新・歌舞伎町ガイド

エリア

FOLLOW US:

現代美術家・篠原有司男に聞く60年代の新宿 〜ボクシング・ペイント制作レポート(前編)

歌舞伎町

インタビュー 観る
アート
DATE : 2023.02.03
2021年末のとある日、NY在住の前衛アーティスト・篠原有司男による「ボクシング・ペインティング」が行われた。制作された「オーロラの夢」は、2023年4月14日オープンの東急歌舞伎町タワーに展示される予定だ。そこで今回は、この偉大な芸術家の制作風景、そしてロング・インタビューを前後編に分けてお伝えしていく。

篠原有司男の新作「オーロラの夢」制作レポート

2021年末のとある日、都内某所の制作現場に足を踏み入れると、壁に貼られた金と銀の2色で彩られた縦180cm、横1,000cmほどの巨大な下地が視界に飛び込んできた。視線を落とすと敷き詰められた防水シートの上に絵具で満たされたバケツがふたつ。寒さも手伝ってか、会場にピンと張り詰めた緊張が肌を刺してくるような感覚に襲われる。

会場にカメラのシャッター音が鳴り響く。その先には、上半身は裸、カットオフしたワークパンツという出で立ちの男性の姿があった。現代アート界のリヴィング・レジェンド、篠原有司男(しのはらうしお)のお出ましだ。

まずは彼の経歴を簡単に紹介しよう。

photo:竹之内祐幸

篠原有司男は、1932年東京生まれ。ニューヨーク在住。20歳の時に東京藝術大学に入学し、在学中から自由出品制の展覧会「読売アンデパンダン展(※)」に参加するようになる。やがてニューヨークで巻き起こっていた芸術運動「ネオダダ(※)」に触発された篠原は、同展に出品していた吉村益信(※)赤瀬川原平(※)荒川修作(※)らと伝説のアーティスト集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成。新宿区百人町のアトリエ「ホワイト・ハウス」を拠点として、旧態依然とした日本画壇に旋風を巻き起こしていく。

読売アンデパンダン展:1949年から1963年にかけて東京都美術館で開催されていた公募展。あらゆる人に門戸が開かれていたため、篠原を始めとする過激な作風の若手アーティストにとって貴重な発表の場となっていた。

ネオダダ:20世紀初頭の芸術思想運動「ダダイズム」の反権威性を受け継ぎ、1950〜60年代にニューヨークで起こった。日常のごくありふれた物、時には廃物を材料としたコラージュ的な表現や「ハプニング」を始めとするパフォーマンスなどを展開した。

吉村益信(よしむらますのぶ):ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの主宰者。武蔵野美術学校油絵科(現・武蔵野美術大学)卒業後、読売アンデパンダン展に出品。1957年に新宿区百人町に土地を購入し、建築家・磯崎新に設計を依頼して、住居兼アトリエ、通称「新宿ホワイトハウス」を建設。大分県で赤瀬川原平らと同じ絵画サークル「新世紀群」に所属していた。

赤瀬川源平(あかせがわげんぺい):前衛美術家、作家。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。吉村の誘いでネオ・ダダイズム・オルガナイザーズに参加。その後、1963年に高松次郎、中西夏之と前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成。日常空間での過激なパフォーマンスで注目を集める。芸術作品として「千円札の模型」を作ったことで通貨及証券模造取締法違反に問われ、法廷において前衛芸術の意味が争われた「千円札裁判」でも知られている。

荒川修作(あらかわしゅうさく):前衛美術家。武蔵野美術学校中退。赤瀬川の紹介でネオ・ダダイズム・オルガナイザーズに参加。図形、文字、矢印などを描き込んだ「図形絵画」のほか、90年代以降は人間の身体に直接的な影響を与える建物〜庭園の建築も。岐阜県のテーマパーク「養老天命反転地」も荒川の作品。

そんな篠原の名を広めたのが「ボクシング・ペインティング」と呼ばれる表現手法だった。既存の「アクション・ペインティング」(※)とは一線を画した、拳と大量の絵具を使って瞬間的な感覚を「叩きつける」スタイルは、世に衝撃をもって受け入れられ、以後篠原の代名詞ともなっていく。

アクション・ペインティング:1940年代後半から広がっていった絵画様式。「丁寧に描いていく」のではなく、ドリッピング(垂らす)、スパッタリング(飛び散らせる)といった技法を駆使して、紙やキャンバスに顔料を乗せていく。「描く」という行為も作品の一部として強調した。

さらに篠原は海外の大物アーティストの作品のイミテーションアートを制作、浮世絵をテーマに顔のない人物像を描いた作品群<花魁>シリーズなどでも注目を集めていく。

順調に個展を重ねていた篠原は、やがて1969年にロックフェラー3世奨学金を獲得し、現代美術の最前線たるNYへと移住。現在に至るまで現地で創作活動を続けている。

photo:竹之内祐幸

やおらスポンジ付きのボクシンググローブを装着した篠原は、あと1か月で90歳を迎える。89歳最後のボクシング・ペイントであった。吐く息が白くなる真冬である。篠原がグローブに絵具を染み渡らせ、鈍い音を立てながら壁を殴り始める。拳が繰り出される瞬間、篠原の上腕筋が、三角筋が盛り上がる。90歳になる寸前の肉体が輝きを放ち、しなやかに躍動を続ける。青と緑の絵具が下絵の上で激しく炸裂し、飛び散り、美しくドリップしていく。古風な屏風を思わせる背景が、瞬く間に鮮やかなパンチで彩られていく。同時に会場を支配していた緊張感が華やかに塗り替えられていく。思わず息を呑む。

今回の作品の金、銀、緑、紫という配色は、江戸中期を代表する画家・尾形光琳が描いた国宝『燕子花図(かきつばたず)』と共通するらしい。が、篠原の美しく、また暴力的とも言えるパフォーマンス、拳の痕、そこから激しくドリップしていく絵具は、感情や衝動が剥き出しになった都市のグラフィティをも思い起こさせる。篠原は現代アート作家であると同時にアンダーグラウンド・カルチャーが花盛りだった60年代の新宿で美意識を研ぎ上げ、ポップ・アートやグラフィティが大ブレイクしていたNYに1969年に渡り、タフな環境で活動を続けてきた都市のサヴァイバーでもある。彼の作品からストリートの匂いが感じられるのは、ある種当然のことなのかもしれない。

photo:竹之内祐幸

篠原はおよそ10分間に渡って、なにかに取り憑かれたかのように壁を殴り続け、作品の左下に「牛男」とサインを入れ、この日の制作を締めくくった。サンドバッグをノンストップで10分間叩き続けるのに、どれほどの体力を必要とするのか。

photo:竹之内祐幸

一般的に「老境」と言われる年齢に達した今、なぜ篠原はこれほど衝動に満ちた、力強い表現が出来るのだろうか。その原点とも言える60年代の新宿の街で、どのような青春時代を過ごしていたのだろうか。後編では、制作を終えた直後の篠原有司男氏と篠原氏のパートナーとして、そして画家として注目を集める篠原乃り子(のりこ)氏に詳しく話を聞いた。

篠原有司男

1932年東京生まれ。1960年に結成された「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」主要メンバー。新宿でのパフォーマンスや破天荒な活動で日本の美術界に衝撃を与える。1969年渡米以降、ニューヨークを拠点に活動。原色を大胆に使った大型の絵画や「ボクシング・ペインティング」など、エネルギッシュな作品で国内外から高い評価を受ける。

(撮影)丸尾隆一

 

《オーロラの夢》

キャンバスにアクリル H180xW1000cm
新宿「ホワイトハウス」を拠点に活動した前衛芸術グループのメンバーである篠原。代名詞と言える「ボクシング・ペインティング」は、絵筆の代わりにグローブに絵具を浸しキャンバスをヒットして描く、時間軸をもった絵画作品。日本の伝統的な絵画を思わせる色味を用い、伝統と革新の融合を、雄大に広がるオーロラのような大画面に描き出された本作は、1階エントランスにて、新宿歌舞伎町という街のエネルギーを来館者に体感させる。

photo:キャプションに記載のないものはパフォーマンス記録映像より抜粋
text:DAI YOSHIDA

こんな記事もおすすめ