのが、2017年に放送されたドラマ『孤独のグルメ Season6』(テレビ東京)2話目の舞台になったことだ。以降は国内外から“聖地巡礼”を目的に来店するお客も増え、いっそうの賑わいをみせている。また、バラエティ番組などで芸能人が訪れることも多い。
愛され続ける「伊勢屋食堂」のおいしさの秘訣
パン店の従業員から食堂の大将へと転身し、独学で腕を磨いた先代だったが、その味を継承しつつ進化させたのは、現店主の博さんだ。和食や焼鳥店などで腕を磨いた博さんは、料理人の視点からメニューを再構成。残すべき定番の味わいはそのままに、新メニュー開発をして現在のラインナップを完成させた。
甘くなくて個性的。ほかに類をみない名物「豚バラ生姜焼定食」
数あるメニューの中でも名物が「豚バラ生姜焼定食」。こちらは創業当初から提供している「豚バラ焼定食」に、常連さんからの「ニンニクや生姜を入れてほしい」といったリクエストに応じ、改良を重ねてきた。
それだけでなく、博さんが幼いころに食べていた店の余りもので作った豚の生姜焼きをヒントに、試行錯誤を重ねた定食でもある。
味は絶品かつ個性的だ。豚バラ肉は厚めにスライスされた特注品を使用。それを秘伝のスープと醤油で調味し、国産生姜のすりおろしと、青ネギの小口切りをたっぷり入れる。一方、あえて甘い調味料は加えない。そのため、豚肉の身や脂からとけだす甘みと醤油のコクが前に出た濃厚さに、生姜とネギが爽やかさを演出する独自のおいしさが生み出される。
「大人になって、うち以外のお店で生姜焼きを食べたとき、『なんでよそのは甘辛くて、生姜の風味がおとなしいんだろう?』って疑問に思いました。あと、うちは高齢の常連さんも多いので、しっとり柔らかく仕上げるためにスープを使って焼いて煮るんです。つゆだくのタレは、千切りキャベツとの相性も抜群です」(博さん、以下同)
あまたの店で生姜焼きを味わってきた食通のお客も「伊勢屋食堂の味はオンリーワン」と別格扱いしているとか。生姜焼きが好きな人は必食の逸品である。
プロが訪れる市場だからこそ食材選びもこだわりを。食堂で味わうべき一品料理
ここからは、伊勢屋食堂に来たら食べるべき一品料理も紹介しよう。それが、ドラマの放映をきっかけに、日替わりの副菜から通年メニューへ昇格した「トマトの酢漬け」だ。
こちらは、博さんが和食店で修業していた際の献立をヒントにして生み出された。市場ならではの新鮮な完熟トマトを湯むきにし、数種をブレンドした酢に約1日漬けて完成。トマトの甘いコクにまろやかな酸味が加わり、サラダやデザート感覚でも味わえる。
「野菜選びは、産地も鮮度も特に大事。常連さんが野菜のプロですから、適当なものを使っていたら怒られちゃいますし。定食のお新香は基本的に自家製のぬか漬けですけど、もちろんその野菜にも手は抜きません。夏はゴーヤやコリンキー、秋は梨や柿など、旬も意識しています」
博さんのコンセプトは、“毎日食べても飽きないおいしさ”。常連客も多いため、日替わり定食も数種用意されている。その中には海鮮を使った料理もあり、刺身も人気メニューのひとつだ。魚種はその日の仕入れによって変わり、価格も時価となるが、金曜はほぼ必ずマグロが味わえる日となっている。
この日はメバチマグロの赤身。本マグロのトロが提供される日もあり、赤身は漬け丼や山かけといった食べ方で提供することも。なお、ほかにヒラマサや生ガキに銀鮭、そして希少魚のベニテグリ(赤ゴチ)も提供されていた。
「鮮魚も私の代になってから増やしました。ここは青果の市場なので、魚は豊洲や大田市場に強いパイプがある業者から仕入れています。鮮度のよさはもちろん、種類が豊富なのも魅力ですね。刺身は厚切りで提供するのがモットーです。日替わりメニューはInstagramでお知らせしているので、チェックいただけたら」
ランチ帯は混雑することもあるが、8~10時ごろは比較的スムーズ。ゆっくり楽しむなら、この時間がおすすめだ。また朝5時から営業しているので、出社前の朝ごはんという手もあるし、各種デリバリーサービスで味わうこともできる。ぜひともご賞味あれ。
青果の取り扱いは3番目。コンパクトながら東京の食を支える「淀橋市場」
現在、東京都が管轄する中央卸売市場は11カ所。中でも淀橋市場は一大ターミナルの新宿駅から近く、規模は比較的コンパクトである。しかし、青果に関しては大田や豊洲市場に次ぐ3番目の取扱量を誇り、大都会の食を支えているのだ。
日夜、関東をメインに北海道から沖縄、そして海外からも野菜や果物などが届き、青果店やスーパー、飲食店の担当者が旬を求めてここに集まる。各店は新宿、中野、杉並、練馬といった区が中心だが、青梅市や埼玉県といった遠方から訪れる取引先も。
市場の稼働は24時間で、セリは2階で朝7時にスタート。ピークとなる7~8時ごろが1日で最も賑わう時間だ。なお、午前中は見学不可のためセリを見ることはできないうえ、一般客の購入も不可となっている。
ただ、淀橋市場では「のぼり」を製作し、顧客の店先に掲げる取り組みを行っている。月に1回、第3金曜日にある「淀橋市場の日」では、こののぼりが掲げられた青果店で、淀橋市場直送のプロが目利きした食材を買うことができるのだ。
また、都内の市場では「市場まつり」というイベントもあり、淀橋市場の場合2024年は11月17日が開催日。開場時間は8:30~12:00となり、青果物を即売するほか、食育コーナーやイベントコーナーが設置されるなど盛りだくさんの内容だ。先着順で、玉ネギ、ニンジン、ジャガイモをまとめた「カレーセット」を配布する目玉のサービスもあるので、訪れる際はお早めに。
かつての地名が由来。「淀橋市場」の歴史
そんな「伊勢屋食堂」が居を構える淀橋市場の場所は、大久保駅北口から北上して徒歩約6分。JRの中央・総武線のほぼ線路沿いに位置し、車窓からその姿を見た人もいるだろう。正門脇には「市場稲荷神社」があることから、パワースポットとしても知られている。
名称にある「淀橋」は、かつての地名が由来している。新宿区は1947(昭和22)年に、淀橋区、四谷区、牛込区が合併して誕生。有名な「ヨドバシカメラ」や、現在の西新宿高層ビル群が生まれる前に存在した「淀橋浄水場」も、ルーツは同じだ。
淀橋市場の歴史は新宿区の誕生より古く、1939(昭和14)年に開設。1923(大正12)年の関東大震災以降、人口が急増した東京市の周辺区部や郡部の青果物供給拠点として、既設の民設13市場を統合して誕生した。先述した通り現在では「淀橋」とついた地名はないため、今もその名が残る数少ない歴史的な場所でもあるのだ。
「伊勢屋食堂」をメインに淀橋市場の魅力を紹介したが、昭和に生まれたノスタルジックな雰囲気はどこかエモーショナルであたたかい。ここならではの味と世界観を体験してみてはいかがだろうか。
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写真・文:中山秀明