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NEXT UP!#25 パクユナ :自分の足で歩く、自分の歌を信じる。24歳の現在地

歌舞伎町

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NEXTUP
DATE : 2026.09.29
劇場、ライブホール、屋外ステージ、路上ライブスペース、ナイトクラブ──さまざまな“表現の場”が、東急歌舞伎町タワーにはある。ダンサー、シンガー、アイドル、DJ…。そこで日々パフォーマンスを行うクリエイターたちの顔ぶれもまた、幅広い。

あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。

第25回は、パクユナが登場。2022年にTikTokで公開した路上ライブの動画で話題となり、その後、テレビ東京のオーディション番組『目を閉じてお聴きください』や音楽フェス「VIVA LA ROCK 2024」に出演するなど、その歌声を多くの人に着実に届けている注目のシンガーソングライターだ。そんな彼女に、歌の原体験や初めて路上ライブをしたときの思い出などのこれまでの歩み、今、自分の歌に託す思いを聞いた。

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<NEXT UP!的 推しポイント>

  1. とにかく歌うのが好き。幼少期から発揮した鋭い音感

  2. 路上ライブ動画がTikTokで200万回再生

  3. 孤独に寄り添う歌を。過去の自分を救う言葉が生む共感

パクユナ

2002年1月2日生まれ。三重県出身の韓国人シンガーソングライター。母親の影響で尾崎豊やスピッツ、サザンオールスターズやビリー・ジョエルなどを聴いて育った。高校1年生で軽音楽部に入部したことをきっかけに音楽活動を開始。高校2年生のときからは三重県と高校のあった名古屋市を中心に路上ライブを積極的に行う。5年間地元を拠点にソロ活動の傍らバンドやユニット活動を行う。2022年、“明日への扉”“たしかなこと”の路上ライブ動画がTikTokで注目される。同年10月に上京。2023年にテレビ東京のオーディション番組『目を閉じてお聴きください』(後の『うたごえプロジェクト“めをとじ”』)に出演。2024年、さいたまスーパーアリーナで開催された音楽フェス「VIVA LA ROCK 2024」に出演。2026年は“Love letter”“butterfly”“向日葵”など新曲をコンスタントにリリース。9月から東名阪ワンマンアコースティックツアー「咲きかけの地図。」を開催。

Instagram、TikTok

—Beginning— 
歌うことから始まった、夢への道

― 幼少期はどんな子どもでしたか?

ずっとふざけていて、おままごとをやるよりは虫を獲ったり、サッカーをしたり、元気でおてんば、天真爛漫な子どもでした。歌うことも大好きで、小学校の休み時間には、音楽の授業で習った曲を、友達とハモって熱唱していました。絶対音感があるわけではないですが、母親曰く、小さい頃から音感は鋭かったみたいです。

― それが歌の原体験なのですね。

そうですね。今考えると、すでにそこから音楽への意識が高まっていたんだと思います。小学校から高校にかけては音楽番組やオーディション番組を見るのもすごく好きで、テレビに出て歌っている人に憧れを持ちました。それが音楽の道を目指す一つのきっかけになったように思います。

― 小学生の頃にハモって歌う楽しさを味わって、テレビで歌う人に憧れたユナさんですが、中学生の頃は意識的に歌い始めていたのでしょうか?

部活でやっていた舞踊や習い事に明け暮れていたので、音楽にはあまり触れていなかったです。でも、歌うのは好きだったので中学に進学してからは一人でカラオケに行くようになりました。あと、実家にアップライトピアノがあったので、自己流ですけど少し触ってはいましたね。中3になると、母が買ったけど結局一度も弾かずにしまっていたアコースティックギターをもらったんです。そこから弾き語りを始めたのですが、受験もあったのでそんなに本格的にはやっていなかったです。

高校時代の写真

― 高校に入ったら本腰を入れようという思いだったのですか?

そうですね。高校では軽音部に入って、back numberさん、SHISHAMOさん、ONE OK ROCKさん、sumikaさん、SEKAI NO OWARIさんなどのコピーをしていました。その頃からシンガーソングライターになりたいと思っていましたね。私はこだわりは人一倍強いのに自己主張があまり得意ではなくて。自分自身に自信がなかったのもあって、バンドという集団行動だと嫌なことも嫌と言えないし、自分を押し殺す場面が多かったんです。だから、一人で活動しようと思っていました。

― 高校1年生で、初めてオリジナルソングの制作もされたそうですね。

はい。“花道”という曲を作りました。中学生の頃、MixChannel(現・ミクチャ)で弾き語りのアーティストの方がオリジナル曲を歌っているのを見て憧れていました。あと、当時は家族とか学校とか、うまくいかないことがたくさんあったんですよね。私は家族の邪魔者でいないほうがみんな幸せかもと思うことが多かったんです。中学高校時代はちょっといじめに遭った経験もあって、曲を作ることが自分の居場所になっていました。

高校時代の写真

― 本格的に路上ライブを始めたのはいつですか?

高校2年生の10月からです。当時、三重から名古屋の高校に通っていたのですが、軽音部の友達と名古屋駅を通ったときにたまたま大学生の弾き語りサークルみたいな人たちが路上ライブをやっていたんです。その人たちがギターを背負っている私たちを見て「なんか1曲歌いなよ」と声をかけてくれて。ノリノリで「いいんですか? やりたいです」っていう感じで、ONE OK ROCKさんの“Wherever you are”を演奏しました。それがすごく楽しくて、学校帰りに名古屋駅周辺や、休日に地元の駅前で歌うようになりました。

—Essence— 
「自分の音楽だけは信じられる」一人で歩くという選択

― 高校卒業後は地元の愛知県の大学に進学されたそうですね。

はい。大学1年生の頃に、愛知以外にも、大阪や岡山、福岡、西日本を中心に弾き語りをするようになりました。そんな中、2022年にTikTokに載せていたI WiSHさんの“明日への扉”と小田和正さんの“たしかなこと”をカバーした路上ライブの映像の再生回数が回るようになったんです。そのタイミングでお声がけいただける機会が増えて、いろんな地域に行くようになりました。

― 動画で一気に自分の歌が広がっていくことを、当時はどのように受け止めていましたか?

路上ライブは、一人一人のお客さんと、たまたま歌った街で出会える素晴らしさがありますけど、一つの動画で何十万回も見てもらえているというのは路上ライブだけでは得られないことでした。そういうチャンスは芸能の中心である東京に行かない限りないと思っていたので、田舎にいてもSNSを使うことでこんなチャンスがあるんだなと驚きました。

― 田舎にいてもチャンスがあると体感して、路上ライブも全国でやられていた中で、東京に活動拠点を移したのはなぜですか?

大学に入ったもののコロナ禍で満足に講義を受けられず、なんのために大学に入ったんだろうという気持ちになってしまって。親の説得もあってしぶしぶ通っていたのですが、今大学に通うよりも、どうしても音楽がしたいと思って中退したんです。それでとにかく環境を変えたいと思ったんですよね。私の勝手なイメージですが、東京って「夢を追う街」だと思って。厳しい世界だとは思うけれど、そこで覚悟を持って夢を叶えたいと思って、ほぼ家出みたいな感じで飛び出してきました。

― 上京してきてからはどのように生活していたのですか?

アルバイトをしていた時期もあったのですが、毎日路上ライブをしてなんとか頑張っていました。都内に限らず東京近郊や関西……活動拠点は東京に移しましたが、どこに住んでいるのかわからないぐらいいろんなところに行っていましたね。東京で路上ライブをしていると、地元にいたときには想像もできないくらい、何千人、何万人もの人が毎日目の前を行き交っていて圧倒されました。でも、人が多いぶんチャンスが転がっているはずだし、自分次第でチャンスはいくらでも掴める場所だなと感じていました。

― 実際にチャンスにつながった出来事はありましたか?

ピアニストの方にその場に声をかけてもらって「サポートさせてください」と言っていただけたり、事務所の方にも声をかけていただけたりしました。あと、ライブのお誘いもありましたし、路上ライブで見つけてくださって大きなイベントに出演する機会もありました。路上ライブを東京で知り合ったカメラマンの方が撮影してくれて、その動画が何百万回も再生されて、そういうきっかけで路上ライブに来てくれる人も増えて。それは地元にいたままでは見られない光景だったと思います。

― 歌舞伎町でも路上ライブをされていたそうですね。歌舞伎町にはどんな思い出がありますか?

上京前の話なのですが、初めて東京で路上ライブをしたのが新宿なんです。当時は何もわからずに歌舞伎町のど真ん中のホテルを取ってしまって衝撃的でしたが(笑)、上京してからは馴染み深い場所になりました。新宿公認路上ライブを始める実験的な段階でお声がけいただいて、街が変わる様子も見てきましたし、安心して路上で歌える場所が新宿公認でできているのがすごく嬉しいです。

― SNSで発信しながら、各地に地道に足を運んでファンとの接点を作ってきたユナさんですが、現在TikTokは事務所と運営しつつ、音楽活動はフリーでやられています。一人で音楽をやってきたからこそ得られたものはありますか?

私は自己肯定感も低いし、自分のことがなかなか好きになれないタイプの人間なのですが、自分の音楽だけは信じられるんです。もちろんたくさんの方々の支えがあるのですが、基本的には一人で活動していく中で、自分自身を模索して何かを発見できる瞬間がたくさんあります。自分一人に責任が伴うからこそ、譲れないものや強さがちゃんと備わった気がします。

― 一人だと、何があっても他人のせいにはできないですもんね。

そうですね。私の活動だから私に責任があるのに、昔は人に頼りすぎることで無意識のうちに不平不満が漏れてしまう自分がすごく惨めで嫌でした。今は全責任を自分だけが負うので、そのぶんしっかりしなきゃって思えます。縁があれば誰かと一つのクリエイティブをしてみたいですし、自分と同じ気持ちで同じ方向を向ける特別な方に出会えたら、それは一つの運命だと思いますね。でも、今は自分の足で一人で歩いていくことにすごく意味を感じていて、それが成長につながるんだろうなと思っています。

—Future— 
誰かの「孤独」に寄り添う歌へ

― 先ほど「自分に自信が持てない」とおっしゃっていましたが、自分で決断したり、自分で責任を負っていったりすることを繰り返すことが、自信につながっている実感はありますか?

それが不思議なくらいないんです(笑)。むしろポンコツな部分がかなり浮き彫りになります。自信を持てるのは、やっぱり歌っているとき。自分の音楽を自分が一番愛していますが、人として自分を愛せるかと言ったら全然そんなことはなくて。それを少しずつ埋めてくれるのがファンの存在だなと思います。温かい言葉、応援の気持ち──ファンの方とのつながりがあるから、心の穴が埋まっていく瞬間がたくさんあります。

― ファンの方もユナさんの曲を聴いたときに、ユナさんと同じような自信のなさや孤独感みたいなものが埋まる感覚があるのではないかと思います。

自分がかけられたかった言葉やこういうふうにしてほしかったという思い、過去の自分が消化できなかった感情や報われなかった瞬間みたいなものが、私の音楽になっているんです。そこにみんな共感してくれるのであれば、当時の自分も同時に報われる気がします。だからファンの方の「救われた」とか「一人じゃないと思える」という声を聞くと、すごく温かい気持ちになりますし、共感できます。

― 今、ユナさんが曲にしたい感情やテーマはどんなものですか?

「孤独」というテーマが芯にあることは変わっていませんが、前よりも自分が表現したいものや届けたい思いの輪郭が鮮明になってきたかもしれません。例えば、前は「孤独」をテーマにしていても、それがどういう孤独なのか、私は孤独をどうしたいのかふんわりしていたんです。でも、今は、ただ「心に寄り添いたい」じゃなくて、「どんな心にどう寄り添いたいか」みたいなことがはっきりしてきました。自分の音楽が、明日からも頑張ってみようと思えるお守りみたいな存在になってほしいんですよね。強く送り出せる力がなくてもいいから、暗闇にいる人にそっと手を差し伸べて、優しく引っ張ってあげられるような音楽を作りたいです。

― これからどんなステージに立っていきたいですか?

アリーナやドームもたどっていきたいのですが、まずは武道館を目標にしています。舞踊を習っていたときにすごく広いホールで踊っていたので、それもあって広いステージで何かを表現することに居場所を感じている部分があって。武道館で“歩み”という曲をみんなで合唱することを、近い将来の大きな目標として掲げています。

― 将来どんな大人になりたいですか?

深みのある大人になりたいです。嫌なことも辛いことも苦しいことも、経験できることは片っ端から経験し尽くして、どんなことにもへこたれない、深みのある大人になりたいです。過去の自分も今の自分も含め、SOSを出せない人って世の中にいっぱいいると思っていて。その出せないSOSや隠している本当の思いに気づいて、人の痛みを誰よりもわかってあげられるような人間でありたいと思います。

文:飯嶋藍子

写真:谷川慶典

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