あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。
第20回は、フリースタイルバスケットボーラーYuto Bigbomber。数々の凄腕ダンサーたちが集結する「KABUKICHO STREET CYPHER GRAND CHAMPIONSHIP」における2on2で、相方のYOHとタッグを組み優勝したことも記憶に新しい。現在は地元・北海道で教職に就きつつ、シーンの次代を担うボーラーとして注目を集めている彼に、これまでの歩みとこれからの挑戦について聞いた。
NEXT UP!連載はこちら
<NEXT UP!的 推しポイント>
- 「カマすことだけを考える」——競技エリートからカルチャーの表現者へ
- 「言い訳しない」で切り拓いてきたストーリー
- 教職とボーラー、二足の草鞋

Yuto Bigbomber(ユウト・ビッグボンバー)
2004年東京生まれ、北海道育ち。3歳からスキーを始め、小学生からアルペンスキーに打ち込み、高校・大学ともに競技推薦で進学。高校1年生から大学4年の引退までインターハイ、全国学生スキー選手権など、各種全国大会への出場経験を持つ。高校時代、同じ学校の先輩であり現在の相方でもあるYOHとの出会いをきっかけにフリースタイルバスケを始める。大学進学と同時に上京し、競技と並行しながら独自のスタイルを磨き、「IFBC」大学生日本一決定戦準優勝、「Groov Mix 2k25 CHAMPIONSHIP」オープンの全国大会BEST16などの実績を残す。ブレイキンやアクロバットから着想を得たダイナミックなムーブを持ち味とし、2025年にはYOHとのタッグで「KABUKICHO STREET CYPHER GRAND CHAMPIONSHIP」2on2部門を制覇。ジャンルや国籍を超えて人と人をつなぐフリースタイルカルチャーの魅力を体現する、次世代シーン注目の存在。
▼関連記事
【NEXT UP! #19】YOH:音楽と即興で切り拓く、越境するフリースタイル
歌舞伎町から生まれた“新たな聖地”──「Kabukicho Street Cypher」決勝を追う
―Beginnig―
河川敷から始まったフリースタイル人生
― Yutoさんは、もともとアルペンスキーの選手として活動されていたんですよね。
はい。父がスキーのコーチをしていた影響で、3歳の頃から約20年間スキーをしていました。最初は「寒いし嫌だ」と思いながらやっていた記憶があります(笑)。でも、気づけばアルペンスキーの虜になり小学校から大学卒業まで、約13年間現役で活動していました。高校も大学もスキーの推薦で入学して、冬のシーズンは学校を公認欠席して全国のスキー場を転々としてレースに出る学生生活を送っていました。2月に行われた大学生の全国大会をもって現役引退しました。フリースタイルバスケは始めてまだ5年目のあまちゃんです(笑)。

― 全く違うフィールドのフリースタイルバスケとは、どのようにして出会ったのでしょうか?
きっかけは、高校の一個上の先輩だったYOHです。今では練習したり飲んだり、いきなり暇電をかけたりしていますが、当時はただの学校の先輩後輩で、休み時間に教室前でしゃべるくらいだったんですけど、ある日突然、YOHから「河川敷でセッションしようぜ」と呼び出されたんです。
教えてくれるのかなと思ったら、フリースタイルバスケがどのようなものかも分からない僕にいきなりボールを渡してきてサイファー(即興のセッション)することになって。今考えたら、何も知らない素人にいきなりサイファーさせるなんて、とんでもない無茶振りですよね(笑)。
この高校もスキーの推薦で進学したので、スキーをやっていなかったらYOHとも出会っていなかったかもしれません。フリースタイルバスケに出会っていなかったらと思うとゾッとします(笑)。

― 初めてフリースタイルバスケに触れて、どのように感じましたか?
とにかくYOHのスキルが高すぎて、「なんかすごい……」としか言えませんでした。でも、何回か一緒にやるうちにボールを操るというあまりにも新感覚な楽しさと、技をメイクした時の達成感が半端なくて。夢中になって昼間からから夜遅くまでやって、すごく筋肉痛になったのを覚えてます。YOHからエナメルボールを譲り受けて、それから僕のボーラーとしての人生がスタートしました。
― スキーを続けながらフリースタイルバスケをやっていたということでしょうか?
そうですね。当然スキーで進学したので、最初は「スキーがメインで、バスケはあくまで遊び」というスタンスで、夏の間だけフリースタイルをしていました。冬のシーズンはスキーに集中するために、バスケはしないと決めていたんです。ですが、毎年シーズンが終わって半年ぶりにボールに触ると全然できなくて。バトルで負けても「俺はスキーがあるし、半年練習してないから」と、自分に言い訳をしていた時期がありました。
去年か一昨年くらいに、「負け」という現実から逃げている自分がめちゃくちゃダサいなって思ったんです。スキーで大学に行かせてもらっている以上、スキーを一番に考えるのは当たり前。でも、本気で楽しんでいるフリースタイルバスケでも、スキーを理由に負けていいわけがない、負けたくない。「どっちも言い訳せずに、どっちもカマしてやる」というマインドに変わったんです。
意識が変わってからは、少しずつ結果を残せるようになりました。フリースタイルバスケの「大学生日本一決定戦」では日本2位を獲れましたし、オープンの日本一決定戦ではBEST16 、今回の「KABUKICHO STREET CYPHER GRAND CHAMPIONSHIP」での優勝もとても嬉しかったです。今は楽しくてしょうがないです。

― Yutoさんはブレイキンやアクロバットといったダンスの要素も取り入れた動きが特徴的です。もともとダンスは習っていたのでしょうか?
ダンスは一切習ったことがありません。普通のバスケもしたことがなくて、いきなりフリースタイルバスケを始めました。大体部活でバスケをやっていた人がフリースタイルバスケをやるものなので、なかなかレアな存在だと思います(笑)。
ムーブからダンスの要素を感じるのは、ストリートカルチャーに触れてからダンサーへの憧れやリスペクトが強くて、ダンサーの動きを見ながら「この動きかっこいい、やりたい」と、技やフロウにその動きや発想を取り入れているからだと思います。とはいえ、ただボールを持ってステップを踏むだけだと、ダンサーでもできるので、最後はそこにどうやって「フリースタイルバスケのスキルを落とし込むか」を大事にしています。これは難しく感じる点でもあり、面白い点です。
― 具体的に、どのように自分のスタイルを確立していきましたか?
北海道のボーラーは師匠がいる人が多いのですが、僕が始めたのが大学進学の少し前で。大学進学のタイミングで上京したので、教えてもらう環境がなくて。かっこいいと思った動きや自分の好きな技を作っていったらこのスタイルになっていました。今までフリースタイルの土台、基礎の部分を教わることなく、やりたいことだけやってきたので、今は基礎やフロウの練習、丁寧にボールを扱う質を高める時間を設けるようにしています。
あとは、どんな小技でもいいので、1日1個は新しいネタを作るようにしています。たとえそれが没ネタになろうとも、いろいろな物からインスピレーションを受けて作っています。何か技をやろうとして失敗したところから、新しい技が生まれることもあり、引き出しは無限にあると感じています。自信のある技ができた時の爽快感が半端ないです。
―Essence―
優勝へと導いた相方とのシンクロ
― 3月の「KABUKICHO STREET CYPHER GRAND CHAMPIONSHIP」ではチャンピオンの称号を手にしました。大会を振り返っていかがですか。
優勝が決まった瞬間、本当に信じられなかったし、とてもエモーショナルな気持ちになりました。僕にフリースタイルを始めるきっかけをくれた一番のマイメンであるYOHと見る優勝の景色は、言葉に言い表せない、僕の中ですごく意味のある優勝でした。最初は8月くらいにYOHから「明日、歌舞伎町サイファーあるらしいけど、出てみる?」と言われて「暇だし出よう」と二つ返事で出たのが始まり。その回を優勝したことでCHAMPIONSHIPのシードが決まりました。そしてCHAMPIONSHIPの時期は僕もYOHも東京にいるか怪しい時期だったので、出場を決めたのも直前でした。まさか優勝できるとは思っていませんでした。「ストリート」で「サイファー」という、ヒップホップを感じられる「ダンス」のバトルで、フリースタイルバスケをレペゼンして優勝できたことは、とても嬉しいです。
優勝した後に思ったより反響があって会う仲間が次々に祝ってくれて、仲間の暖かさに嬉しくなりました。
あとチーム名の【HGS】は僕らの母校の頭文字をとった略称なんです。本当に前日に二つ返事で決めてしまったので、チーム名を何も考えず「俺らの母校のHGSでいいんじゃね」という適当なノリで決めてしまいました。暇だし行こうのテンションでエントリーして、優勝することなんて考えてなかったのでこの名前に関してはちょっぴり後悔しています(笑)。
― どのような心境でバトルに挑みましたか?
会場がZepp Shinjyuku(TOKYO)だったのですが、僕はショーケースイベントなど出ないので、そこまで大きなステージはあまり立ったことがなく「うわ、すげぇ……」となりました。緊張はしましたが、楽しみの方が勝っていたかも。Zeppのステージからの眺めは最高でした。YOHとは「優勝したら(ラーメン屋の)豚山に行こう」と約束していて、後日、2人で勝利の乾杯を豚山でしました。ここでようやく本当の意味で優勝できました(笑)。有言実行して食べたあの一杯は格別でした。

― 10代から一緒に過ごしてきたお二人だからこそのタッグだと感じました。
実はあのとき、僕たちはルーティン(事前に決めた合わせの動き)を一つも作っていなくて。なかなかスケジュールが合わずに当日を迎えてしまって。イベント名にサイファーとついてるくらいなので、とにかくカマすことだけを考えていました。そしてYOHが1on1も決勝まで勝ち上がったこともあり、相手のムーブ中以外話す時間がなくて。バトル中に「次、どうする?」「俺、いくわ」「ルーティーンなんかやる?」とその場で話しながらやっていました。YOHが1on1を先に優勝したタイミングで「これいける雰囲気出てきた!」と感じました。準決勝まではよかったのですが、決勝の1stムーブでミスをしてしまい、自分としては課題が多く残りました。YOHのおかげと言わせないように、これからも鍛錬あるのみです。
決勝のラストムーブでは、YOHが残り10秒というタイミングで僕にパスを投げてきて。「あ、“あれ”をやれってことなんだな」と直感で分かったので、その技をしたらYOHも最後同じくフリーズしていたんです。そこはやっぱり、YOHとだからこそできたシンクロだったなと思います。気持ちよかったです。
―Future―
このカルチャーの面白さを世界中に知らしめたい
― 現在、ボーラーとして活躍されている一方で、地元・北海道で先生として働かれています。生徒はYutoさんの活動のことを知っていますか?
4月から北海道で保健体育の教員をやっています。今のところ、生徒にも先生にもこの活動のことは言っていません。言っていない理由も特にないんですけど(笑)。「いつか学祭とかでサプライズでパフォーマンスできたら面白いなあ」なんてことを考えたり これは僕だからこそできる面白いことじゃないかと思っています。仕事面では生徒と日々コミュニケーションを取りながら自分も成長中です。アルペンスキーは引退したので、今は仕事を言い訳にせず、教員として働きながら、ボーラーとしてもかまし続けていきたいです。
― あらためてお聞きしたいのですが、Yutoさんが考えるフリースタイルバスケの魅力とは何でしょうか。
ボール一つあれば、年齢も性別も国籍も超えて普通なら出会わなかった人達とフリースタイルバスケを通してつながれるという点です。上京したての頃、知り合いが一人もいなかったんですけど、イベントやバトルに行くにつれて輪が広がっていき、この四年間でバスケはもちろん、ブレイキンやヒップホップ、フリースタイルフット、ダブルダッチなど、ジャンルを超えた仲間が数えきれないほどできました。
上京してすぐ、ダメもとで大御所ボーラーにいきなりDMを送って「一緒に練習させてください」って突撃したんです(笑)。我ながら怖いもの知らずだなと思うと同時に、今ではいいムーブメントだったなと思います。同じカルチャーを愛す者同士、上手い下手関係なく自然と受け入れてくれる人間が多いのも最高です。


― これから先、どのようなボーラーを目指していきたいですか。
たくさんバトルで優勝したいです。それと同時に、スキルの面では名前の通り「big bomb」な技を作っていくことと、音にしっかり乗りたい。ダンサーは本当に細かい音も取ってくるので、見習いたい限りです。大技をバンバン出すスタイルですが、今は音を感じたままに踊り、表現するネクストレベルに向けて練習しています。もっと音を聞けるようになればまた一段と踊るのが楽しくなるだろうなって。
北海道はバトルが少ないので出られるバトルに出て、時間があれば東京にバトルをしに行きたいです。今年もCHAMPIONSHIPに前年度チャンピオン枠で呼んでいただければすぐ飛んでいきたいですね。強者しかいないこのバトルは、1年でどこまで成長できたかを確かめるには最高のステージだと思うので。
あと、めっちゃ個人的な話なんですけど、僕が初めて一人のアーティストに深くのめりこんだ「にしな」さんという方がいて。型にはまらない自由な音楽性と儚い歌声、マイペースな人柄が魅力的なんです。僕の生活のなかにはいつもにしなさんの音楽があるので、いつかにしなさんのMVにフリースタイルバスケットボーラーとして出演したいです。にしなさんの曲が僕の心を躍らせてくれるように、自分もパフォーマンスを通して誰かを勇気付けたり、心を躍らせられるようになりたいです。
あとは気持ちが赴くままにフリースタイルしたいです。社会人になっても昔のように好奇心や初期衝動を忘れずに生きていきたいです。やらない後悔がないようにやりたいことはやる行動力を大事にしていきたいです。「まいぺーすまいぺーす、たまにいそぎあし」。
― フリースタイルシーンがどうなっていくことを願っていますか?
もっともっと大きくなってほしいと同時に、このカルチャーの面白さを世界中に知らしめたいです。フリースタイルバスケはまだまだアングラなカルチャーで、人口も少ないです。だからこそ、活動を通じて次世代の子どもたちが「かっこいい!」「やってみたい!」と思えるきっかけが作れたらいいなと思っています。僕にできることは、今まで通りオールスタイルバトル等に出まくってカマし続け、まだこのカルチャーを見たことがない多くの人にフリースタイルバスケのヤバさを自分のムーブで伝えられればと思います。
ひたすらカマすのみっす!

文:Honoka Yamasaki
写真:谷川慶典