新宿・歌舞伎町には訪れる機会も多く、これまでにいくつもの印象的な場面に出会ってきたと言う。
生々しく、愚かで、愛おしい、そんな人間たちのドラマを何本も描き出してきた山田。そんな彼女が、新宿・歌舞伎町で目の当たりにしてきた光景を、独自の視点から物語としてアウトプットしていく毎月更新のエッセイ。
Vol.2「負け犬の感覚」
お昼前後、歌舞伎町はまだ眠っているに近い。
それでもドン・キホーテにはすでに大勢の客が来店しているし、ランチ営業に勤しむ飲食店が軒先にメニューを掲げ、キャバクラなどに対応した生花スタンドやバルーンフラスタを作る店は大忙しで営業を開始している。魔王の城みたいにそびえ立つ風林会館の前を、米袋をハンドグローブ代わりとして自転車に巻きつけたサイケなおじさんが通り過ぎていき、TOHOシネマズのゴジラが静かにそれらを見下ろしている光景は、まるで夜が暮れるのをクラウチングスタートの姿勢でじっと待ち構えているようだ。
しかし小さなライブハウスやクラブは圧倒的に数が減ってしまった。むかしは道路沿いを歩いていると派手な演奏が漏れ聞こえてくることも多かったし、わたし自身毎週のように遊びに通っていたものだが、いまでは新宿LOFTに楽器が搬入されていくのを見かけるぐらいで、バンドマンやバンドギャル自体を目にする機会さえなくなったように感じる。
だからこそ稀に見かけるバンドの空気が漂う人物には、時として心を奪われることが多い。
アッシュピンクの髪色でツインテールをした女性と、見た目以上に声が丸く刺青がかっこ良い男性のふたりは、いわゆる昔ながらの喫茶店メニューを口に運びながら歌舞伎町について話していた。普段どこの飲食店に行くだとか、共通の友人である“トオル”のこと。そして何故かドラえもんについてまでも延々と語り合い、その毎に女性がワントーンほど高い声で、そうそうそうと同意していた。しかしBGMにかかっている宇多田ヒカルの歌声が聞き耳を立てることを阻み、詳細までは聞こえてこないのがどうにももどかしい。
そのうちに音の隙間を抜けて、耳にストレートで男性の声が届いてきた。
「負け犬の感覚でしょ?」
「わかる間違いない」
呼応した女性のツインテールがふわりと揺れて、それきり言葉は再び店内の雑音に紛れていった。しかしなるほど“負け犬”かと興味深く思った。喧嘩に負けて逃げる犬。勝負に負けた人間。そもそも人間を犬に例えたこの言葉は、何がきっかけで生まれたのだろう。そしてそれらを内包した感覚というのが、何を指すのか。
もしかしたらあのふたりは人生に戦いを挑んでいるのかもしれない。男性は飲み屋の店長、もしくは夜職のオーナーで女性はそこで働く従業員のひとり。男性は過去にプロギタリストを志していたのだが自身の才能の限界を感じ、音楽から足を洗って歌舞伎町にやってきた。しかし夜の街では不条理なことも多く、生半可に逃げていたんじゃ戦えない。そんな葛藤を女性は遠巻きに見つめている。女性も歌舞伎町という街でしか生きられず、この街で生きる人間しか知らない。そのためふたりは互いの人生を埋め合わせることができる“何か”を求めている。具体的に言葉にはできないそれは、圧倒的な名声や損なうことがない安堵感といったものなのだろう。では“勝つ”とは、何処に向かえば得られるものなのか。きっと手に入っても入らなくても、やりきったと実感し、納得できたことの延長上にしか存在し得ないのではないか。
勝手な空論を練っているとふたりは席を立ち、奥の席では常連客である中年男性がアイスコーヒーを啜りながら持ち込んだ寿司を食べていた。そしてアーケードゲーム機に興じ、若い店長が挨拶に向かうと目尻を下げて笑った。多くのものがあるかどうかはわからない。それでも穏やかさが滲む表情に、おのれが納得できた人生を歩むことは悪くないと諭され、いい歳の重ね方じゃないかと思わされた。すこぶるつきのロックンロールな模範を見た気がした。
山田佳奈(やまだ かな)
1985年4月6日生まれ。神奈川県出身。レコード会社のプロモーターを経て、2010年、劇団「☐字ック」を旗揚げ。ライフスタイルが自由化された現代社会においてのコミュニケ―ション欠如や、大人になりきれない年齢不相応な自我に対して葛藤する人間を描く。2020年の劇団10周年に、所属俳優を持たずに山田佳奈作品の舞台制作を行う場として単身新体制になる。また劇団前期代表作である「タイトル、拒絶」を初長編映画として自ら監督。大きな話題となったほか、Netflix「全裸監督」の脚本なども手がける。36人の監督による短編映画制作プロジェクト「MIRRORLIAR FILMS」に参加、2021年夏に全国公開される。初の書き下ろし小説「されど家族、あらがえど家族、だから家族は」(双葉社)が発売中。
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text:山田佳奈
illustration:師岡とおる
edit:野上瑠美子