特集

エリア

【NEXT UP! #18】北林楓:無二の歌声とギャップを武器に、“誰かの憧れ”へ

歌舞伎町

NEXT UP! インタビュー 観る
NEXTUP
DATE : 2026.06.05
劇場、ライブホール、屋外ステージ、路上ライブスペース、ナイトクラブ──さまざまな“表現の場”が、東急歌舞伎町タワーにはある。ダンサー、シンガー、アイドル、DJ…。そこで日々パフォーマンスを行うクリエイターたちの顔ぶれもまた、幅広い。

あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。

第18回は、北林楓が登場。timeleszの新メンバーオーディション「timeless project-AUDITION-」、通称「タイプロ」で約1万9000人の候補生の中から、4次審査の15人まで勝ち残り注目を集めた北林。そんな彼の幼少期からデビューに至るまでの道のり、俳優業など活動の幅を広げる中で見据える未来について聞いた。

NEXT UP!連載はこちら

<NEXT UP!的 推しポイント>

  1. 変化を求めて上京を即決。考える前に動くバイタリティ
  2. 「タイプロ」4次審査までこぎつけた努力と素直さ
  3. 歌とパフォーマンスだけでなく演技も。広がる活動の幅

北林楓(きたばやし・かえで)

1999年10月17日生まれ。沖縄県出身。20歳で上京。シェアハウスに住み沖縄料理店で働きながら活動を始める。2024年Netflix『timeless project-AUDITION-』に出演、第4審査まで進出。2025年10月に1stシングル『I LOVE MESS』でデビュー、同年12月に初のライブを行う。趣味は、料理、サウナ、ドライブ、神社めぐり、フットサル。最近のマイブームは筋トレ。得意料理はチャーハン。好きな沖縄料理はゴーヤチャンプルー。

2026年5月1日にファーストミニアルバム『MayBloom.』をデジタルリリース。

2026年6月17日〜21日まで劇団プレステージ第23回本公演『URA!URA!Booost~10年目のエール』で舞台初出演。2027年1月公開予定の『声よ広がれ』で映画初出演。

OFFICIAL SITEXInstagram

—Beginning— 
少年時代から書きつづけた履歴書

― 幼少期はどんな子どもでしたか?

ちょっとやんちゃでした。やんちゃというか暴れん坊というか(笑)。5歳くらいのときはよく迷子になっていました。迷子センターに行って、アナウンスで呼び出されてお母さんが迎えに来る、みたいなことがたくさんあったんです。いたずら好きだった記憶もあります。でも、家では基本的にひとりでもくもくと車のおもちゃで遊んでいることが多かったです。

― 今の活動につながる原体験はありますか?

僕が5~6歳のときに母がKAT-TUNさんの大ファンだったんです。家でDVDをずっと流していて、僕もかっこいいなと思って観ていました。当時は明確に自分も歌ったり踊ったりしたいとは思っていなかったのですが、漠然と「テレビに出ている人ってかっこいいな」と感じた記憶があります。

― 北林さんご自身も、そこからはKAT-TUN一筋に?

姉がNEWSの手越祐也さんが好きだったので、KAT-TUNさん、NEWSさん、そこからSUPER EIGHTさんなど、STARTO ENTERTAINMENTのアイドルの方に憧れていました。日常的に映像が家で流れていたので、自然とかっこいいなと思うようになりましたね。

― それが今の北林さんを形成するうえでも大きな出来事だったのですか?

そうですね。小学1年生くらいになると、母から「事務所に履歴書を送るから」と言われて。「自分の字じゃないとダメだよ」っていうことだったので、母が書いてくれた履歴書の見本を見て、ひたすら自分で書いていました。そのときは僕の意思というよりは母親の気持ちが強かったのですが、小学4年生くらいに渋谷すばるさんのライブを観にいって、「自分も人前で歌う人になりたい」と強く思うようになったんです。渋谷さんの歌声がすごく心に届いたというか。すごく憧れました。渋谷さんの影響を受けたときからは、年に1回くらいのペースで自分で履歴書を買ってきて、残っていた見本を見ながら書いて、郵便局に持って行っていました。

—Essence— 
ラストチャンスと思い手にした突然の転機

― 上京するきっかけはなんだったのでしょうか?

19歳のとき、地元のスクールに通っていたのですが、コロナの時期で在宅レッスンになったんです。通いはじめて1年くらいだったのですが、正直スキルがついている実感がなく、何もできない状況になんとも言えないモヤモヤを感じていました。もう20歳になるし何かに挑戦しないとまずいという焦りもありましたし、このまま沖縄にいてもなんのきっかけもないなと思ったんです。それで20歳のときに上京することにしました。

― では、コロナ禍で上京したんですか?

そうですね。東京に行きたいってすごく強く思って、貯金もないのにその1ヶ月後の飛行機のチケットを取ったんです。上京の3日前くらいまで家も決まっていませんでした。最初はシェアハウスで過ごしていました。一軒家に何個か部屋があって、住人の数も多くて。

― すごい行動力ですね。実際に上京してみていかがでしたか?

上京したはいいけどやっぱり大変でした。仕事ももちろんないですし、知り合いに紹介していただいた飲食店で働くことになったのですが、それも営業が不定期だったので金銭的にも大変でした。あと、上京して少し経った頃、自転車事故に遭ってしまって。ちょうどシェアハウスから出てひとり暮らしをはじめようというタイミングで、お金も貯めていたのですが、その事故で一気にお金を失って。ようやく一歩進むぞっていうときに苦労もあったのですが、でも、来て良かったなと思います。あのまま沖縄にいても本当に何もなかったので、自分の選択は間違っていなかったと思います。

― そこから『timelesz project -AUDITION-』に参加したきっかけは?

迷惑だったと思うのですが、年齢制限を過ぎても定期的に履歴書は送っていたんです。それと同時に他の事務所にも連絡していたのですが、全然ひっかからなくて。上京してからはバイトを掛け持ちして、なんなら「飲食って楽しいな」と思いはじめていたので、もはや飲食店の経営などに舵を切ったほうがいいかなと考えていたんです。でも、そっちに踏み切るにはまだちょっとやるせない気持ちもあって。そんなタイミングでオーディションがあるという話を聞いたんです。年齢制限も30歳までだったので、ラストチャンスだと思って応募しました。

― 北林さんからしたらやっと手にできたチャンスですよね。

そうですね。十数年履歴書を送り続けているから、このチャンスはいつも以上に本気で挑みました。2次審査に行けるだけでもすごく嬉しかったです。そこからは仕事を全部やめてオーディションに全集中しました。

― 4次審査まで進みましたが、オーディションの中でどのようなことを感じましたか?

まず、努力がちゃんとかたちになって、それを見てもらえたことが初めてで新鮮でした。オーディションの中で、timeleszの皆さんが、本当に真剣に向き合っているんだなと感じました。

3次審査のとき、僕は36人中32位という順位だったんです、15人しか次の審査に進めないので、もうあとがないと思ってがむしゃらに頑張ったら、10位になって4次審査に進めました。与えられた時間の中で本気で取り組めば、しっかりそれを見てもらえたので、それがすごく嬉しかったです。

― 『timelesz project -AUDITION-』を振り返って、心に残っている言葉や出来事はありますか?

僕が落ちたタイミングで、SNSに「北林楓くんを忘れられない」というコメントを投稿してくれていた視聴者の方いて。そのコメントに「いいね」が5000件くらいついていたんですよ。それは純粋に嬉しかったです。オーディション中はSNSをまったく見ていなかったのですが、終わった後見てみたら応援のコメントが多かったので救われました。こんなに応援してくださっている方がいるんだということを実感しましたね。

― 『timelesz project -AUDITION-』に出演された約1年後にデビューされましたが、その間の1年はどういった活動をしていたのですか?

応援してくれていた人たちに歌で何かを返したくて、自分で作詞した曲を届けたいと思うようになったんですが、知識がまったくなくて。そんなときに、ふと飲食店で働いていた頃のお客さんで曲を作ってる方がいたのを思い出したんです。その人に連絡してみたら快諾してくれて、オリジナルの楽曲を作ってくれました。そうしているうちに今の事務所の方々とも出会って、周りの人たちに協力していただいて楽曲を作りはじめました。

― 2025年10月にデビューして、今、活動で一番楽しいことはなんですか?

まだ経験値が少ないので、どうしても緊張してしまうのですが、緊張がなく歌えて、お客さんも楽しそうにしている瞬間が一番いいですね。そういうときって、お客さんとちゃんと会話ができているというか、通じ合えている感覚がすごくあるので、それが楽しいなと思います。

― 活動の中で「Kabukicho Street Live」に何度も出演していますが、歌舞伎町ひいては東京にどのようなイメージを持っていますか?

率直に歌舞伎町は怖い街だと思っていました。でも、実際に足を踏み入れてみると、自分が抱いていたイメージとは違って優しい人もたくさんいて。今ではおもしろい街だなと思っています。ストリートライブのお客さんに外国の方が多いのも特徴かもしれないですね。僕の曲を聴いてノってくれたり、ライブが終わったあとにわざわざ待っていてくれて「写真撮ろうぜ」みたいな感じで声をかけてくれたりするのが嬉しかったです。

—Future— 
まずは目の前の一歩を大切に。自分らしく素直に

― 歌だけではなく、去年は短編ドラマに出演されたり、6月には初の舞台が控えたりしていますが、演技に対してはどのような思いを抱いていますか?

歌だとメロディや曲調によって自然と表情が作れるのですが、セリフとなると自分で喜怒哀楽を作り込んでいくので、「このセリフってどう言ったらいいんだろう?」と悩むこともあります。特に舞台は相手の言葉をしっかり受け取って反応しないと嘘くさく見えてしまう部分もあるので難しいですね。綾野剛さんみたいにいろんな顔、いろんな演技ができる人になれたら嬉しいです。

― 北林さんが考える自分の強みはなんですか?

純粋な心は忘れないようにしています。怒られたらヘコむし、褒められたらめちゃくちゃ喜んじゃうし、自分の感情に嘘をつかずに表現するようにしています。あと、当たり前ですけど嘘をつかないこと。悪いことをしてしまったらちゃんと謝るとか、自分の芯は持ちつつも変なプライドを持たずに人の意見に耳を傾けるとか、素直でいることが大切だと考えています。

― 将来どんな大人になりたいですか?

余裕のある大人になりたいです。今は余裕がないというか、まだまだな部分が多いなって自覚しています。そのまま年を重ねるのは嫌なので、バイクに乗って自然の中でコーヒーを飲んでいるようなワイルドな感じの大人になりたいです(笑)。あと、自分の母親が「好きなことをやっていいよ。でも自分でやってね」というタイプだったので、自分も子どもができたときに子どものやりたいことを肯定できる大人になりたいですね。

― アーティストとして、将来どんなステージに立ちたいですか?

いつか沖縄の野外ステージでワンマンライブできたら嬉しいです。そのために路上ライブやいろんなイベントでステージ経験を積んで、今後一歩ずつ自分を成長させるための土台を作りたいなと思っています。また、演技という新たな挑戦以外にも、ギターも上達したいし、自分で作曲もできるようになりたいです。

文:飯嶋藍子

写真:師岡学

こんな記事もおすすめ