新・歌舞伎町ガイド

エリア

FOLLOW US:

【Story】Vol.11 「私の呼吸に終わりがあること」テラシマユウカ

歌舞伎町

コラム
アイドル
DATE : 2020.08.28
毎日多くの人が行き交う街、歌舞伎町。
あなたはこの街に、どんな思いを抱いていますか?

毎月更新のこのコラムでは、歌舞伎町になじみのある人物に街への愛を語ってもらいます。

第11回目は、WACK所属の「GANG PARADE」から分裂して生まれた新たなアイドル・グループ「PARADISES」のメンバーとして活躍する、テラシマユウカさん。

アイドルとしてひたむきに走り続けてきたテラシマさんが、歌舞伎町で過ごした、かけがえのない時間とは?

憂鬱な夏に溺れて

死のうと思っていた、あの夜までは。

まだ何も知らなかった2016年の夏。

結成から約3年半にわたりアイドルの常識を覆し続け、異端児として音楽シーンに大きな爪痕を残し2014年に解散したアイドルグループ、BiS。

その解散から2年、ある夏の日。

BiSが新たにメンバーを募集し、再始動すると発表があった。

将来薬剤師になるべく受験勉強に追われアイドルとは無縁だった私は、気づけば3泊4日のオーディション合宿に参加していた。

結果は、不合格。

だが、不合格となった者を集めBiSの公式ライバルグループSiSが結成された。

マイナスからのスタートながらも一筋の希望の光が差し込んできたかと思いきや、プロデューサーの背任行為によりお披露目ライブ直後にたった1日で解散。大阪から上京したばかりだった私は絶望に暮れていた。

夏のうちに失踪してしまおうと、秋の寂しさを感じるのが怖くて「死」が脳裏をよぎった。

これまでの人生、
生きている心地を感じた事が無かった。

何もしなくとも、
一生懸命に鼓動を打つ心臓が不思議だった。

生きること、死ぬこと、
流れる時間の全てに理由が欲しかった。

嫌いな自分を殺したかった。

自由でくるしく憂鬱な日々をただ傍観するしかなかった。

ときどき素晴らしい世界

大阪に住み、奈良のいわゆる進学校と呼ばれる学校に通いながら何不自由なく暮らしていたが、安定を求めた受け売りの夢しか抱く事ができず未来がなんとなく予想できてしまう生き方に何処かでずっと退屈さと死にたさを感じていた。

99%の自分への諦めと1%の淡い期待を抱きながら、予備校からの帰り道に公衆トイレで自撮りした全身写真と余分に持っていた受験用の証明写真を、顔面の盛れも気にする余裕もなく衝動的に貼りつけて応募したオーディション。

書類審査さえ通るなんて思っていなかった。予備校の講師の真っ当な言葉よりも、己の心のはずみを信じたかった。

うろ覚えの電話番号をよく確認もせず、違う番号を書いたのに気付かないくらいには勢いに任せていた。

そのわずか数ヶ月後、気付けば活動1日目でグループが解散していた。

大阪から上京し、急いで借りた狭いアパートで新生活を始めてからたった2週間後のことだった。

SiSが解散した翌日、パンパンに泣き腫らした目で何も予定のない私たちは自然と渋谷のサイゼリヤに集まっていた。

誰もまだ、この絶望から抜け出すことを諦めていなかったのだ。

私はこの日初めて、ただ傍観するだけの自分から足掻いて抜け出そうとしていた。

ミラノ風ドリアをつつきながら、じっとしていられなかった私たちは好奇心で不合格になった事務所WACKに偵察に向かった。
渋谷のネズミのように、事務所があるビルの前でポストを覗いてみたり、ひそひそとウロチョロしていると、なんと社長の渡辺淳之介がエレベーターから降りてきたのだ。

ただの偶然だったのかもしれないが、私たちは運命と信じて疑わなかった。これでもかと付き纏い続けた結果、GANG PARADEに加入させて貰えることになった。

この世に産み落とされてから十数年、初めての感情のざわめきが私の心臓をくすぐっていた。

そして迎えた新宿BLAZEでのお披露目ライブ。この夜が私と歌舞伎町との深い関係性の始まりだった。

正規ルートではないグループへの加入にファンの一部からは反感を買っていた。ライブ中に生卵やゴミを投げられるかもしれないと震えが止まらなかった。

どこかも分からない小さな街に拐われてきてしまった気分だった。

初めて足を踏み入れる歌舞伎町への謎の背徳感と、メンバーの一員として認めて貰えるだろうかという不安に吐きそうになりながら、約1ヶ月間で無理やりに叩き込んだグループの持ち曲全てをなんとか歌い踊り切った。

正直ほぼ記憶は無いしパフォーマンスのクオリティも滅茶苦茶で客入りも満員ではなかったが、そこには確かに血がたぎる熱量が存在し会場の誰もが夢中だった。

ライブと特典会が無事終わり楽屋に戻って息をついた瞬間、生きている心地が溢れ出していることに気が付いた。

酸欠による頭の痛さを感じながら、私は平野啓一郎氏の長編小説『マチネの終わりに』にある
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
というセリフを思い浮かべていた。

くるしさとやるせなさと悲しさを受け入れてもいいのだと、数ヶ月前の絶望と、私にずっとこびり付いていた死にたさが自然と消え去っていた。

それと同時に気を抜いたら全てが終わりだと、振り落とされないように、落っこちてしまわないように、必死に頑張れなくなったらやっと動き出した時計の歯車が錆びて朽ち果ててしまうのではないかと、別種の死への意識が心の中に生まれていた。

いつ外れてしまうかも分からない人工呼吸器をつけた気分だった。

だがそれは、以前の様に居心地の悪い死にたさではない気がしていた。

誰にも気づかれない街

それ以来、私は何かと歌舞伎町に縁があるようになった。

毎月のように、色とりどりの看板に囲まれた歌舞伎町セントラルロードを抜けた先にある新宿LOFTでライブをし、名物のオムライスを食べ、楽屋に染み付いたタバコの移り香や衣装の入ったリュックの重さを感じながらフラフラと駅へ向かう帰り道も気分が良かった。

新宿LOFTでのライブが減ってからも、根本宗子さん手掛ける「プレイハウス」という歌舞伎町を舞台にカリスマホストと風俗嬢がドラマを繰り広げるミュージカルにも出演し、別の角度からも歌舞伎町を見つめる事となった。

約2年前から毎週映画コラムを書いている私は、舞台の稽古が終わり上映開始時間ギリギリに歌舞伎町の映画館へ滑り込み、空っぽのレイトショーで新作映画を疲れから襲いくる眠気と戦いながら観る時間が堪らなく好きだった。

映画の余韻を味わいながら、終電もなくどこでタクシーを拾おうかとふらふらネオンに光る歌舞伎町を彷徨っていると、襲いくる寂しさとプレッシャーに心の中の子どもが大人になりたくないと声を上げてわんわん泣いた。

上京するまで、バイトさえも経験がなく同世代の女の子しかいない大人に守られた環境でぬくぬくと育ってきていた。

親元を離れ東京という社会に飛び込んで生活を繰り返すたびに、色んなことを学び選択してこんなにも遠くまで来てしまったのだと心のどこかで孤独をやり過ごしながら、にぎやかな街で溺れそうになっていた。

東京は愛せど何も無い、と椎名林檎は歌っているが、私にとって東京は何もかもが揃いすぎていた。

人間も、音楽も、食べ物も、ファッションも、カルチャーも。

足りないものがなかった。

あんなにも憧れていた大都会東京は、にぎやかすぎるあまり、次第に自分の声が聴こえなくなっていた。

頑張れないなら死ななくてはいけないという強迫観念がどんどん膨らんでいた。

だが、歌舞伎町だけは私を許してくれた。

この街は良い意味できっと無関心だ。

どれだけ大きな声でわんわん泣いていようが、この眠らない街はそんな人間を煙たがらない。それぞれが、それぞれの世界で人間ドラマを繰り広げている。

命短し乙女たち

2020年。

コロナの影響で家で過ごす時間が増え、テレビ越しに反射して黒く染まった自分の顔を見つめながら、頭の中を空っぽにしてぼーっと過ごしていた。

歌舞伎町の、目がチカチカする程これでもかと派手に装飾された看板に照らされながら、そびえ立つビルの隙間から感じる夜風の心地良さが恋しかった。

そんな歌舞伎町に自分の生き様を重ねながら、GANG PARADEからPARADISESのメンバーとなった私は「命短し乙女たち」という曲の詞を書いた。

死にたいという言葉でしか生きたいという気持ちを表現できない私にとって、東京のドレスを纏いドラマチックな乙女でいられる時間を演出してくれるこの街は、
私にとってパラレルワールドのようなものだ。

テラシマユウカ

11月5日生まれ (大阪府出身)。WACK所属の「GANG PARADE」が分裂し、2020年に新たに生まれたアイドル・グループ「PARADISES」のメンバー。映画好きが高じて、StoryWriterにて映画コラム「今日はさぼって映画をみにいく」を連載中。9/6(日)横浜 関内ホールにて初のホールワンマンライブ開催決定。
Twitter
Instagram

 

text:テラシマユウカ
illustration:カシワイ
photo:タケシタトモヒロ

こんな記事もおすすめ