— 今日は歌舞伎町での撮影でしたが、歌舞伎町はどんなときに訪れますか?
ゴールデン街のちょっと仲の良いお店に顔を出したりとか、WARP SHINJUKUができたときに気になって行ってみたりしました。あとは、バッティングセンターで自分で映像を撮ったり。新宿で映画を観るときはK’s cinemaか新宿武蔵野館が多いんですけど、『37セカンズ』とか『ノマドランド』はシネコンで観ました。
— ご出身は東京ですよね。学生時代によく遊びに行く街ってどこでしたか?
池袋でしたね。高校1年生の頃は、ソフマップとかに行って安くて面白そうなPSPのソフトを買ってみんなで遊んだり。2年になると音楽ライブに行くのが楽しくなってきて、当時は「羊文学」とかを観に行ってました。3年のときは予備校で新宿に通ってましたね。
— 高校の頃から俳優になろうと思っていたんですか?
思ってなかったですね。あの頃、何になりたかったんだろう。大学行くかどうかもわからなくて、現実逃避でひたすらライブハウスに行ってたのかもしれない。「これがやりたい」ってこともなくて落ちこぼれで、地元の子とつるんでて。そんな中で、短絡的に「年収1000万円以上の職に就きたい」とか考えてました。その頃って、自分の中に価値観がなくて。すごくつまんない話なんですけど、「勝ち組」になりたいと思ってたから、大学受験も「こうなりたい」ではなくて「慶応に行って弁護士になったらすごそう」っていうアホみたいに単純な動機で大学進学しました。
— 今は「年収1000万円稼ぎたい」みたいな気持ちはなさそうに見えます。お金についてはどんな価値観になりましたか?
その後は逆にお金を稼ぐということから距離を置きたくなって、それ以外に大事なことを探してきたけど、また一周回って、今は別の意味でお金は大事ですね。
— それは自分で映画『逆光』を作ったことが大きい?
そうですね。人に何かを一緒にやってもらうことで、お金の大切さが身に染みています。最初はぼんやりとしたお金持ちに憧れて、その後はお金を毛嫌いして、今はお金と向き合わないといけなくなって。そんなふうに、資本に対する価値観が変容してきて、今は普通に大事だなと思いますね。
— お金を毛嫌いしたきっかけはあったんですか?
弁護士を目指して司法試験を受けたこともあったんですよ。大学受験もそうなんですけど、いろんな情報を覚えて、競争原理の中に身を置いて、その刺激を楽しんでいたところがあったんですけど、そんな自分の薄っぺらさに気が付いて。周りでいちばんそういう競争原理の中で長けている友達がいたんです。東大に通っていて、かっこよくて。でもその友達が、そういう自分を放り捨てて瞑想とかの世界にはまっちゃったんですね。どうなんだろう?って思ってたんですけど、そんな彼と話しているうちに、上を目指していてもどこかに行けるわけじゃないってことに気づかされて、それが自分には深く刺さりました。それで、僕もそれまでのことを投げ捨てて俳優になりました。
— そこで俳優という職業を思いついたのはなぜなんですかね?
勉強したら結果が出るという世界ではないものに一回くらい身を置いてみたかったんですかね。ライブハウスに行っていたのも、表現ということに憧れてたんでしょうね。曲を作って歌詞を書いて歌うって、わけわかんないじゃないですか。芝居も、誰かになることってなんだろうとか、泣くってなんだろうと思って興味が湧いてきて。その頃、モデルみたいな感じで写真を撮ってもらうことがたまにあって、その延長で俳優になってみたいと思ったんです。そこも浅はかな動機だったんですけど。
— 写真を撮ってもらってたところから、俳優になるというステップはどんな感じだったんですか?
「MEN’S NON-NO」(集英社)の専属モデルオーディションを受けて、最終まで残って落ちて。負けず嫌いなので、なんとかして事務所に入ろうと思って実現しました。でも後から考えると、同じオーディションを受けた人と競争していたという意味では、大学受験と変わらなかったんですよね。だから、そこからが大変でしたね。
— その後を見ている側からすると、オーディションで納得のいく仕事に出会えている感じがしていましたけど、やっぱり大変は大変ですよね。
そこは運がよかったけど、最初のうちはオーディションもなかなか受けられなくて。2個目か3個目のオーディションが『ワンダーウォール』(NHK BSドラマ/2018年放送)だったんです。そこから、また考え方が変わりました。事務所に入った時点では「ガワ」しか見てなかったんで。このときに、ものの見方の転換が、パラダイムシフトが起こったんです。
— そのパラダイムシフトとはどういうものですか。
経済至上主義というものが世にある中で、『ワンダーウォール』は古い学生寮の話をモチーフにしてそれ以外の価値を見出していく作品でした。そういう問題意識や考え方が、当時、弁護士を目指すのをやめて俳優になったものの同じところでぐるぐるしていた自分にしっくりきて、助かったというか。
— 『ワンダーウォール』で須藤さんが演じたキューピーが高校時代に学生寮を見て恋めいた感情を覚えたシーンと、須藤さん自身がつながってるような感覚がありますね。あの学生寮って単なる学生寮なんだけど、なにかそういう経済至上主義とは違う価値観が宿っている感覚をキューピーも得たんだなと思えて。
古い学生寮とか、それこそ尾道とか、ほっとするんですよね。自分の価値を誰かの尺度で測られない感じがして。『ワンダーウォール』のときに知り合った学生寮の人たちと今でも仲がいいですよ。
— 脚本家の渡辺あやさんともそこで出会ったわけですが、「一緒に作品をつくりたい」という感情は、どんなふうに生まれたんですか?
『ワンダーウォール』はすごく楽しくて、それは脚本の良さがあってこそだと気づいたんです。俳優がどんなに頑張っても、脚本からは逃れられない。渡辺あやさんの脚本は、どの作品も切れ味があって役者も立って見えて面白い。どれを観てもがっかりすることがないんです。それで「この人と一緒にやりたい」と思いました。俳優ならみんな一緒にやりたいと思うんじゃないかな。でも、あやさんって、同じ役者さんと二度、三度とやることが少ないんです。妻夫木聡さん(渡辺あや単独脚本作品の出演は『ジョゼと虎と魚たち』『ノーボーイズ、ノークライ』)や綾野剛さん(同『カーネーション』『ロング・グッドバイ』)ですら二度一緒にやったくらい。だから、オーディションでたまたま受かった自分に二度目はないだろうし、やれたとしても10年かかるかもしれない。自分がそれまで俳優を続けているかもわからないから、とにかく早く一緒にやりたいと思って。
— ご本人に伝えたのはいつ頃だったんですか?
『ワンダーウォール』の頃から思っていて、その頃からふわっと言ってました。そんな簡単なことじゃないから、どうすれば形になるのか考えましたね。若いうちにやらないといけない、力を貸してもらわないといけないと思ってたから。僕は、「これ」と決めたら、何がなんでもやりたいと動くタイプなんです。だからとにかく本人に伝えて。でも最初は断られました。その後、自分で書いた脚本を持っていくようになりました。あやさんはほんわかした可愛らしい人なんですけど、いざ創作のこととなると厳しい人です。優しさと厳しさが共存していて、「承認欲求だけでは創作はできないよ」「そのガソリンじゃ走れないよ」とか、そういう言葉が週1回くらいのペースでシュッと飛んできました。当時の僕には斬られたことすらわからないほどでした。
— 大事なことではありますよね。それは『ワンダーウォール』で出会ったときには指摘されてないことですよね?
『ワンダーウォール』の頃は大学生で、立ってるところも違い過ぎて、言うに値するレベルじゃなかったから言われなかったんじゃないかなと。やっぱり、「一緒にものを作りたいです」って言ったことによってハードルがあがったんだと思います。そういう指摘を受けながら、自分で書いたものを今度は映像で撮って持っていって。
— それが、最初に言われていた、歌舞伎町のバッティングセンターで撮ったものなんですね。
そこから渡辺あやさんに自分の書いた脚本を直してもらうことを繰り返すうちに、映画『blue rondo』の脚本が出来上がりました。ただ、それがコロナで撮影が延期になったので、『逆光』を書いてもらうことになりました。状況を見ても、今の東京で撮影するのは無理だと思ったし、『blue rondo』は自分の中から生み出した物語であるという意味で渾身の作品でもあるんです。それをこの状況下で撮ることはできないと思って。尾道には僕のつながりもあって、映画にも優しい街なので、ここで撮ることで、コロナ禍であってもクオリティを保って作れるんじゃないかと思ったんです。
— 『逆光』に関しては、脚本に須藤さんのクレジットはないですが、プロットでアイデアを出したりはしていないんですか?
脚本はぜんぜん関わってないです。やっぱり、脚本の才能ってのはまだないなと。24、5歳で書けるものなんて、やっぱり限られてると思うんです。僕自身が近代文学が好きなので、そこと比べるとクソだなと思えて。書くのも遅くて『blue rondo』の脚本を書くのに1年かかったし、さらに今度は1970年代の尾道のことだから、より書けないなって。でも、アイデアは出しました。こういう人に出てほしい、こういうシーンを撮りたいっていうことを中心に。踊っているシーンや、みーこが歌ってるシーンがほしいとか、そのあたりは反映されています。
— 『逆光』は、『ワンダーウォール』で共演した中崎敏さんをはじめとして、魅力的な役者さんが出られていますよね。
あやさんから中崎くんを使いたいという提案がありました。富山えり子さんも、僕が舞台でご一緒していたので、いいのではないかと話が持ち上がりました。役者が先に決まったところで、あやさんが「70年代の尾道がいいんじゃないか」って提案をしてくれたんです。それまでは「中途半端に物事をやるのはよくない。最後まで出来ない人に渡す台本はない」と言われていたところから、一歩進んだんですよね。それを聞いて「じゃあロケハンをしましょう。明日から尾道行くんで」ってことで、新幹線に飛び乗りました。
— 須藤さんが演じる晃と中崎さん演じる吉岡との関係性の着想は、どこからきてるんでしょう?
そこはあやさんの提案ですね。「『つるばらつるばら』(大島弓子)ってどうなったんですか?」って話からふわっと沸いた感じだったかな。
— 以前に渡辺あやさんが、『つるばらつるばら』の脚本を準備していたという話がウィキペディアなどに載っていますが、そのことですね。中崎さんとは『ワンダーウォール』の後も交流があったんですか?
仲がいいです。頭が良くて、気概があって、まだ芽が出てなくて、自分をとりまく環境にジレンマを抱えているというような、僕と同じようなところがたくさんあって。『blue rondo』も、可能性があるのに使われていない役者とやりたくて始まったところがあります。その企画をした2年前の自分……今は幸せになっちゃってるけど、そのときの自分が見たときに、若い役者の魅力が伝わる作品を、若い自分が撮ったらいいなって思って。
— 今は幸せになっちゃってるというのは、どういう感覚なんですか?
けっこう哲学的飛躍みたいな感じで恥ずかしいんですけど、弁護士になりたいとか、役者になりたいとか、自分がどうあるかを主体的に選んでいたつもりが、実は周りの目に動かされた反応的な選択になっているところがあったんです。それってある意味狭い世界にどんどんいっちゃうと思っていて。でも映画を撮るのは「自分がこういうものを作りたい」「こういう人とやりたい」ということから始まってるから、主体的に物事を選択して、関わってくれた人にも主体的に参加してもらいたいと考えられたんです。そういうことを意識していたら、個人という単位で考えるのではなく、作品に関わってくれた人たちを含めた単位で考えられるようになってきたんです。そうやって個人の成功よりも大事なものができたことが、個人の幸せにつながるってわかったので、そういう意味で楽になったなって。
— 映画を作るときに感じたことが、また俳優をするときにはどうなると思いますか? そのときも、個人じゃなくて「みんなで作っている」という単位でみれば矛盾がないかもしれないですけど。
選べばいいんじゃないですかね。責任を持って、自分がやりたいと思うことをすればいい。僕も「チャンスになるからこれをしよう」と選ぶこともあるにはあったけど、俳優として売れることが正解じゃないし、そのときどきの自分に従えばいいのかなと。それって、そんなに難しいことじゃなかったんだなと感じます。そういう意味では、そんなに簡単にいかないこともあるだろうけど、これからも楽しい俳優仕事に出会えるかもしれない。やっぱり楽しくないと消耗するから、自分の知らないことを知れるような仕事を、俳優業に限らずやっていきたいです。でも、振り返ると、これまでやってきた『いだてん』(NHK大河ドラマ/2019年放送)にしても『よこがお』(2019年公開)にしても楽しかったし、舞台もうまくはできなかったけど楽しかったし。そういうところで勉強することは好きです。
(深田晃司監督の現場で学んだこととは……<後編>に続く)
須藤蓮(すどう・れん)
1996年7月22日生まれ、東京都出身。大学在学中に「第31回MEN’S NON-NO専属モデルオーディション」でファイナリストとなり、2017年秋より俳優として活動を開始。2018年にオーディションでドラマ『ワンダーウォール』(NHK BSプレミアム)出演の機会をつかみ、同作で注目を集める。その後、NHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』や映画『よこがお』などに出演。『逆光』『blue rondo』ではプロデューサー兼監督として資金集めから主体的に活動している。
映画『逆光』
出演:須藤蓮 中崎敏 富山えり子ほか
監督:須藤蓮
脚本:渡辺あや
音楽:大友良英
企画:渡辺あや、須藤蓮
7月17日より広島県尾道市で先行公開後、全国順次上映予定
(C)2021『逆光』FILM
Photo:山本佳代子
Styling:高橋達之真
Text:西森路代
Edit:斎藤岬
※衣装協力:Foyer