— 歌舞伎町の思い出はありますか?
21歳のときに、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』(2015年)のレッドカーペットイベントでパフォーマンスしたんですよ。新宿東宝ビルのゴジラの口のところからワイヤーで吊るされてビルの壁を降りてくるというスタントをやりました。
— 今日撮影した屋上よりもはるかに高そうですね。
めちゃくちゃ高いです。もう二度とやれないと思います。『ミッション・インポッシブル』のあの黒のスーツを着て、MIYAVIさんのギターに合わせてパフォーマンスしました。
— 丞威さんが出演された映画『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』(2020年)は舞台が新宿でしたが、あれはセットも多かったんですよね。
僕のシーンは歌舞伎町での撮影はなかったんです。でも、東京での撮影のシーンは見に行きましたね。やっぱりあの映画は中国に歌舞伎町のセットを作ったというのが大きいですね。映画には映ってないところも細かく作っていて面白いですよ。
— 撮影に参加して、日本との違いは感じましたか?
現場で上下関係がなくてすごくいいなと思いました。役者にとってストレスになるような怒号が飛んでくることもないので、若いスタッフたちも仕事が早いし、意見も言える。香港のスタッフも中国のスタッフも、僕や監督の谷垣さんのように日本のスタッフもいて、コラボしながら撮影していました。
— 日本人である谷垣健治さんの監督作品で、しかも中国や香港での旧正月映画でした。旧正月映画には娯楽作品の王道しかかからないわけで、香港映画好きからするとその重みはすごくわかります。そんな中で、主要な役を演じるということはいかがでしたか?
僕も当時、23歳でこんなふうに呼ばれていいのかなと思いましたね。谷垣さんとは何度かお仕事させてもらっていて、「丞威なら大丈夫」と言ってもらったのでやれました。
— 谷垣さんと初めて会われたのは?
20歳くらいのときに、谷垣さんが手掛けるプロモーションビデオ(プロジェクト「VOICES」)で、僕の名前を挙げてもらって呼んでいただいたのが最初です。そのあとも何度かありました。日本のアクション監督さんは、谷垣さんにしても、大内(貴仁)さんにしても仕事させてもらっています。
— 大内さんは『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』(2017年)でもご一緒されていましたね。丞威さんが初めてがっつりアクションをやったのはどの作品になるんですか?
16歳のときに初めて主演した『琉球バトルロワイアル』(2013年)です。そこから、気づいたらアクションばかりやっていましたね。そもそもアクション俳優になろうとは思ってなかったんです。両親がダンサーで家がダンススタジオだったので、生まれた環境としてダンスがナチュラルにありました。だからこそダンスは仕事にしたくないと思って俳優の道を選びました。ダンスのほかに格闘技もやっていたので、武器になると思ってはいたんです。けど、気づいたらアクション俳優になってますね。でも、小さいときからジャッキーやブルース・リーばかり見ていたし、結局なるべくしてなったのかなとも思っています。
— 今はアメリカと日本を行き来して活動されていますが、どちらにおいてもやっぱりアクションがあると強みになるのではないかと思います。
今の日本でアクション俳優は少ないですし、アクションを求められる機会も少ないので、立場としては難しいんですが、アメリカで勝負するとなったとき、アジア人はアクションに強みがあるとは思います。僕は日本で売れることも考えていますが、5年後10年後のことを考えると、日本のエンタメだけでなく世界で勝負できるようになりたいと思ったんです。
— アメリカに拠点があって、今は日本に帰国中、ということなんですよね?
どっちが拠点ということはなくて、できるだけ無国籍でいたいんです。ただ、アメリカにいると刺激がすごいんです。日本は平和だけど、アメリカは生きにくい場所なんですよ。30代に突入する前に生きにくい環境にいたほうが今後のために良い経験になると思いました。もともとアメリカで育ったので、「海外」というわけでもなくて「戻る」っていう感覚でいますね。
— その「生きにくい環境に身を置く」という感覚は、ちょっと目の覚める感じがあります。
いろいろな選択肢があるし、どれが悪いとも思わないんですけど、進化や発展のためには避けられないと思います。僕はエンタメのことしか分からないけれど、ゆっくり過ごすのはもっと先でいい。俳優は目が命だと思うので、難しい環境でいろんな経験をしたほうが、自然といい目になるんだろうなと思っています。
— 実際にアメリカで感じる刺激とはどんなことですか?
少しでも隙を見せたらつけこまれるので、自分の芯を強く持ってないといけない。日本でも集中しないといけないときはあるんですが、度合いが違うんです。だから、もっとハングリーでいないといけないなと思っていて。それに、ドニー・イェンと映画で共演したからといって、仕事が決まるわけじゃない。例えば、アジア人としてディズニーに出たいとかマーベルに出たいという目標があったら、やっぱり人間力を上げないといけないと思うし、いろいろな人の気持ちも分からないといけないと考えています。
— 今年は『シャン・チー/テン・リングスの伝説』にしても『エターナルズ』にしても、アジアの俳優が活躍しています。アメリカにおける日本の魅力って何だと思われますか?
所作であったり武士の心であったり、アメリカ人にできないものに惹かれているんじゃないかと思います。だからアメリカに憧れて真似するんじゃなくて、日本の文化をエンタメに取り入れたら勝負できるのかなと思います。今はやっぱりアニメが強いし、変わらないところでいえば忍者なんかも固有のものじゃないですか。日本人としてもっとプライドを持って、それを利用していかないと、と思いますね。ホストとか歌舞伎町も外から見たら日本の文化だし、ホストがアクションやったっていいと思うんです。日本にいると「ダサい」と思うかもしれないけれど、ホスト、アイドル、アニメって日本の特有の文化だと思います。
— それでいうと、丞威さんはジャニーズ事務所の作品に出演していた11〜12歳のときに、ジャニー喜多川さんに「海外でやるべきだ」と言われたそうですね。
その言葉がなくても海外には行ったと思います。見た目は日本人でみんなと一緒なのに、中身が違うと生意気に見られるんです。でも、見た目から違ったら「面白い」とも言われる。そういうことに違和感があったんですよね。ジャニーさんは、「丞威のスタイルは消さないほうがいい」「海外でやるべきだ」って言ってくださって。すごく良くしてもらったけれど、ジャニーさんにとっても「“調理”の仕方がわからない」というところもあったみたいです。今となっては、あのときにジャニーズにいたからこそ、今もメンバーから「ダンスを教えてほしい」と言われたりレッスンを行うこともあります。「海外のことを教えてあげてほしい」ってジャニーさんにも言われていました。
— そうだったんですね。プロフィールにはディズニーのお仕事もされていると書かれていますが、それはどんな形だったんですか?
『Movie Surfers』という5分くらいのディズニー・チャンネルの番組で、その日本版のセクションを担当していました。11歳、12歳の頃でしたね。映画を紹介する番組なので、ジョニー・デップにインタビューしたり、いろんな経験ができました。
— そういうことを聞くと、私なんかは「ディズニーとご縁があるんじゃないか」って思っちゃいますが。シム・リウも自らアピールしたと聞きますし。
みんなそうしていますよ。日本がそういうのがないだけで。そういうことも含めて刺激があります。待っているだけじゃダメだからオーディションを積極的に受けて、そこに備えるために勉強して体も鍛えて、できるだけオーガニックで生活をしたり。
— その手ごたえはいかがですか。
僕は人前でパフォーマンスすることには自信があるんですが、今はセルフテープを送る方式になっているので、部屋で自己紹介をしたりするのはなかなか難しいですね。その場所に立った瞬間に自分を発揮して、手応えがあるといいんですけど。反応がわからないから、「ここは受からなくても次に繋がるかもしれない」とか「何かしらのアイデアが生まれるかもしれない」というのがないのが難しいですね。
— コロナの影響もあるのだと思いますが、2020年初頭に世界が一変してしまった頃は、どんな気持ちで過ごされていましたか?
そのときは日本にいて、もうずーっと踊っていましたね。僕は踊れるときがあればいつでも踊っているので、どうせならもうずっと踊っていよう、って。それと、その頃はSNSをやっていなかったので、ちょっとやってみようかなと思って始めてみました。それで、みんながどういうことをしているのか勉強したり、映像編集やフォトショップの使い方だったり、そういうことを学んでいる時間でした。僕は、なぜかはわからないけれど、その時間はありがたかったですね。自分を見つめ直すための時間、自分に費やせる時間ができたので。俳優って、ありがたいことに次から次へと仕事が入ってくると、撮影以外の時間も作品のための時間になってしまって、結局、自分の目指していることが分からなくなってくる瞬間が出てくるんです。だからこそ、俺はどういう俳優になりたいのかを、もうすぐ30歳になる前に考えられる時間ができました。
— 30歳になるということを、どう受け止めていますか?
俳優は40代、50代になってやっと説得力が出ると思うんです。それまでは、俳優じゃなくてアイドルだと思っていて。
— 「30歳まではアイドル」という言葉は初めて聞きましたが、実際に一時はアイドルの中にいた丞威さんが言うことがすごく面白いですね。さっき日本の文化のひとつにアイドルがあると言われていましたが、それも日本特有だと?
どこでもそうだと思います。いい芝居をしている若い世代って、感情の使い方がうまいわけで、それって技術じゃないですか。でも、もっと年齢を重ねれば、セリフを言ったときに説得力が出てくると思うんです。僕はまだ、そのことを考えているだけですけど、いつかそんな日が来るように、今は焦らずに、いろいろな勉強をしていろいろな人と出会って、現場で迷惑がかからないお芝居をしていきたいなと。多分、説得力が出るまではみんな背伸びして生きていると思うんですよ。格好つけて。
— そんなふうに考えている丞威さんが憧れたりいいなと思う人はいますか?
こうなりたいという人は難しいですけど、好きな俳優はたくさんいますね。例えば、北村一輝さんとかは大好きです。ちょっとアウトローな感じとか。
— 話を聞いていると、同年代の俳優さんよりもしっかりしているなと思います。それは、さっき言われていた「生きにくい環境で経験を積みたい」というような感覚などが関係しているのかもしれないですが。
同世代の俳優さんにもそういう考えの人は結構いると思います。やっぱり俳優をやろうって人はどこか変というか、普通の価値観に収まりたくない人が多いと思うんですよ。日本にいるから日本のルールの中でやっているけれど、そこに不満を持っている人もいるだろうし、そこでのスタンスはいろいろだけど、そういう人はいるんじゃないですかね。僕は海外からの見方も入っているから、ちょっと違うように見えるだけなんじゃないかなと。
— 同年代の俳優さんがいる現場というとやっぱり『HiGH&LOW』が思い浮かびます。
キャストが多すぎてあまり絡むところがなかったんですけど、すごくお金がかかってるなというのは思いました。日本の中ではトップじゃないですかね。『るろうに剣心』もそうですけど、『HiGH&LOW』は“帝国”を作ったなと思いました。そこで何か日本の文化みたいなものになっていくんじゃないかなって。EXILEの音楽は、アメリカの影響を受けているけれど日本独自のジャンルになってると思うんですね。それはすごくいいなと思います。
— ヤンキーも特有の文化ですよね。『クローズZERO』がブータンで大人気だったという話もありますし。
不良もロックンロールから入っているし、面白いですよね。不良文化ってある意味、真面目だと思うんですよ。毎朝起きて、髪をセットして授業はサボるのに学校には行く。こだわりを見せたいという可愛い部分があって。でも今、アクションを見せるとなるとどうしてもお金がかかってしまうのは難しいですね。お金をかけてもいいものが作れるとは限らないし。
— そういう意味では、お金をかけて作ったアクション映画である『るろうに剣心』と『HiGH&LOW』という2作品に丞威さんは出られているわけですね。
「アクションといえば丞威」って言ってもらえれば、現時点では成功かなという感じはありますね。でもまだこれからです。
— アメリカでいろんなアジアの人が活躍していますが、ライバルや気になる人はいますか?
ライバルはいないですね。とはいえ日本人なので、同じ役のオーディションを受けるとしたら日本人になる。そう考えると、新田真剣佑じゃないですか。真剣佑、『るろ剣』で一緒でしたけど、すごくいいですよ。アクションに関してもサラブレッドだし、いい目をしてるし。
でも、あくまで僕がやっているのは、ほかの誰かにはできなくて自分にできることを探す旅なんじゃないかと思います。今は日本人が主演のものは少ないけれど、いずれそこに自分を持っていきたいです。僕らの世代で、僕もどうにか頑張っていって、何十年後かに日本人がもっとハリウッドで仕事しやすい環境を作っていければいいかなと思っています。今はどうしても「自分が自分が」ってなってしまうけど、それで終わってしまうのは避けたいんです。
丞威(じょーい)
1994年6月5日、大分県生まれ、アメリカ出身。俳優。『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』のほか、映画『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』や『孤狼の血』、『るろうに剣心 最終章 The Final』など多くの作品で存在感を発揮する。渋谷クロスFMにて『Joey TeeのYbenormol 渋谷から世界を語る』パーソナリティを務める。
作品情報
2021年12月29日、地元大分・別府にて、劇団京弥・橘佑之介劇団「年末特別公演」に出演予定
Photo:越川麻希(CUBISM)
Text:西森路代
Edit:斎藤岬