だが、エスカレーターをやり過ごした先に、まったく様相を異にする歌舞伎町があるのはご存じだろうか。ここから“歌舞伎町で一番高い場所”にたどり着けるのだ。そんな知られざる歌舞伎町、「BELLUSTAR TOKYO, A Pan Pacific Hotel」のメインバーである「Bar Bellustar」に行ってみた。
期待感が高まるアプローチの先にある、とっておきの一店
「Bar Bellustar」にたどり着くには、エレベーターを2本乗り継がねばならない。1階のシックなエントランスで出迎えてくれるホテルスタッフたちに軽く微笑みかけ、まずは18階まで。つい何十秒か前までの歌舞伎町シネシティ広場の喧噪は完全に過去だ。落とした照明に藍鼠色の壁面が印象的な内装、落ち着いた雰囲気のホテルロビーに到着する。悠々とレセプションの前を通り抜け、奥のエレベーターに乗り込むと「45」のボタンを押す。開いたドアから右手に進めば数歩で「Bar Bellustar」。
急に視界は開け、壁全面に開かれた窓から新宿の絶景が広がる。たどり着いた秘密めいた場所な圧倒的な開放感にクラクラする。すべての座席は夜景を堪能すべく窓に向かって配置されている。唯一、それらに背を向けるかたちで座ることになるのがバーカウンターだ。もちろん、歌舞伎町で一番高い場所からの景色とともにお酒を味わうのは他に代えがたい体験だ。
窓辺の座り心地のいい低い椅子に、あるいは夜景に向かって開かれた半円状のボックス席に腰を落ち着けて飲むのは最高。だが一方で、あえて夜景に背を向けてカウンターに向き合うのもまた最高なのである。なぜならそこには、日本屈指のバーテンダーであり、ビバレッジディレクターの吉田茂樹氏がいるから。
歌舞伎町最上階で腕をふるう、世界的バーテンダー
吉田氏は、渋谷「セルリアンタワー東急ホテル」のタワーズバー「ベロビスト」を中心に腕を振るってきたバーテンダーだ。2012年には国際的なバーテンダーのコンペティション「『ディアジオ ワールドクラス』カクテル アゲインスト ザ ロック部門」で優勝するなど、独創的なカクテルのクリエイションには定評がある。2023年の「BELLUSTAR TOKYO, A Pan Pacific Hotel」開業に伴う「Bar Bellustar」立ち上げのために、バーテンダー、そしてビバレッジディレクターとして歌舞伎町の地へやって来た。バーのメニュー設計はもちろん、同じフロアのレストランのお酒の監修も担当している。
「『Bar Bellustar』で心がけているのは、日本の新宿というコンセプトですね。実は最初にこのお店のオープンに関するお話を聞いたとき、ゲームの『龍が如く』を想像しました(笑)。歌舞伎町で非常に大規模な物件を建てて、その最上階が舞台という世界観がマッチしていたんですね。非常にギラギラした世界を想像していたら、実際には、むしろ落ち着いた雰囲気の素敵な空間でした」
しかしそこで、一分の隙もないオーセンティックなバーに仕上げないのが吉田流。
「“歌舞伎町 最上階のバー”というだけでリッチですごくグラマラスじゃないですか。歌舞伎町の喧騒の中を通り抜け、エレベーターを乗り継いでたどり着かれたお客様には、ここでしか味わえない歌舞伎町らしい体験をしていただきたいと考えたんです」
そうして生み出したのが、日本や歌舞伎町をイメージしたシグネチャーカクテル。実は「セルリアンタワー東急ホテル」時代も、渋谷に由来したオリジナルカクテルを開発し、酔客たちを虜にしていた。
新宿・歌舞伎町ならではのシグネチャーカクテルとは
「メニューの最初のページは“FLYING BUBBLES”と題して、食前を意識したソーダやビール、シャンパン割りのカクテルを並べました。ここでオススメなのは、たとえば『イーストサイドフィズ』」
「これはサウスサイドフィズという有名なカクテルを基に、ヨーロッパから見た日本=極東であるファーイーストを踏まえて、『イーストサイド』としました。それでコントラストとしても、底に北海道の『火の帆』というハマナスのジンリキュールを沈めて日の丸のように仕上げました」
長崎の「GOTO GIN」と玄米甘酒の乳酸フレイバーが相まってまろやか。そしてゲスト自ら加えるスポイトの旨味ビターズが想定外の味変を体験させてくれる。これは、歌舞伎町の高さ200メートルの夜景同様、他にはないスペシャルな体験だ。
店を輝かせるのはバーテンダーではなくお客様
続いて吉田氏は、ミキシンググラスに氷と水を入れ、バースプーンをクルクルと回していく。螺旋状にカットされたボディが照明を受けてミラーボールみたいに輝く。きわめて小規模につくられている秩父蒸留所の「Ichiro’s Malt & Grain Classical Edition」、ライ麦ウイスキーの「WHISTLEPIG 12Y OLD WORLD RYE」、ワイン樽で後熟した原酒を加えたサントリー「響 BLENDER’S CHOICE」、スペインで最も歴史あるボデガ バルデスピノ社の「Solera 1842 Oloroso」などが加えられていく。ステアされているグラスからすでに芳醇な香りが立ち上る。
「これは何ですか?」と尋ねると、「新宿サンクチュアリです」とニヤリ。
「『マンハッタン』というスタンダードカクテルをベースに、新宿ならではの味をつくりあげました。Ichiro’s Malt & Grain Classical Editionの優しいスモーキーさに、マンハッタンのルーツであるライウイスキーを加え、20年熟成のオロロソのシェリーの要素を足して、仕上げには新宿高野のチェリーのコンポート」
カウンターの上で素材をステアしている段階で、甘く芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。何より仕上げが別添えの「新宿高野のチェリー」というのが、まさに「新宿」を名乗るカクテルである。
もうひとつのオススメは、ブランデーにホワイトキュラソー、レモンジュースを加えた「サイドカー」というスタンダードカクテルをベースにアレンジを加えた「リュクサーズ」。
「“リュクス”ってゴージャスみたいな意味で、『輝いている』とか『素敵な』という形容詞なんですね。だからまさに、ここに来て存分に楽しんでいただいているみなさんのことなんです。もしかしたら、何年か後には店名が『LUXERS』に変わっているかもしれませんね(笑)。そのくらい、素敵なみなさんに来ていただいていますから」
“リュクス”なこのお店の使い方とは
と、そんなふうにカウンターに腰を下ろし、マエストロの手によるクリエイティブでおいしいカクテルに舌鼓を打っているわけだが、歌舞伎町ど真ん中にしてインバウンドの富裕層御用達のこのホテルのバー、決してお手頃ではない。
ご紹介のシグネチャーカクテルはそれぞれ2,000円代後半から3,000円代。それはしょうがないのだ。吉田氏自ら全国の小規模な蒸留所や日本酒の蔵元を巡るだけでなく、カクテルに最適なスパイスやハーブ、野菜を作る農家を巡って素材を収集し、そこに一切の妥協はないから。それゆえ、ここでしか味わえない独創的なカクテルが生み出されるワケだ。
しかし、失礼を承知で「ちょっとこちらお高いですよね?」と吉田氏に投げかけてみた。「夜景もカクテルの味も最高ですが、おいそれとこちらに来ることはできないですよね?」と、ちょっとイジワルな質問。
すると、吉田氏、満面の笑みで返してくれた。
「確かにお安いわけではないと思います(笑)。でも、当店ではテーブルチャージはいただいていないんですよ。できるかぎり、お酒を楽しんでいただきたいから。気軽に一杯だけでも立ち寄っていただきたいですね」
「もし私がデートなんかで当店を使う場合は、ここでしか飲めないお酒を最初か最後に格好つけて一杯だけ飲んで、2階の『歌舞伎hall』に行ったり、歌舞伎町にたくさんあるお手頃な焼き鳥屋さんや居酒屋に行ったりすると思います。3,000円のお酒を飲んだら、全部それに合わせるのではなく、そこはギャップがあっていいんですよ。ここは安くはないですが、価格に見合うものを自信を持ってご用意しております。少しでも日常的な“飲み”の中に盛り込んでいただければ、楽しい使い方ができると思いますよ」
文:武田篤典
写真:坂本美穂子