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夜の東急歌舞伎町タワーが壮行会の舞台に。100年に1人の逸材・棚橋弘至「愛してま~す!」で刻む引退ロード

歌舞伎町

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イベント 東急歌舞伎町タワー
DATE : 2025.07.04
「100年に1人の逸材」。1999年10月にプロデビューして以来、数々の名勝負を繰り広げてきた棚橋弘至選手。惜しまれつつも2026年1月4日に行われる東京ドーム大会での引退試合まで、いよいよ201日となった。本記事では2025年6月17日に東急歌舞伎町タワーにて開催された棚橋弘至選手の壮行会イベントの模様をお届けする。また、引退ロードを歩み続けているレスラーとしての心境、そして新日本プロレスの社長としての意気込みを伺った。

棚橋弘至

1976年11月13日生まれ。新日本プロレスの第11代代表取締役社長を務めながら、現役選手としても活躍中。立命館大学法学部在学中にプロレス同好会に入り、1999年に新日本プロレスへ入門。同年10月に真壁伸也(現・刀義)戦でデビューを果たす。2003年に初代U-30無差別級王座を獲得し初タイトル戴冠、2006年にはIWGPヘビー級王座を初戴冠。以降、同王座を8度獲得し、歴代最多記録を更新。2011~2012年にはV11の最多防衛記録も達成。G1 CLIMAX優勝3回、東スポMVP受賞4回と、新日本の「エース」として時代をけん引。2023年12月には社長に就任し、2024年10月14日の両国大会後に2026年1月4日の引退を発表した。

プロレス界きってのスター・棚橋選手。壮行会の舞台は「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」

「古き良き文化を現代に甦らせ、次世代へつなぐ」をコンセプトに「恵比寿横丁」「渋谷横丁」を手がけた浜倉的商店が、東急歌舞伎町タワー2Fに展開する次世代エンタメ横丁、「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」にて本イベントは開催された。

店舗の中央にステージを構え、出演者とファンの一体感を生み出すことのできるこの場所は、まさにエンターテインメント性の高さと観客とのコミュニケーションが特徴的なスポーツであるプロレスとの親和性は◎。

イベント開始前から、何面にも渡るスクリーンに映し出された過去の試合風景を観ながら、会場に駆け付けたファンも酒が進んでいるようだ。

飲食エリアにさっそうと現れ、ファンサービスをしながら入場!

イベント開演前には、DJによる新日本プロレスにちなんだ楽曲たちが流れる店内。いやがおうにも盛り上がる。定刻を迎え、会場に姿を現した棚橋選手の出で立ちは、おなじみの羽が付いたコスチューム姿。声援を受けながら観客席を歩きステージに登場した。普段の試合会場よりも至近距離となるステージを前に、ファンたちが撮影するシャッター音が鳴りやまない。

イベントは「キャリアの原点」を振り返る質疑応答からはじまった。

棚橋選手のサプライズ登場で会場は一気に熱気に包まれイベントスタート! そんなMCの様子を一部お届けする。

― 棚橋選手は立命館大学出身ですよね。

そうです。勉強もできるのです! 僕は小中高と野球をやっていたので、将来の夢はプロ野球選手だった。でも、体重が68キロと小さかったのでプロ野球選手になれないのなら新聞記者になろうと思った。そこで一生懸命勉強をして、立命館に入りました。大学に入学してからプロレス同好会に入部して、筋トレを頑張ったら68キロだった体重が一年間で80キロになったのです。最終的に大学4年間で22キロ増えました。

― どうやって体重を増やしたのですか?

学食が一食300円くらいで、定食と丼もの、あとツナ缶。僕は親の仕送りで1食千円分ほど食べていました(笑)。もちろん足りない分はバイトをしてプロテインも飲んでいたのでエンゲル係数が95くらい。それはもう将来の投資だと考えていました。

― プロレス同好会ではどのような活動をしていましたか?

同好会でリングを持っていたので、学園祭の時に試合をやっていました。でも主な活動はプロレス観戦(笑)。大阪や京都の会場まで試合を観に行っていました。大学1年生の時に、新日本プロレスがUWFインターと対抗戦(「激突!!新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争」1995年10月9日)をおこなった際には、青春18きっぷを使って東京に行きました。朝5時に東京駅について、時間をつぶす場所がわからなくてずっと渋谷PARCOの前で座っていました(笑)。

ファンとともに特大ジョッキで乾杯‼

用意されていた質問以外にも、SNSで事前に募集していたファンからの質問にもたっぷり答えた棚橋選手。質疑応答コーナーの後は、特大のジョッキを持って会場のお客さんとともに乾杯。

棚橋選手の入場曲である「LOVE & ENERGY」が鳴り響く中、ビールを片手にファンと触れ合いながら練り歩く。千席ほど入る店内では、入場曲にあわせ客席から「Go! Ace」コールも起こっていた。試合の時の勇ましい姿とは違い、「歩いていると羽が落ちるのでぜひ拾ってください。戻る頃には抜け殻になっているかも」とにこやかに語りながら、乾杯をして回っていた。

再び、ステージに戻ると棚橋選手の決め台詞である「愛してま~す! 」と腕を高々に上げるポーズとともに叫んだ。観客と一体となった新宿カブキhallは、棚橋選手が去った後も熱気に包まれていた。

MASHUP! KABUKICHO独占インタビュー! 「プロレス界に革命を起こします! 」

新日本プロレスの社長業とレスラーを兼任している棚橋選手。「連日、忙しい日々を過ごして疲れているのでは? 」という編集部からの言葉に、開口一番「僕は疲れません! 」と笑顔を見せた。

― 今回「新宿カブキhall」には初めて来たそうですが、どのような印象でしたか?

やっぱり歌舞伎町はエンタメの街っていうイメージですね。今日はここでファンのみんなと飲めたので、良い思い出ができました。

― 歌舞伎町も多種多様な人々がいますが、そういう意味では、概念としてプロレスと近いものがあるかもしれないですね。

そうですね。プロレスというのはいろいろな価値観を受け入れられるかというのが大事。そういった意味では、プロレスファンは耐性がある。色々なものに受け身を取れるのが、プロレスファンの特性かな。

― 2024年は、オカダ・カズチカ選手、今年は内藤哲也選手、BUSHI選手と中核を担うレスラーの退団が相次ぎました。社長としてはつらくなかったですか?

プロレスにとって一番の敵は「興味がない」ことなのです。好きって言ってくれる人はもちろん興味を持ってくれている。嫌いって言う人も、良かれと思って言ってくれているはず。だから「好き」も「嫌い」も僕は大事にしています。僕が社長になって期待されていることは、今までやったことがないことに挑戦すること。もうね、革命を起こしますよ。

― 真夏のリーグ戦と言えば7月19日に開幕する「G1 CLIMAX 35」ですが、棚橋選手も参戦予定ですね。レスラーとしての引退ロードをどう捉えていますか?

身体づくりは少し遅れているのですが「G1」までの1カ月で割れた腹筋をお見せします。3カ月あれば代謝が入れ替わるので、選手生活の残り200日のうち100日で身体を仕上げて、最後の100日は最高のものにします。

― レスラーを引退されても、イベントは続けたいとさきほどおっしゃっていましたね。

新日本プロレスのレスラー兼社長は僕で4人目なのですが、僕が後輩レスラーにできることはまだまだいっぱいある。今日みたいなイベントは、プロレスを知らない人を振り向かせて好きにさせるためには重要だと思っています。だからこれからもイベントはやっていきたい。

― 最後に、『MASH UP!』の読者の方に、プロレスの魅力を教えてください!

プロレスは、攻めているほうよりもやられている方にフォーカスされる特殊なジャンル。劣勢のほうに「頑張れ」という声援が集まって、その選手が逆転するところに醍醐味がある。それが自分の置かれている状況と重なることで、「あの選手が頑張っているから、私も頑張ろう」っていう気持ちになれる。リング上と客席で熱量の交換ができる場所なのです。プロレスはパワースポットなので、ぜひ会場に来て選手からエネルギーを浴びてみなさんの日常生活に生かして欲しいと思います。

ラストマッチまで、残りわずか。だが、まだ「叫べる夜」は続く

2026年1月4日、東京ドーム。その日、数々のプロレスの歴史を変えてきた棚橋選手がリングを去る。だがこの6月17日、「叫び」が響いた東急歌舞伎町タワーの壮行会は、彼の引退ロードにとって、印象深い一日となった。次はどこで、どんな風に「愛してま~す!」が響くのか。その行方に注目だ。

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取材・文:池守りぜね
写真:古末拓也

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