田中開(以下、田中) 橋爪くんとは、もともと知人の紹介で知り合ったんだけど、2023年の年末に出版した『愛しみに溺レル』(扶桑社)で歌舞伎町に集まる若者について書いていたのを読んで、改めて色々聞きたいなと思って。あれはきっと、かなり取材を重ねて書いたんだよね?
橋爪駿輝(以下、橋爪) 読んでくれてありがとう。そう、編集者と一緒に街を歩いて、そこにいる人たちに声をかけて話を聞きました。最初は目的を定めずに取材を続けていたんだけど、回を重ねていくうちに、「小説で書きたい」と思うようになった。小説はフィクションとノンフィクションを織り交ぜられるから。ジャーナリストとしてルポルタージュを書いても完全な客観性なんてなくて、自分自身の居心地が悪い。答えが出せるような問題でもないし、「巷ではこう言われている」、「世間は許さない」と世論をかざした瞬間に何も対抗できないものになってしまう気がして……。
田中 自分だけが贖罪されるような?
橋爪 そうそうそう。プライベートでも、「普通は◯◯じゃない?」っていう人が苦手なんだよね。
田中 僕も「普通はこんな朝帰りはしない」「普通はこんなに酒を飲まない」ってよく言われてきたなぁ。そう言われると「普通はこんなに背が大きくない」って返すんだけどね。
橋爪 それは良い逃げ方だ(笑)
田中 「普通」という免罪符を使うのもある種のラベリングだけど、トー横にいる人たちは自分たちのことをそう呼ばないし、外の人が「トー横キッズ」と呼んでいるだけで、ラベリングだよね。本の中でも一度も「トー横キッズ」って言葉を使っていないよね。
橋爪 使っていないね。あそこに集まっている人々も何層にも分かれていて、色々な人が集まっている“場”があるだけなんだなと思った。“場”そのものには、良いも悪いもない。働きアリの法則(集団を「よく働く・普通・働かない」に分けたとき、働きアリが全体の2割、普通のアリが6割、働かないアリが2割になるという性質のこと)と同じように、社会のメジャーなところとアンダーグラウンドとでは、人の振り分けられる割合が決まっている気がしているんだよね。全員がメジャーであることはないじゃない。それが今は、世間の目などが強くなって、アンダーグラウンドに行きつきづらい世の中になっているのかもしれない。だからといって地元にはいられなくて、全国からそういう人がトー横に人が集まってきている。本当はその前にセーフティーネットがあるべきなのに、あそこまで行き着いてしまう。
田中 同じようにバーも、“場”でしかないんだよね。バーはサードプレイスって言われたりもするけれど、バーもトー横も同じで、みんな「ここに行けばなんとかなる」ってサードプレイスを期待して集まっているわけではないと思う。一体感もないしね。たまたまそこに広場があったから集まって、なくなったら移動するだけ。
橋爪 そんなもんだよ。渋谷の駅前の喫煙所がなくなったの知ってる?今は何もないんだけど、喫煙者はその何もない喫煙所跡地の四角いエリアに集まってタバコを吸ってるの。習慣がそうさせてるんだと思うけど、それが“場”だなと思う。みんなが偶発的に、同時に何かをやっているのが“場”なんだなって。
田中 “場”に人が集まっているんじゃなくて、人が集まるところが“場”になる、みたいな話?結局お店も、流行ってる店にみんな入りたいんだよね。にわとりが先かたまごが先か、みたいな話だけれど。店をやっていて、お客さんがいないときは誰もこないけれど、お客さんが入っていると関係ない人まで集まってくる体感があるね。
橋爪 新宿・歌舞伎町のあの目立つ場所に人が集まったことをきっかけに、こうして取材をして、日本の家庭環境って思っていたよりずっとやばいんだなと気がついた。僕は小説を書くときにあまりプロットは書かないんだけど、『愛しみに溺レル』ははじめ「明日があるさ」って終わりにしようと思っていたのね。でも取材していた子が自殺してしまって、やっぱり現実には救いがないなと思った。「救いがない」っていうのは現象のことで、基本的に別に死ぬことが悪だとは思ってないんだけど。もちろん死んでしまったことで悲しむ人もいるし、生きていたらこんなことができたよ、っていうのはいくらでも言えるけれど、それでその子は解放されたのかな、とも思う。「お前頑張れよ」という視線だって登場人物を増やしたりしていくらでも盛り込むこともできたけれど、結構観察者っぽく書いたつもり。
田中 なるほどね、橋爪くんのそのドライな姿勢は、主人公とも通じているのかもしれないね。
橋爪 そうかもしれない。話が変わるようだけど、20代のときと比べてここ数年は友達と飲み行く回数がめちゃくちゃ減ったんだよね。それでも毎日飲んでいるんだけど、家の近所によく行く店が何軒かあって、そこに行けば誰かいるから、それくらいがちょうどいい。
田中 そういう飲み方になるよね。当日まで何があるかわからないし、仕事があるときは仕事したいし。
橋爪 約束してると、帰るときも面倒じゃない。一杯だけで帰れないし、みたいな。でもその店に行けば誰かいる、くらいの状況が心地良い。それは、間違いなく寂しいんですよ。一人では飲まないから、求めてはいるんですよね。でもお店の人と積極的に話すわけでもないし、誰かと会ってもゲラゲラ笑うわけでもないんだけど、挨拶するくらいが良い。でも、それができなかったら、広場に行っちゃうかもしれないなって思う。
田中 その街に住めて、一人で好きな店に飲みに行ける経済的な状況があるから、今は広場ではなくそこで飲んでいるんだよね。
橋爪 そう。あとは、境遇が違っても抱えているストレスが似ている人たちは、同じ場に集まるのかな、とも思うね。ストレスとかコンプレックスは、人を繋げるんじゃないかな。
田中 あー、そうかもしれないね。「繋がりたい」の裏返しは、コンプレックスだったりするもんね。
橋爪 ストレスのカテゴリーで区分けをしていったときに、やっぱり歌舞伎町には独特の似たコンプレックスを抱えた人たちが集まっている気がするんですよね。それは、年収やキャリアは関係なく。歌舞伎町だけじゃなく、そういう広場はどこにでもあると思うんですけれど。
田中 君の広場を見つけてください、ってことかな。なんか今回はめっちゃ建設的だったなぁ。
橋爪駿輝
はしづめ・しゅんき/1991年熊本県生まれ。横浜国立大学卒業。高校時代から小説を書き始め、『スクロール』(講談社)で小説家デビュー。YOASOBIの大ヒット曲「ハルジオン」の原作者としても話題に。映像作家としても活動し、Amazon Original連続ドラマ『モアザンワーズ/More Than Words』(Amazon Prime Videoにて配信中)では監督を務める。著書に『この痛みに名前をつけてよ』(講談社)、『さよならですべて歌える』(集英社文庫)。『愛しみに溺レル』(扶桑社)は、「週刊SPA!」の連載をまとめた一冊。
田中開
たなか・かい/新宿ゴールデン街「OPEN BOOK」(東京都新宿区歌舞伎町1-1-6 ゴールデン街五番街)店主。1991年、ドイツで生まれ、東京で育つ。早稲田大学基幹理工学部卒。新宿ゴールデン街にレモンサワー専門のバー「OPEN BOOK」、新宿一丁目に「OPEN BOOK 破」、日本橋のホテルK5内に「Bar Ao」を経営。直木賞受賞作家の田中小実昌を祖父に持つ。2022年には初の著書『酔っ払いは二度お会計する』(産業編集センター)を刊行。
写真:横家暉晋
文:平井莉生(SOW SWEET PUBLISHING)