あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。
第24回に登場するのは、DJを軸に、モデル、アーティスト、オーガナイザー/ディレクターとして領域を横断するColdie。幼少期から長くアメリカで暮らし、言葉も文化も異なる環境のなかで、音楽やファッションを人とつながるための「居場所」として吸収してきた。ジャンルや肩書きに自分を閉じ込めず、DJセットからパーティーのキュレーション、音楽制作までをひと続きの表現として捉える、その現在地を聞いた。
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<NEXT UP!的 推しポイント>
- 音楽を「居場所」として身につけた越境的なルーツ
-
DJ、モデル、制作、企画を分けないマルチな表現観
- ジャンルを固定せず、フロアと場を読む柔軟なキュレーション

Coldie(コーディー)
DJ/モデル/アーティスト/オーガナイザー。日本生まれ。幼少期からアメリカで長く生活し、カリフォルニアでスケートやヒップホップをはじめとするストリートカルチャーに触れる。ボストンの大学でファイナンスとマーケティングを学び、帰国後はモデルやDJとして活動。仲間とともにイベントの企画・キュレーションも手がけるほか、近年は自身の音楽制作にも注力している。
―Beginning―
音楽もファッションも、切実な居場所だった
― 幼少期から長くアメリカで暮らしていたそうですね。どんな経緯だったのでしょうか。
生まれたのは日本です。父親の仕事の関係で小さい頃にハンガリーで暮らした時期があって、その後いったん日本に戻りました。小学5年生の終わりくらいに、姉と一緒にアメリカへ行くことになって。カリフォルニアの学校で寮生活を始めました。
― 突然、環境が大きく変わったわけですね。
そうですね。最初は何もかも違いすぎて、「どこにいるんだろう」って感じでした。自分は日本ではカブトムシを捕まえて遊ぶような子どもだったんですけど、向こうでは学校の周りにスケーターがたくさんいて、スケートパークがみんなの集まる場所になっていた。そこで一番かっこいいやつが学校でも人気者、みたいなカルチャーで。「何これ、かっけえ」って、とりあえず見に行くところから始まりました。
― 当時はまだ英語も話せなかった?
日本語しか話せなかったです。だから最初は、とにかく周りを見て吸収するしかなかった。自分が日本人だっていうことを、外から見られることで初めて意識したのもその頃です。言葉がわからないからこそ、コミュニティにどう馴染むかを必死に考えていました。

― そこで音楽が助けになったのでしょうか。
かなり大きかったです。日常会話でわからない言い回しがあると、「この歌詞で言ってたな」と照らし合わせたりして。勉強として覚えるより、音楽やテレビみたいなエンターテインメントから英語を拾っていました。1年くらいでかなり話せるようになったんですけど、音楽はその最初のステップでした。
― もともと音楽好きな家庭だったんですか。
父親が大学時代にロックバンドでベースをやっていて、家にギターがあったり、ライブにも連れていってもらったりしていました。記憶に残っているのはMR. BIGですね。ハードロックなんだけどバラードもあって、って感じが好きでした。でも、アメリカに行く前から自分でいろんな音楽を掘っていたわけではなくて。向こうでルームメイトが、自分の好きな曲を詰めた小さいiPodをくれたんです。それをずっと聴いていました。エミネムもジャスティン・ビーバーもアデルも入っていて、ヒップホップだけじゃなくポップもロックも全部。現地の同世代のセレクションが、そのまま自分の入口になりました。
― ファッションへの関心も、アメリカで強くなった?
そうですね。その後に通った学校では制服があったんですけど、みんな同じ服なのに、襟を立てたり、裾をロールしたり、ソックスや髪型で少しずつ自分の味を出すんですよ。フェードやドレッドみたいな髪型も身近だったし、ラッパーやバスケ選手への憧れも強かった。制限があるからこそ、その中でどう個性を出すかという感覚をそこで覚えた気がします。

― そうした音楽やファッションは、今のColdieさんにとって何なのでしょう。
自分にとっては「居場所」だと思います。言語というか、人とどうつながるか。その場所にいたときに聴いていた音楽が記憶に残っていて、自分を支えてくれている。そもそも音楽を好きになった理由を考えると、言葉がわからない環境で、人と交わるために必要だったんですよね。だから音楽もファッションも、単なる趣味というより、自分と人をつなぐものなんだと思います。
―Essence―
「DJのColdie」ではなく、ColdieがDJをする
― 現在はDJだけでなく、モデル、アーティスト、イベントの企画など、さまざまな活動をしています。自分では何をしている人だと捉えていますか。
最近よく「何がメインなの?」って聞かれるんですよ。DJなのか、アーティストなのか、モデルなのか、ディレクターなのか。でも、自分は何をやっているかよりも、「Coldieという人」として見られたいんです。「DJのColdie」じゃなくて、「ColdieがDJをしている」という順番になりたい。いろんなことをしている人というより、「いろんなことができる人」と思ってもらえたら一番しっくりきます。

― モデルの活動はいつごろ始めたのでしょう。
19歳の頃にスカウトされて事務所に入りました。最初の仕事から写真の世界に触れて、音楽だけじゃない表現の面白さを感じたんです。ファッションと音楽はもともと近いけど、自分の中にもいろんな方法でアウトプットできる力があるんじゃないかって。軸はひとつでも、表現の仕方はひとつじゃなくていいと思うようになりました。
― 大学卒業後、日本に戻ってからはどんな生活でしたか。
ボストンの大学ではファイナンスとマーケティングを学んで、帰国後は最初、金融系の会社で働いていました。夜にDJして、そのまま次の日に出勤する生活で、かなりきつかったですね(笑)。その後は海外クライアントのマーケティングをリモートでやりながらモデル活動をして、そこから独立していきました。音楽活動を本気でやるようになったのは、ここ1〜2年くらいです。
― 仲間とイベントを作るようになったきっかけは?
モデルの撮影やオーディションで会った仲間が多くて、仕事が終わったあとに集まる場所も同じだったんです。そこから「表参道で箱を借りてイベントをやろう」となって。クラブの既存の枠に乗るんじゃなくて、会場を丸ごと借りて、自分たちでアーティストを呼んで、自分たちもDJして、ポップアップも入れて、ゼロから場を作る。そこからクルーとしての意識も強くなりました。
― イベントを作るうえで大切にしていることは何ですか。
キュレーションですね。自分たちが培ってきたセンスを、場全体でアウトプットすることに価値を感じています。音楽だけじゃないということは、言葉で説明しなくても見れば伝わると思う。ちゃんと「居場所」になるものじゃないと意味がないとも思っています。
― イベントではDJだけでなく、ポップアップなど複数のコンテンツを組み合わせていますよね。そういう構成にするのはなぜですか?
たぶん自分たちの世代って、ひとつのことをずっと見続けるのが難しくなっている感覚があるんですよね。「ドーパミンキッズ」みたいな言葉もありますけど、やっている側としても、例えば1時間ずっと同じヒップホップだけだと飽きちゃう感覚はすごくわかる。
だからイベントでも、音楽だけじゃなくてポップアップがあったり、いろんなコンテンツがあったりするほうが自然だと思うんです。DJでも、ヒップホップのパーティーならその軸は守りつつ、R&Bやアフロっぽいものを入れて変化をつける。「ここではこれだけをやらなきゃいけない」と固定されること自体が、今の若い世代にはちょっと息苦しいんじゃないかなと思います。
― 一方で、自分たちが楽しければいい、というわけでもない?
そうですね。何百本もイベントをやってきて、失敗したと思うものもあるんですけど、自分たちのことだけ考えたイベントはうまくいかなかった。DJもイベントも、場所によって集まる人は全然違うし、その場にいる人を見ないといけない。自分が楽しむだけで終わったら、それはもう違うなと思っています。
― 東京のクラブやナイトライフの現在については、どう見ていますか。
クルーで動く人たちがすごく増えてるんですよ。みんなが自分たちでチームを作って、マーケティングも含めて成立させようとしているのはすごく良いことだと思います。競争が生まれて、ビジネスとして育っていく。でも差別化しようとするほど、チーム同士の壁もできる。もっと一緒にできることもあるんじゃないかなとは思いますね。自分は先輩のDJや、韓国や中国で一緒になった人にも「今日のイベント、どう見えました?」って聞くタイプです。自分も周りも、もっと良くしていきたい。

― Coldieさんにとって「成功」はどんな状態でしょう。
今はDJ、モデル、アーティスト、オーガナイザー/ディレクターという4つの柱が、それぞれ違う高さにあってデコボコしているんです。それが同じくらいのところまで上がって、ひとつにつながったとき、自分の柔軟性や良さがやっと形になるのかなって。「DJの人」でも「いろいろやってる人」でもなく、Coldieという人そのものにリスペクトを持ってもらえる。それが今考えている成功に近いです。
― 今後、意外なジャンルとのコラボレーションもありそうですね。
演歌の歌手とはやってみたいです。祖母が美空ひばりさんの曲をよく歌っていて、ずっと耳にしてきたので。歌声をサンプリングしてビートを作るとか、いわゆるコラボというより、その良さを日本の文化として自分の音楽に取り入れてみたい。音楽もファッションも、何か良いと思ったものに対して自分なりのアンサーを返していくことだと思うんです。
― 歌舞伎町は、Coldieさんにはどんな街に見えますか。
「読めない」街ですね。人が読めないというより、その人が何の目的でここにいるのかが読めない。昼に来ても夜に来ても、本当にいろんな人がいるし、「なんでここにいるんだろう?」っていう人との出会いがある。いつ来ても予想がつかないところが面白いです。
―Future―
流れるように、自分のペースで世界へ
― これから力を入れていきたいことを教えてください。
自分主催のイベントも増やしたいし、作品ももっと出していきたいです。曲は実はかなり作っていて、ストックもたくさんあるんですけど、適当な形では出したくない。曲に合うビジュアルも自分でディレクションして、音だけじゃなく作品として出したい。それをどんどん世界に向けて発信していきたいです。

― 制作では、どんなサウンドを探しているのでしょう。
この1年半くらいいろんなサウンドを試してきて、自分に合う感覚として考えているのが「水」なんです。水って形を変えるし、流れるし、何かを洗い流すものでもある。ビートやテクスチャーにも実際に水っぽい音を使っていて、最初から最後まで流れで聴ける作品を作りたいと思っています。
― それは、これまで話してきた“柔軟性”にもつながりますね。
そうだと思います。日本語か英語か、DJかモデルか、みたいに分けるより、自分は自分のペースで動きたい。みんなが売れようとして同じ方向に急ぐ必要はないと思っていて。自分の名前のColdieにも「cold=冷静」という意味を込めていて、いつでも一歩引いて客観視できる自分でいたい。流れながらも、自分の感覚は失わずにいたいですね。
文:三木邦洋
撮影:谷川慶典