現在、歌舞伎町では『歌舞伎町大歌舞伎』が上演されている。東急歌舞伎町タワー6階「THEATER MILANO-Za」での初の大歌舞伎公演だ。この公演をより多くの人々に知ってもらうために、出演の中村勘九郎さん、中村七之助さんらが新宿・歌舞伎町の街を練り歩いた。JR新宿駅東口に面した新宿モア4番街を人力車で出発し、ゴールとなる新宿シネシティ広場までの「大お練り」。そしてそこでは、「歌舞伎町に歌舞伎がやってきた!」ことを祝うさまざまなイベントが開催された。そんな記念すべき大型連休初日の模様をレポートする。
歌舞伎町で歌舞伎公演!中村勘九郎・七之助そろい踏み
「歌舞伎町」という街の名前は、戦後、歌舞伎劇場を誘致する計画が立てられていたことに由来する。しかし計画は、金融政策や建築制限令などによって頓挫。
その後、歌舞伎町で歌舞伎の公演は2019年5月、中村獅童さんらが出演する『オフシアター歌舞伎』まで行われなかった。そして今回、中村勘九郎さん・七之助さんによってまた新たな歌舞伎の公演が行われることになったのだ。「歌舞伎町で歌舞伎」、盛り上がらないわけがない。大お練りのゴール地点にして「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」の会場であるシネシティ広場には、日傘の方や和服の方、推しの役者さんの名が書かれた巨大な蛍光色のうちわを手にした方など、イベント開催の1時間ほど前から多くの観衆が集まった。
大向こうの声も飛び交う新宿・歌舞伎町の「大お練り」
午後1時、大お練りがモア4番街を出発。スーツ姿の関係者を先頭に、黒紋付の正装が艶やかでクールな神楽坂組合の芸妓たちが続き、さらに黒地に白の八本線が入った半纏を身にまとった木遣りが高らかに声を響かせる。
そしていよいよ出演者を乗せた人力車が! 中村勘九郎さんを先頭に、七之助さん、虎之介さん、勘九郎さんの長男・勘太郎さん、次男の長三郎さん、鶴松さん。
総勢40名の大お練りは、モア4番街からアルタ前をやり過ごし、巨大な3D三毛猫でおなじみのクロス新宿ビジョン前を右折。モア2番街を通り抜けて、なんと靖国通りを横断。ゴジラロードを直進し、左へカーブを曲がるとシネシティ広場が見えてくる。
おおよそ600mほどの道程を、ゆったり30分以上かけて練り歩いてゆく。三角コーンとバーで仕切られた沿道では、たくさんの人々がスマホを構え、勘九郎さんたちはにこやかに左右に手を振りながらゆっくり通り過ぎる。まるで歌舞伎座のように大向こうから「中村屋!」「成駒家!」の声がかかる。
ちなみに最初に通り過ぎてゆくモア4番街・2番街の「モア(MOA)」とは「Mixture Of Ages(=世代の交差点)」という語から名付けられたそうで、そもそもいろいろな世代の人々が行き交う新宿が、大お練りの出現によって、人種も属性もいつも以上に多様な街と化しているのが見て取れた。
そうして大お練りは、多くの観客を引き連れて東急歌舞伎町タワー屋外ステージに到着。あらためてルートを振り返ると、モアから靖国通り、ゴジラロードからシネシティ広場まで、大いに盛り上がりつつも大きな混乱なくたどり着くことができた。これはひとえに“大お練り専用ロード”をきちんと設定したおかげで、異なる商店街組合と新宿区との良き結託がなければ実現しなかったのだろうと想像する。
出演者のみなさん、実は新宿に思い入れたっぷり
そして会場で佇んでいたみなさまお待ちかねの舞台挨拶がスタート。歌舞伎の勇武・豪壮な役柄を表現した隈取り「火焔隈(かえんぐま)」をデザインしたステージ上には、『歌舞伎町大歌舞伎』の出演者のみなさん。
そんな舞台を横目にエスカレーターでたくさんの人々が東急歌舞伎町タワーに吸い込まれていく。シネシティ広場に集まった人々を見ると、外国からのお客さんも数多く混ざっているような状態で、とても歌舞伎町らしい現場なのであった。
この“お祭り”の実行委員長である歌舞伎町商店街振興組合名誉会長の片桐基次さんと吉住健一新宿区長の挨拶に続いて、マイクを手にしたのは勘九郎さん。
「全国いろいろなところでお練りをさせていただきましたが、生まれも育ちも東京の私にとって、東京でのお練りはちょっとこっぱずかしかったんですけれども(笑)、人力車で新宿の駅前アルタ前を通って靖国通りを横断なんて、一生に一度できるかできないかという体験をさせていただきました」と興奮気味に語る。
そんなレアなお練りを実現した関係者に感謝の辞を述べ、「今度は私たちが舞台からみなさまにパワーをお返しする番でございます」と締めた。
七之助さんは、ステージから見える、今では地域唯一のボウリング場となった「新宿コパボウル」を指して、思い出を語った。
「学生時代に新宿でよく遊んでいたのですが、40歳になり久しぶりに新宿に来たらアルタ前のフルーツ屋さんは無くなっていますし、この東急歌舞伎町タワーのようなすごいビルもできていて衝撃を受けました(笑)。でも変わらないものもあって、学生時代に私が人生最高スコアを出したのが、そのボウリング場です。そんな新しいものと古いものが混在している街の、新しい『THEATER MILANO-Za』で初めて歌舞伎をやらせていただくことを、本当に嬉しく思います」
そうして俳優のみなさんが『歌舞伎町大歌舞伎』への意気込みと、新宿という街への思いを語り、お集まりの中村屋推しの方々は「七之助さんはお母さんに似てきた」「長三郎くんのあの舞台を観た」なんて口々に語り合いつつ、歌舞伎町での久々の歌舞伎公演への期待感と多幸感をたっぷり残して、大お練りからの舞台挨拶は無事終わりを告げたのであった。
夜までシネシティ広場は歌舞伎のお祭りだった
だが「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」、これで幕ではなかった。舞台挨拶の終了とともに潮が引くように会場を後にした歌舞伎ファンのみなさまのいたスペースにはテーブルと椅子がセットされ、5台のキッチンカーが徐々にオープンしはじめた。
パスタ屋さんもフレンチフライ専門店も、大分唐揚げ丼のお店も天然氷を使ったかき氷店も、柿色・黒・萌葱色の3色のストライプが馴染み深い歌舞伎の「定式幕」をイメージした歌舞伎コラボメニューを提供。
さらに、ステージ上には歌舞伎の公演を司る松竹芸能所属の芸人さんたちが次々と登場。吸い寄せられた観衆を魅了した。
手練れの芸人さんたちの鉄板営業ネタが炸裂。そして、歌舞伎町に集まったお客さんたちの驚くほどにすばらしいノリについても記しておこう。
日が暮れた頃には、日本屈指の実力を誇る若手男性琴奏者の箏男kotomen 大川義秋さんがお琴の生演奏を。日本舞踊の美しさを発信し女性舞踊家の活躍の場を広げることを目指して松竹がスタートさせた「松竹阿国ラボ」の日本舞踊家のユニット「桜途里(オードリー)」とセッションを行った。
新宿・歌舞伎町での歌舞伎の公演という悲願の実現をみんなで盛り上げる、伝統と新しさを融合させたさまざまな取り組みを、フラリと立ち寄って体験できる他に類を見ない“フェス”となったのであった。
なお、こうしたもろもろのカルチャーのミクスチャー自体、とても歌舞伎町らしいイベントだったのだが、会場からは見えない場所で、ホスト風のスタイリングとメイクでキメた出演者のみなさんによるアドトラックが街を走行しているのも、まさに歌舞伎町大歌舞伎ならではの、もうひとつのお練りといえるかもしれない。
同日、同会場での「芸能祭」も和やかに盛り上がった
さて、歌舞伎俳優のみなさんの華やかな大お練りと舞台挨拶、芸人さんのさすがの手練れなステージで熱く盛り上がった「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」だったが、その後も夜まで人出は絶えなかった。
「歌舞伎が街にやってくる」ことを喜び、一層盛り上げたいという思いで、地元商店街が主催する「芸能祭」というイベントも実施されていたのだ。
広場のTOHOシネマ側に5つのテントを設置し、来場者は様々な歌舞伎体験が楽しむことができた。実際に歌舞伎の小道具を手がけている業者さんによる「歌舞伎小道具体験」では、行李と小豆を使って波音を鳴らす装置や、職人による兜をかぶることができたり、歌舞伎の隈取りをボディペイントしてもらえたり。
さらには会場の一角で、太鼓のバチでジャグリングしたり、傘の上でマスをクルクル回したりする「太神楽(だいかぐら)」の披露も。
華のある歌舞伎俳優のみなさんのお目見えで一気に広場のテンションも上がった「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」。さらには、楽しく日本の伝統芸能を体験して楽しめる「芸能祭」の二本立て。歌舞伎町を舞台に歌舞伎と伝統芸能のコンテンツを提供することで、日本全国から、そして全世界から集った多くの観光客のみなさんも「歌舞伎町=歌舞伎の街」というフレッシュな解釈を持つことができたような気がする。きらびやかで美味で面白くて、シンプルに楽しいイベントであった。次の開催も期待したい。
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文:武田篤典
写真:坂本美穂子、大お練りの一部は提供