新宿は変化を続けているようで、変わらないものがずっとある街
─ 「DUG」の前身である「DIG」の開店が1961年。5枚のレコードはそれぞれ1960年代にリリースされた作品で、“同時代性”を強く感じるセレクトでした。
里香さん:1960年代というと、「ビバップ」時代。その頃が、ジャズがいちばん熱かった時期だと言っていいと思います。
ジャズは時代と共に少しずつ変化していて。1920年代頃はダンスホールで曲にあわせて踊る、という楽しみ方だったのが、40年代には「このソロがいいね!」と立ち止まって耳を傾ける時代になりました。
─ スタープレイヤーの誕生ですね。
里香さん:その通りです。それからジャズは熟れに熟れて、60年代にはさまざまなミュージシャンが「自分の演奏」を究めるようになりました。
70年代以降にはフュージョンのようなジャンルが派生するなど、どの時代も魅力があるのですが……やっぱり聴いていて“刺さる”曲って、だいたい60年代のものなんです。まさにマスターがDIGを立ち上げた頃の曲。結果、自然とこのセレクトになったのかもしれませんね。
─ マスターの穂積さんがここ新宿に「DIG」をオープンした経緯は、どんなものだったのでしょう?
塁さん:マスターは高校生の頃に観た映画『グレン・ミラー物語』(※)に感銘を受けて、ジャズのレコードを買い集めるようになったそうです。生家は和歌山の農家でしたが、無理やり理由をつけて東京の大学に進学。上京の背景には、農家を継ぐのは絶対に嫌だ!という気持ちもあったようですが(笑)。
(※)グレン・ミラー物語:1954年公開のアメリカ映画。ビッグバンドのリーダー、グレン・ミラーの半生を描いたストーリー
その頃はレコードって高価でなかなか買えない時代です。自宅にオーディオを持っている家庭もほとんどない。ジャズ喫茶のような場所に来ないと、レコードを聴くこともできませんでした。マスターは当時からとにかく、「好きな音楽をみんなに聴いてほしい」という想いが強かったんですね。東京に出てジャズ喫茶に通ううちに、「自分でもやってみたい」と心に決めたようで。大学卒業後すぐ、「DIG」をオープンしています。
新宿を選んだ理由は、たまたまなんじゃないかな? ただ当時の新宿には「木馬」「ポニー」など、たくさんのジャズ喫茶があったので、きっとマスターも足繁く通っていたんでしょうね。
─ その後何回か移転もありましたが、現在、「DUG」として変わらず新宿に店を構えています。新宿という街については、どう思いますか。
塁さん:ここ10年ほどで新宿は目まぐるしく変化していて。毎日新宿に来ている僕ですら、「こんなお店あったっけ!?」と驚くことも多いです(笑)。一方で、「DUG」も含めてですが、新宿にはあちこちに古めかしいものが残っていますよね。変化を続けているようで、変わらないものがずっとあるような。
─ それゆえに、「DUG」のような店に惹かれる人も多いと思います。実際のところ、どんなお客さんがよくいらっしゃいますか?
塁さん:僕よりずっと年上の先輩もいれば、ジャズに興味を持ち始めたばかりの若いお客さんもいます。
今って、音楽の幅がどんどん広くなって、しかもスマホひとつあれば世界中の楽曲が聴ける時代。そんななかで「ジャズ」に興味を持ってこの場所にやってくる──その目的意識が、素晴らしくもありがたいことです。
感受性って人それぞれ違うじゃないですか。同じ音楽を聴いても、いいと思う人がいればそうでもない人もいる。営業中に僕が曲を変えると、それまで動いていなかったお客さんの表情が変わる瞬間があるんです。「これは誰の曲ですか?」なんて聞かれたら、ニヤリとしちゃいます。こうして音楽を“手渡し”するような感覚が、僕は好きですね。
里香さん:最近はレトロブームもあって、「昔ながらの喫茶店でお洒落な写真が撮りたい」という若い方もよく来ます。村上春樹さんのファンの方も多いですね。小説『ノルウェイの森』で、新宿を舞台にいろいろなレコード屋さんや本屋さんが登場するのですが、実名が出てくるのはうちだけだそうです。
塁さん:きっかけはなんでもいいんですよね。ここで音楽を聴いて、「ジャズってこんなものなんだ」と少しでも何か感じてもらえればいい。そう考えると、マスター・中平穂積はやっぱり“農家の息子”なんだと僕は思うんですよ。
─ かつては農業を生業とする実家から飛び出した穂積さんにも、“農家の息子”のDNAが……?
塁さん:穂積さんは、ジャズの「タネ」を蒔いている。だから農家なんです(笑)。たまたま「DUG」に来た子にそのタネが芽生えて、そのうちに「いい店知ってるよ」「ジャズならここだよ」と、周りにも広めていってくれたらうれしいですね。
里香さん:「DUG」に通っていた常連さんが、やがて自分のお店を開くパターンもあるよね。
塁さん:そうそう。都内だけでなく日本各地に、「DIG・DUG」の卒業生が開いたジャズバーがあります。お店に行くと、「俺はなあ、お前の親父さんのせいでこの仕事をやっているんだよ」なんて言われることもあったり(笑)。
「新宿に行けばDUGがある」10年後、20年後もそんな場所でありたい
─ 穂積さんの蒔いたタネは、確実に芽吹いているようですね。
塁さん:僕は22歳の頃、それまでの職場を辞めたタイミングに「DUG」で働くようになりました。マスターから「人手が足りないから暇なら手伝って」と要請されたのがきっかけで。ちょっとの間ならいいか、と思って引き受けたんですが……あれよあれよといううちにいろんなことを任されて、今に至ります。
当時は店の規模が今より大きくて、スタッフも大勢いて。毎日のように通ってくれるお客さんも含めて、なんだか「学校」みたいな、みんな同級生のような和気あいあいとしたムードだったんです。とても仲がよくて……それがあったから、僕も辞められませんでしたね。
塁さん:その空気感を作っていたのは、やっぱりマスターだったのだと思います。みんなが穂積さんを慕って集まってきて、「DUGに来れば何かあるよね」という。
常連のお客さんにも「この場所は絶対に変わらないでください」とよく言われます。10年、20年経っても、「新宿に行けば、DUGがあるかも」と思ってもらえたら最高です。これからも、みんなが帰ってこられる場所でありたい。
─ 時代にあわせて変化しながらも、変わらない基盤がある。新宿の街のようでもあり、まさに、ジャズという音楽ジャンルそのもののようです。それでは最後にお聞きしたいのですが、おふたりが考える“GROOVE”とは?
里香さん:店名のもとになっている「DIG」は、直訳すると“掘る”。ですが、“リズムに乗る”というスラングでもあるんです。 “GROOVE”とは、本来はレコードの“溝”や“彫る”という意味を表す言葉と聞いて、通じるものを感じます。
塁さん:“GROOVE”とは、“流動感”ですね。ひとつにとどまらない、つねに新しいかたちを求めること。ジャズに限らず、音楽は次々派生していくもの。「完成」して変化がなくなったらつまらないじゃないですか。古くから受け継がれるベースももちろん大事ですが、そこでとどまってはいけないと思うんです。そのために、我々もがんばって“掘って”いく毎日です!
文:徳永留依子
写真:坂本美穂子