新・歌舞伎町ガイド

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『あなたが思う“GROOVE”』‐ MONDOのレコード5選

歌舞伎町

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レコード 東急歌舞伎町タワー 音楽
DATE : 2024.03.22

「やっぱり僕は新宿と繋がりがあるんだなって、改めて実感します」
“MONDOはじまりの街”である新宿について

─ 一見して作品のジャンルはさまざまでしたが、各楽曲に“ビートの強さ”が共通していて。どこか生命力を感じる、躍動感あふれるセレクトでした。

ここからは、MONDOさんの音楽と歌舞伎町の関係をひもといていきたいと思います。まず、歌舞伎町をひと言で表すと?

「シェルター」ですね。歌舞伎町は“許容してくれる街”だと思っていて。あらゆる人を受け入れる許容量の大きさがある。たくさんの人がやってくる場所であり、逃げ込める場所。彼らにとっては、居場所があるように感じるのかもしれませんね。

─ 改めて、MONDOさんの「新宿・歌舞伎町歴」を教えていただけますか。

振り返ってみると新宿・歌舞伎町は、僕にとってDJの基礎を作った街ですね。

初めてDJをしたのは1996年、新宿二丁目にあった「AUTOMATIX」。映画『時計じかけのオレンジ』みたいなレトロフューチャーな家具と内装で、すごく素敵な面白いハコでした。

それから、当時歌舞伎町にあった「LIQUID ROOM」(現在は渋谷区に移転)でもラウンジDJをするようになって。毎月第一土曜日に開催していた「The Private Party」というゲイナイトで、オープンの22時から朝の5時までロングセットでまわしていました。

─ おひとりで7時間も! それはなかなか大変だったのでは!?

それがね、すっごく楽しかったの! こんなにも自分の音楽を聴いてもらえるんだ、という喜びもありましたし。

The Private Partyって本当にすごかったんです。LIQUID ROOMのエントランスからシネシティ広場まで長蛇の列ができて、入場に1時間、2時間かかるのもザラ、というほどで。

それから97年にはLIQUID ROOMの向かいに「CODE」という大きなハコができたんですが、そこでも立ち上げの頃からレギュラーイベントでDJをやらせてもらって。CODEでは現在の「歌舞伎町祭」の原型となるイベント「CAST」が開催されたのですが、そこにも出演しました。

─ そもそも、どのようなきっかけでDJデビューに至ったのでしょうか。

かつて、新宿二丁目に「Delight」という伝説的なクラブがあったのですが、そこに中村直さんというDJがいて。僕は直さんのプレイが大好きだったんですよ。ハウス・ミュージックに映画のサントラやロックを混ぜるような、トリッキーで自由なところが魅力で。僕も、そのエッセンスを受け継いでいるつもりです。

Delightでクラブ遊びにハマった僕は、毎週末入り浸って「誰よりも楽しんでやる!」という気持ちで踊っていました。そしたらあるとき、直さんが声をかけてくれたんです。「おまえ、音楽すごく好きだよな。なんでもいいから、自分の好きな音楽をテープに録音してもってこい」って。うれしかったな。

─ 実際にどんな音楽を吹き込んでいきましたか?

そのころ僕はイタリア映画のサントラに取り憑かれていて、いわゆる「モンド・ミュージック」と呼ばれるものだったり、あとは幼少期の記憶にある懐かしい音楽がずっと好きで、そういうものだったり。色々とぶち込んで、テープを持っていきました。そしたら直さんはとても喜んでくれて! 「おまえおもしろいな、何者なの? また作ってこいよ」と。

そんなラリーを何回か繰り返しているうちに、「俺がメインDJをやるイベントで、ラウンジDJをしないか」と直さんが僕を指名してくれたのが、DJデビューのきっかけでした。

─ まさにグルーヴを感じる、とても素敵なエピソードです! 新宿には、中村直さんとの出会いからはじまった「MONDO」の歴史が詰まっているのですね。

思い返すとそうなんですよね。普段はあまり意識していないけれど、こうやってお話しているうちに「やっぱり僕は新宿と繋がりがあるんだな」って改めて実感します。実は「MONDO」という名前も新宿で生まれました。LIQUID ROOMのイベントのフライヤーに直さんが僕のプロフィールを載せてくれて、“MONDOの貴公士(プリンス)”って書いてくれてたんですよ。その頃、Princeみたいな紫色の全身シースルーの格好で遊んでいたから。とても気に入ってそれ以来「MONDO」と名乗るようになりました。

だからこそ、自分にとって“記憶”がテーマになりやすい街なのかもしれませんね。

あらゆるものを許容する街だから、歌舞伎町にはどんな音楽も似合う

─ MONDOさんが考える「歌舞伎町の音楽」とは、どんなものだと思いますか。

うーん、なんだろう? この街には、どんな音楽も合いますよね。先ほども「歌舞伎町は許容してくれる街」と表現したけれど、だからこそ演歌もクラシックも合うし、ジャズも合う。

─ 5枚のレコードを選んでいただいたあとで恐縮ですが(笑)、1曲決めるならいかがでしょう?

「この1曲」だけに絞るなら、僕は石野卓球さんの「IN YER MEMORY」です! 『AKIRA』の大友克洋監督が、その数年後の1995年に発表した『MEMORIES』というオムニバスアニメ映画のエンディングテーマ曲なんです。90年代、歌舞伎町のLIQUID ROOMといえば、テクノの時代でもあって。大友監督作品の世界観と卓球さんの音、そして歌舞伎町は、僕のなかですごくリンクしているんだよね。

─ そこかしこで再開発が続く新宿の風景が『AKIRA』と通じる、という声もありますよね。

わかります。新宿の再開発というと、僕の中では90年代、新宿高島屋ができたときのことが強く印象に残っていますね。大きな建物ができて、JRの線路のうえにデッキを架けて、あちら側とこちら側がつながるという。空中に浮かび立体的に交差する街を行き交う人の姿に“未来”を感じたことをよく覚えています。その景色が、かつて映画『AKIRA』で観た東京の姿に重なって見えて。

─ この東急歌舞伎町タワーも、2023年4月にオープンして以来もうすぐ1年になります。初めて訪れたときは、いかがでしたか?

第一印象は「東急さんっぽい建物だなあ」って。その理由は……僕の勝手な印象なんだけれど、エントランスのエスカレーターです(笑)。ほら、表参道や銀座の「東急プラザ」も入口にエスカレーターがあるでしょう?

建物のなかに吸い込まれていくような演出なんでしょうか。でも僕のなかでは、エスカレーターって1970年の大阪万博のイメージがあって、“あの頃の近未来”というか……なんだかちょっと懐かしい気持ちになるモチーフです。

─ ユニークな着眼点ですが、確かにその通りですね! 東急歌舞伎町タワーが登場したことで、街の様子になにか変化は感じますか。

(じっくりと考えて)正直にいうと、「わからない」かな。僕が見ているのは歌舞伎町のひとつの側面でしかないから、この街の変化を大きなくくりで語ることは難しいです。

ただ、ハードを作る人とソフトを作る人、それぞれ得意な人がいますよね。東急歌舞伎町タワーという素敵なハコができた。この“ハード”を活用して、“ソフト”の面でもいろんな人たちを取り込んでいくところをぜひ見てみたいです。

僕が毎年関わっている「歌舞伎超祭」も、年々クオリティが上がっていますし。東急歌舞伎町タワーでも、もっともっと面白い試みを期待しています!

─ 5年後、10年後の新宿・歌舞伎町がどんなふうになっているか楽しみですね。では最後に、ずばりMONDOさんの考える“GROOVE”とは?

“心踊るもの”です。音楽が周囲を巻き込んで回転していくような、どんどん加速していくような感覚。それがグルーヴだと考えています。ひとりであがっていくグルーヴもあれば、仲間と一緒になってあがっていくグルーヴもありますよね。その結果、さらに自分のなかからリズムが生まれてくる。

─ グルーヴがお互いに影響し合って、“共振”するというか。

そう! 素晴らしい言葉をありがとうございます。“共振”は自分のなかでもひとつのテーマかもしれません。たとえば歌舞伎超祭でDJをしていると、屋外のシネシティ広場で、あれだけの規模で、どこまで音楽を響かせられるのかが課題になるんですよね。それは単に音のボリュームの問題ではなくて、“心で感じて響くもの”をいかに広げられるか、ということ。それが“共振”であり“GROOVE”だと、僕も思っています。

文:徳永留依子
写真:玉井俊行

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