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【NEXT UP! #21】LAE:東京ドームで鳴らす、日本のPop Funkを目指して

歌舞伎町

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NEXTUP
DATE : 2026.07.14
劇場、ライブホール、屋外ステージ、路上ライブスペース、ナイトクラブ──さまざまな“表現の場”が、東急歌舞伎町タワーにはある。ダンサー、シンガー、アイドル、DJ…。そこで日々パフォーマンスを行うクリエイターたちの顔ぶれもまた、幅広い。

あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。

第21回は、3人組バンド・LAEが登場。大学時代にソウルやファンクのカバーバンドとして活動を始め、現在は路上ライブとライブハウスを行き来しながら、オリジナル楽曲で独自の"Pop Funk"を追求している。70〜90年代ブラックミュージックへの深い敬意と、日本人ならではのポップセンスを掛け合わせ、「ファンクの核の上にJ-POPを乗せる」という独自の音楽性を模索し続ける3人。なぜ彼らはファンクを選んだのか。大学での偶然の出会いから、現在の制作スタイル、そして日本でブラックミュージックを鳴らす意味まで、じっくり話を聞いた。

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<NEXT UP!的 推しポイント>

  1. 70〜90年代ブラックミュージックを、日本のポップスとして再構築する挑戦
  2. 地方大学で出会った3人が育んだ、唯一無二のバンドの関係性

  3. 「ファンクはライブで完成する」──身体性を武器に未来を切り拓くライブバンド

LAE(エルエーイー)

沖縄の離島出身のシロマ(Gt)、富山県出身のリョウ(Dr)、東京都出身のケント(Key)による3人組Pop Funk”バンド。大学時代に山梨県の音楽サークルで出会い、12人編成のソウル/ファンク・カバープロジェクトを経て、2022年に現在のLAEとして活動を開始。当初は路上ライブを中心にカバー演奏を重ねながらオリジナル曲を制作し、現在はライブハウスを拠点に活動している。

リョウが手がける、70〜90年代のブラックミュージックをベースにJ-POPのメロディセンスを融合した楽曲、沖縄で育ったシロマによる奔放でノスタルジックな歌詞とリズムギター、幼少期からTOTOやMichael Jackson、Earth, Wind & Fireなどに親しみ、セルフレコーディングからミックス・マスタリングまで担うケントのアーバンなコーラスワークとサウンドメイクが特徴。制作・録音・ミックスまでをほぼセルフプロデュースで行い、「ファンクの核の上にJ-POPを乗せる」という独自のスタイルを追求している。将来的には全国ツアーやEPリリースを視野に入れ、日本ならではの新しいファンクミュージックの可能性を切り拓こうとしている。

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—Beginning— 
ディスコ/ファンクに魅せられた3人

― 「Kabukicho Street Live+」でのライブお疲れさまでした。30分とは思えないくらい濃密なステージでした。

リョウ:ありがとうございます。あっという間でしたね。

― 30分間って短いようで、セットリストを組むのは難しそうですね。

リョウ:僕らは昔のソウルやディスコ、ファンクがすごく好きなんです。当時のライブ映像を見ると、MCがほとんどなくて、とにかく曲をどんどんつないでいくスタイルが多い。ディスコミュージックって、そういうショーなんですよね。

だから僕らも、できるだけMCを少なくして曲を詰め込むようにしています。今日は30分で8曲でした。一般的なバンドより多いと思います。

― なるほど。まずは、皆さんの出会いから教えていただけますか?

リョウ:大学のジャズサークルです。ただ、ジャズサークルとは言っても、僕らはジャズをやっていたわけじゃないんです。R&Bやソウル、ブラックミュージックをやる人たちが集まっていて、そこで出会いました。だから3人とも、もともとブラックミュージック寄りの趣味だったと思います。

地方の大学だったんですけど、場所が本当に山の奥のほうで(笑)。音楽サークル自体がすごく少なかったんです。がっつりロックをやるサークルと、ジャズ寄りのサークルくらいしかなくて。だから自然とそこへ集まった感じですね。

― 部員数はどれくらいだったんですか。

シロマ:全体で40〜50人くらいですね。

リョウ:だから逆に距離が近かったんです。

― その頃から3人ともブラックミュージックが好きだったんですか。

リョウ:実はサークルの中でも、ソウルやファンクが好きなのはほとんど僕とシロマだけでした。みんなもっとビバップとか、ジャズ寄りのものを聴いていたんです。だから「この人とは話が合うな」って思ったんですよ。

― 最初に何の話をしたか覚えていますか。

ケント:覚えてます(笑)。周りに全然話の合う人がいなかったので。僕は春入学じゃなくて夏からサークルに入ったんです。忘れもしないんですけど、夏合宿に誘われて、「日帰りだよ」みたいな感じで行ったら普通に合宿だった(笑)。知り合いが一人もいない状態で、車の座席をくじ引きで決めたら、たまたま隣がリョウだったんです。

― すごい偶然ですね。

リョウ:僕も「趣味の合う人いないな」と思っていたところに、彼が現れたので(笑)。翌年、僕は軽音部にも入ったんです。そこで入ってきたのがシロマでした。

シロマ:当時はシティポップとかインディーポップが好きで、SuchmosやTom Mischを聴いていた時期でした。そこからどんどんルーツを掘っていって、「やっぱり70〜80年代が一番だな」と思うようになって。ブラックミュージックに勝るものはない、という感覚になりました。

リョウ:普通に「面白い後輩だな」と思って、一緒にいたかったんですよ。だからジャズサークルにも誘いました。

シロマ:気づいたら一週間連続でご飯食べてました(笑)。

リョウ:僕の車の助手席が彼のお尻の形になるくらい毎日乗ってました(笑)。もし大きな大学で出会っていたら、多分仲良くなってないと思います。僕は東京事変とかも好きだし、ケントはAOR寄りだし。もっと自分と趣味が近い人がそれぞれいたはずなんです。でも、あの閉鎖的な環境だったから、この3人が出会えたんだと思いますね。

大学時代の写真。左からシロマ、ケント
大学時代のリョウ。ひとつ前の写真と同じ日に撮影された1枚

― シロマさんは最初からファンクギターを弾いていたわけではないんですよね。

シロマ:そうですね。音楽を本格的に聴き始めたのが高校3年くらいで、最初はドリームポップとかを聴いていました。そこからTom MischやHONNEみたいな現代のR&Bにハマって、さらにルーツを掘っていったら、20歳くらいで70〜80年代にたどり着いたんです。その中でも、一番惹かれたのがリズムギターでした。

― リョウさんが楽器を始めたのはいつごろですか?

リョウ:高校1年です。最初はベースボーカルでした。同時に曲作りも始めて、吹奏楽部でパーカッションもやっていました。軽音部がなかったので、「いろんな楽器ができたらいいな」と思って吹奏楽部に入ったんです。

― ブラックミュージックもその頃から?

リョウ:そうですね。小学校6年か中学1年くらいのときにマイケル・ジャクソンが亡くなって。テレビで毎日のように曲が流れて、「こんなかっこいい音楽があるんだ」と思いました。そこからマイケルを聴いて、どんどんブラックミュージックにハマっていった感じです。高校では、マイケルとEarth, Wind & Fireが僕のスターでした。そこが入口ですね。

― ケントさんはどうですか?

ケント:幼稚園くらいからピアノをやっていました。クラシックというよりはポップス寄りの曲を練習していました。音楽の好みも父の影響が大きくて、家にはCDやレコードがたくさんあったので、小さい頃から自然とマイケル・ジャクソンやEarth, Wind & Fireを聴いていました。幼稚園の送り迎えでもそういう音楽が流れていましたし、PSPにもStevie WonderやTOTO、Michael Jacksonを入れて聴いていたくらいでした(笑)。

― お父さんの影響でなんとなく聴いていたのではなく、ご自身でも夢中になって聴いていたんですね。

ケント:そうですね。自分でもすごく好きで聴いていました。中でも一番聴いたのは、圧倒的にTOTOです。ピアノもずっとコピーしていました。TOTOって、ブラックミュージックの影響を受けながらも、白人ロックの完成形みたいなバンドだと思うんです。僕はそこから入って、そのルーツを掘っていくうちに、ブラックミュージックへたどり着きました。

高校ではギターも弾いていて、どうしてもJourneyをやりたいって言って(笑)、何とかメンバーを集めて演奏していました。同じライブでKANA-BOONやSHISHAMOの曲もやって、かなり不思議な組み合わせでしたね(笑)。

—Essence— 
ファンクを核に、日本人ならではの音楽を

― LAEという形になったのはいつ頃なんでしょうか。

リョウ:今の3人になったのは4年前です。その前身となるバンドがあって、大学時代に12人くらいのメンバーで、ソウルやファンクのカバーだけを演奏するプロジェクトをやっていました。ボーカルも2人いて、ホーンセクションもいるような大所帯でした。大学卒業後も「このまま音楽を続けたいね」という話になったんですが、就職するメンバーも多くて。最終的に残ったのがこの3人でした。そこでLAEとして新しく始めようということになりました。

― LAEという名前の由来は?

ケント:「昼飯代稼ぎ」をGoogle翻訳したら「Lunch Allowance Earnings」と出てきたので、そのバンド名になったんです(笑)。

リョウ:大学の広場で昼休みに演奏すると、投げ銭をもらえたんですよ。そのお金でうどんを食べたり、ご飯を食べたりしていて。本当に「昼飯代を稼ぐバンド」だったんです。でも誰も名前を覚えてくれないので(笑)、大学を卒業するタイミングでLAEと略すようになりました。

― LAEになって最初はどんな活動をしていたんですか。

リョウ:最初の1年くらいは路上ライブ中心でした。カバーをたくさんやりながら、少しずつオリジナルも増やしていって。最近になって「もっと思い切りファンクをやろう」という方向に切り替えました。

左 ケント、中央 シロマ、右 リョウ

― 最初から今のようなファンク路線ではなかったんですね。

シロマ:そうなんです。もっとインディーポップ寄りというか、ソウルポップみたいな曲が多かったですね。今日演奏した「Homegrown」のような曲も初期からある曲です。

リョウ:最初はニューヨークのLawrenceみたいなバンドを目標にしていました。ソウルやブルースを軸にしたポップスをやるバンドなんですが、そこを目指していたので、最初の頃は結構ポップ寄りだったんです。

でもあるライブで、「ファンクタイム」と称してファンクだけをまとめて演奏するコーナーを作ったら、ものすごく反応が良くて。しかも自分たちも圧倒的に楽しかった。「もうこっちに振り切った方がいいんじゃないか」と思ったんです。

― 曲作りはどういう形で進めているんですか。

リョウ:基本は僕がデモまで全部作ります。デモを作るときは、その時期に心を動かされた曲を何曲か頭に置いて、それを自分の中でマッシュアップするような感覚です。ただ、メロディは日本のJ-POPや邦ロックっぽさを意識しています。トラックはブラックミュージックだけど、メロディはJ-POP。そこは結構意識しています。

― 一聴するとポップなんですが、細かく聴くと構成はかなり複雑ですよね。

リョウ:そういう作り方は多いですね。

シロマ:決めがすごく多いんですよ。

ケント:LAEをサポートしてくれるミュージシャン(ベーシスト)に「このバンドが一番難しい」と言われたことがあります。ほかのバンドのサポートもいろいろやっていますけど、LAEの曲が一番難しいですね。

― 3人ともボーカルをとるのもLAEの特徴です。

ケント:ボーカル専任がいなかったので、誰かが歌わなきゃいけなかった。「このフレーズ弾きながらは歌えない」とか、そういう理由で分担していった結果、今の形になりました。

リョウ:僕は高校時代にベースボーカルをやっていたので多少経験はありましたけど、このジャンルで演奏しながら歌うのは全然別物でした。最初は思うように歌えなかったですね。練習して、ライブを重ねる中で少しずつ身についた感じです。

― 今はどんなペースで活動しているんですか。

リョウ:週に2回くらい集まっています。リハーサルだけじゃなく、SNS用の動画を撮ったりもしています。基本的にはケントの家で集まることが多いですね。

― レコーディングもセルフですか。

リョウ:完全セルフです。ミックスもマスタリングも基本はケントがやっています。ドラムだけスタジオで録るくらいですね。

― 音作りもかなり研究されていますよね。

ケント:スネアの音だけでも本当にいろいろ試しました。

リョウ:ヘッドホンをスネアに挟んで録ったこともあります(笑)。ヘッドホンをマイク代わりにすると、いい感じに割れたサウンドになって、90年代のニュージャックスウィングっぽい音になるんじゃないかと思って。そういうことをやってると、作業の終わりがないんですよ。自分たちだけでやっているから、どこでOKを出すかが一番難しい。

― 制作ではぶつかることはありますか。

シロマ:いや、仲はすごくいいです。

ケント:仲が良すぎて、内輪ネタが多すぎるくらいです(笑)。

リョウ:逆に面白いのが、3人だけで飲みに行ったことが一回もないんですよ。

― そうなんですか?

リョウ:誰かと飲むことはあるんですけど、この3人だけでは一度もない。代わりに銭湯へ行ったり、焼肉を食べたりはします。

シロマ:あらたまって酒を飲んで語り合うみたいなのが、ちょっと恥ずかしいんですよ。

ケント:熱い話をするのも苦手なんです。だから今日みたいな取材じゃないと、将来の話なんてしないですね。

—Future— 
実験を続け、東京ドームで鳴らすことができる音楽を

― では、良い機会なので将来の目標を話してもらえますか。

リョウ:僕個人としては、もっと売れたいです。もちろん、このバンドらしい音楽で。もっと大きなステージで演奏したいという気持ちはあります。ただ、そういう話を普段この2人にしたことはないですね。

シロマ:いや、充分伝わってるよ(笑)。ドームツアーをやりたいという話はしたことがあります。でも、日本でファンクをやって東京ドームまで行けるのかという現実もある。Zeppツアーくらいの規模感なら想像できるけど、その先はまだ前例が少ないですよね。

ケント:僕は東京ドームに立ちたいです。ブルーノ・マーズを東京ドームで観たんですけど、あれだけブラックミュージックを前面に出して、あれだけの人を集められるんだという希望にもなりました。

リョウ:日本でブラックミュージックをやる難しさは、ずっと感じています。だからといって海外へ行っても、本場には敵わない。日本人として育って、J-POPを聴いて育ってきた感覚も活かしたいし、そういうメロディや構成を、ファンクの上に乗せたら面白いんじゃないかと思っていて、そこは今も試行錯誤しています。

― ファンク風のトラックのJ-POP、というのはいくらでもありますが、本質的にファンクのスタイルを取りながら、日本ならではのメロディやコード感を合わせるというのは簡単なことではないですね。

リョウ:J-POPをファンク風にしたものも良いのですが、僕らはファンクの核の上にJ-POPを乗せたい。そこはすごく意識しています。

― 今日のライブを観ていて、その狙いをすごく感じました。演奏や曲が身体的というか、ゾーンに入っていく感じがあって、そこへ日本語のメロディが乗っているのが、とても面白かったです。

リョウ:うれしいです。まだまだ実験を続けていきたいです。ジェームス・ブラウンやPファンクのようなスタイルの日本のバンドはすでにいるので、僕らはミネアポリスファンクを追求していきたいなと思っています。

― 今後の予定と展望を教えてください。

リョウ:まずは11月くらいにワンマンライブをやりたいと思っています。その前にEPもしくはシングルを何曲かリリースして、そこからワンマンにつなげたいですね。

路上ライブも続けたいです。花粉症がひどいので春は少し難しいんですけど(笑)、僕らにとって大事な活動なので。

ケント:バンドとしては、今の関係性を続けていきたいですね。僕らは出会って7〜8年になりますけど、その間だけでも音楽性が大きく変わりました。今日はファンクについて語りましたけど、今後も形は変わっていくと思うんです。

シロマ:今後はAIがもっと当たり前になって、人間が作る音楽とAIが作る音楽の境界も、今より曖昧になっていると思うんです。でも、ライブはなくならないと思います。人がライブを観に行くという行為は、まだまだ価値があるはずですし、ファンクはライブでこそ面白い音楽だと思っています。だから何年後であっても、ライブにたくさん出演し続けていたいですね。

― 生成AIが広がっていく未来を見据えて、フィジカルな音楽を追求すると言うのはとても賢い選択かもしません。

リョウ:この3人は本当に仲がいいし、無二の友達だと思っています。この関係のまま売れて、全国ツアーを回りたいです。この前、水戸へ遠征したんですが、現地のバンドが僕らの音楽をすごく気に入って呼んでくれたんです。それがすごくうれしくて。ちゃんと他県のミュージシャンにも音楽が届いているんだと実感できた出来事でした。だから、日本全国に一人でも「LAEいいな」と思ってくれる人を増やしていきたい。数年後には全国ツアーをやって、すべての県を回れるようになっていたら最高ですね。そのツアー中なら、3人だけでお酒を飲んでもいいことにします(笑)。

文:三木邦洋

写真:師岡学

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