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【NEXT UP! #19】YOH:音楽と即興で切り拓く、越境するフリースタイル

歌舞伎町

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NEXTUP
DATE : 2026.06.10
劇場、ライブホール、屋外ステージ、路上ライブスペース、ナイトクラブ──さまざまな“表現の場”が、東急歌舞伎町タワーにはある。ダンサー、シンガー、アイドル、DJ…。そこで日々パフォーマンスを行うクリエイターたちの顔ぶれもまた、幅広い。

あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。

第19回は、フリースタイルバスケットボーラーYOHが登場。名だたるダンサーが集結した「KABUKICHO STREET CYPHER GRAND CHAMPIONSHIP」で、1on1、2on2の両部門でW優勝をおさめるという快挙を成し遂げたことも記憶に新しい、フリースタイルバスケのみならず広くダンスシーンで注目を集めている1人だ。2026年は米国の伝説的チーム「ハーレム・グローブトロッターズ」に日本人として初めて合格するなど、名実ともに日本を代表するボーラーとして世界を舞台に活動の幅を広げている。そんな彼に、意外な幼少期から、世界へ羽ばたく現在、そして彼が描くボーラーとしての未来までをじっくりと訊いた。

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<NEXT UP!的 推しポイント>

  1. “技”ではなく“音楽”で魅せるフリースタイル
  2. 基礎を積み重ねて辿り着いた、日本代表レベルの身体感覚
  3. ジャンルの外へ飛び出し続ける、越境するボーラー

YOH(ヨウ)

2002年生まれ。幼少期から父や姉の影響でバスケットボールが身近にある環境で育ち、小学3年生から競技としてのバスケを始める。その後、フリースタイルバスケットボールと出会い、師事したボーラー・whiteaのもとで、徹底した基礎練習を積み重ねる。近年はダンスカルチャーとも接続し、「Kabukicho Street Cypher」やA-POPダンスバトル「あきばっか〜の」への出演。その実力はジャンルを超えて高く評価されている。

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—Beginning— 
フリースタイルとの出会い

― 幼少期はどのような子どもだったのでしょうか。

とにかくずっとボール遊びをしていたのを覚えています。父も姉もバスケをやっていたので、ボールという存在が生活の中に当たり前にある環境でした。もともと運動神経は良くなかったのですが、フリースタイルバスケを始めてから、いろいろな世界を徐々に知っていきました。

― どのようにして、フリースタイルバスケットボールの世界へ足を踏み入れたのでしょうか。

本格的に競技としてのバスケを始めたのは小学3年生のときです。友達のお兄ちゃんがやっているのを見て少年チームに入ったのですが、小5のときに一度辞めてしまって。でもバスケは続けたいなと思っていた頃に通い始めた別のスクールのコーチが、たまたまフリースタイルをやっている方だったんです。それを見たときに「自分もやってみたい!」と思ったのが始まりです。

僕はもともとけん玉が好きなんですけど、「球を乗せる感覚」がフリースタイルバスケと共通していて、どんどんハマっていきました。競技バスケは全然シュートが入らなくて「向いていないな」と思っていたのですが、フリースタイルは技を決められた瞬間が楽しくて、こっちの道で行こうと決めました。

― 師匠と呼べる人はいますか?

小6の頃からずっと教えてくれていたwhiteaさんです。whiteaさんはとにかく基礎を大事にする人で、練習がめちゃくちゃ厳しかった。3時間の練習のうち、最初の1時間はひたすら基礎をやるんです。ボールを腕で転がしたり、指先で回し続けたり、プランクをしながらボールを扱ったり……。ほかの地域のボーラーが遊びに来たとき「きつすぎて二度と来たくない」と言って帰るほどでした(笑)。

その基礎の積み重ねが今のスタイルの土台になっていると実感します。どんなにアクロバティックな大技も、どれだけ基礎が体に染み付いているかで決まるので、今でも基礎練はしっかりやるようにしています。

—Essence— 
あえて「ノープラン」。即興フリースタイルで掴んだW優勝

― YOHさんのパフォーマンスは、単なる技の羅列ではなく、音楽を感じられるところが魅力だと感じます。今のスタイルはどう確立されたのでしょうか。

かつての僕のスタイルは、大技がメインでした。でも、数年前からアニソンで踊るA-POPバトルのイベント「あきばっか〜の」などに出るようになってから、スタイルの幅が広がりました。

フリースタイルバスケの世界では、大きな音に合わせて技を決める「わかりやすい音ハメ」がメインですが、ダンスの世界では細かい音までを意識します。フリースタイルバスケは、体が動けない瞬間でもボールは跳ねているし、ボールを回す音、キャッチする音も一つの表現になる。ボールで音を取れるポイントが1つ増えるので、常に「音」は意識するようにしています。

― 今回、優勝をおさめた「KABUKICHO STREET CYPHER」でも、ジャッジの方から「音楽の中で表現し続けたこと」が評価されていました。

フリースタイルのバトルは、DJが音楽をかけている以上、それは音楽ありきの表現であるべきだと考えています。技を繰り出し合うことで相手と会話をしているような感覚なんです。

最近、僕が大切にしていることは「ビート」で、まずはリズムに身を任せて、そのうえでスキルや自分らしいスタイルを乗せていく。フリースタイルバスケはどこで音をとっているのかわかりにくいと言われることがありますが、そこを意識的に明確に表現しようとしました。なので、今回の大会でジャッジの方々がそこを評価してくださったのは、本当に嬉しかったです。

― 他ジャンルのダンサーとバトルするのは、難しい部分もあったのではないでしょうか?

戦い方に悩むときもありました。フリースタイルバスケ同士のバトルなら、高度な技を打ち返したり、ミスの有無で勝敗が分かれたりします。でも、ダンスの世界には正解というものがありません。ダンサー目線での細かな音のズレなど、僕には判別が難しい部分もあります。異なるジャンルのダンサーとの戦い方は、今でも模索し続けていることです。

ただ、もともとダンスバトルを見るのが好きで、「あきばっか〜の」の出演を機に、多くのジャンルを知ることができました。相手のムーブを見て、「次はロックっぽい要素を入れたいな」と思ったら、ボールを使ってロックの要素を入れてみる。ベースにあるスタイルは崩さず、その場のノリや遊び心を取り入れられるのはオールスタイルならではだと思います。

― 今回1on1と2on2のダブル優勝を快挙されましたが、あらためて大会を振り返ってみて、いかがでしたか?

レベルが高いなと感じました。最初はチームメイトに「歌舞伎町で面白いことやってるから行ってみない?」と気軽に連れ出されたのがきっかけでしたが、行ってみたらダンサーたちの熱量がすごくて。自分が全力でできることを全部詰め込んでも、勝てないことがあったので、ファイナルではどう対策しようか考えました。

― 具体的にどういった対策をしましたか?

技よりもフリースタイルの部分を意識しました。ダンサーが多い中でボールを持って踊ることで周りにインパクトを与えられますが、徐々に見慣れられてしまう。そうならないように、引き出しを増やして、音の乗り方の幅を広げようとしました。

以前はムーブの構成を決めていたこともありましたが、それだと音楽の変化に対応しきれず、ミスをしたときのリカバリーも難しい。だから、当日はほぼノープランで、その場でDJがかけるビートに身を任せることを意識しました。

優勝したことについてはフリースタイルの仲間たちが自分のことのように喜んでくれたり、ほかのジャンルのダンサーたちも「マジでヤバかった」と言ってくれたり。自分自身も、あの日は今までで一番気持ちよくフリースタイルができたという手応えがありました。

—Future— 
日本代表のフリースタイルボーラーとして世界へ羽ばたく

― ここからは未来の話を伺いたいのですが、この夏からアメリカのバスケットボールのエキシビションチーム「ハーレム・グローブトロッターズ」のメンバーとして現地で活動をされます。日本人初の快挙ですが、今の率直な心境は?

今はもう、楽しみしかないです。フリースタイルバスケのシーンは今、日本が世界で一番強いと言われているので、アメリカのストリートに自分たちのスタイルを持っていきたい。そうすることで、現地の人たちがフリースタイルに興味を持ってくれたり、自分の知名度を上げることで、フリースタイルバスケ界全体に貢献できればと思っています。

― そもそも、どのような経緯で選ばれたのでしょうか。

最初はInstagramのDMでした。「ハーレム・グローブトロッターズ」の副社長から「100周年に向けたトライアウト(選考会)に来ないか」と。最初は「本物かな?」と疑いました(笑)。でも共通の知り合いに確認したら「マジで本物だよ」と言われたので、チャンスは逃すまいと自費で一週間アメリカへ飛び、オーディションを受けました。

― アメリカでのオーディション、言葉の壁などは感じませんでしたか?

英語が喋れないのでコミュニケーションにおいて不安はありましたが、ボールを持っていれば会話が成立するんですよ。現地のスタッフも「日本からあいつが本当に来たぞ!」と歓迎してくれて。トライアウトの2週間後にメールで合格通知が届いたときは、素直に嬉しかったですね。

― 日本人第一号として、どのような役割を果たしたいと考えていますか。

日本人初の所属なので「レペゼンとしてコケたらまずい」というプレッシャーはありますが、やることは普段のフリースタイルと変わりません。先輩や仲間たちも「YOHならいける」と言ってくれているので、あとは全力で楽しむだけです。

― 最後に、YOHさんが一表現者として、今後目指していく姿を教えてください。

YOH:今はまだ、どうしても大きな技に頼ってしまう部分があります。でも最終的には、派手な技を出さずとも、フリースタイルだけで勝つプレーヤーになりたいです。

― テクニックのその先、ということですね。

はい。フリースタイルバスケの可能性を広げるために、これからもあえてジャンルの外へ飛び出し続けたいと思っています。歌舞伎町のサイファーにもまた遊びに行こうと思います。日本にいる間に、出られるバトルは全部出て、行けるところまで行きたいです!

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文:Honoka Yamasaki

写真:谷川慶典

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