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GAMO(東京スカパラダイスオーケストラ)と鈴木寛路(PIT INN店長)が語る新宿の雑食性と、新宿PIT INNの57年<前編>

新宿2丁目

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PIT INN 東京スカパラGAMO 音楽
DATE : 2022.07.12
新宿二丁目と三丁目の中間に位置するビルの地下に、ジャズクラブ「新宿PIT INN」(※)はある。オープンから57年、現在地に移転してからも30年が経つという、新宿に現存するライブハウスでもトップクラスの老舗だ。PIT INNで腕を磨いたミュージシャンの名前を書き出していたら、膨大な数になってしまうので割愛させていただくが、そのリストは日本ジャズミュージシャン名鑑とほぼ同義になるだろう。
東京スカパラダイスオーケストラでサックスをプレイするGAMOは、80年代にこのPIT INNでアルバイトをしていた、縁が深いミュージシャンの一人。彼と同時期から働き始め、PIT INNの店長を30年務める鈴木寛路の二人に話を聞いたところ、当時の熱気が伝わってくるエピソードから、PIT INNで受け渡されるバトンの重みが存分に語られた。ジャズの歴史と、新宿という街の変遷を見守り続けるPIT INNの「場所としての魅力」の一端を感じ取っていただきたい。

「新宿PIT INN」

六本木のやつが来るぞ

— お二人は同時期にPIT INNでアルバイトされていたんですよね。鈴木さんは今年でPIT INN歴40周年になるとお伺いしました。

GAMO:え、40年!?

鈴木:そうなんだよ。20歳から働き始めて、今年60だもん。

GAMO:でも、多分僕のほうがPIT INN歴は長いんだよね。

鈴木:ああ、六本木に先に入ってたから。今はなくなっちゃいましたけど、六本木にもPIT INNがあったんですよ。

GAMO:新宿でバイトしたかったんだけど、そのときは募集がなくて。六本木で一人空きがあるっていうから「まあ、いいか」と。

鈴木:当時は、新宿と六本木でちょっと音楽性が違ってたんですよ。ざっくり言うと新宿がアコースティックジャズで、六本木がエレクトリックとかフュージョン。

― 六本木には山下達郎さんや吉田美奈子さんなど、シティポップの源流にあたるような方々も出演されてました。

GAMO:まさにそうですね。

鈴木:そうそう。だから、GAMOが新宿に移ることになって、なんか構えちゃってね。「六本木のやつが何しに来るんだよ」と(笑)。

― 派閥争いが(笑)。

鈴木:敵対してたわけじゃないんだけど、なんとなくイメージがね。でも、いざ来てみたらすごくいいやつで、アコースティックジャズも好きだから話も合って、すぐに仲良くなりましたね。

『新宿ピットインの50年』田中伊佐資 監修/新宿ピットイン50年史編纂委員会 編(河出書房新社)

新宿PIT INNは1965年12月24日にオープンしました(※1)。最初の店舗は新宿伊勢丹の裏にありましたが、お二人が観客として初めて足を踏み入れたのはいつごろですか?

GAMO:鈴木さんは、1階のころじゃないですよね?

鈴木:もう地下だった。最初の店舗から、向かいのビルの地下に移転したんだけど、その頃でした。バイトする前だから、18歳くらいだったと思うんだよなあ。渡辺貞夫(※2)さんとか、弟の渡辺文男さんのバンドとか観ましたね。今は昼と夜の2回だけど、あの当時は朝・昼・夜で一日3回ライブがあって。

GAMO:そうそう。

― 平日もですか?

鈴木:そう、毎日。落語の寄席みたいに、11:30オープンで12:00から朝の部がやってた。平日でもお客さんがゼロってことはなかったな。

GAMO:朝と昼を通しで観ると、ちょっと安くなるんだよね。

鈴木:え、そうだっけ? 今よりも新宿駅から近い場所にあったから、ライブを観に来るっていうよりも、コーヒー飲んで喫茶店代わりに使ってる人もけっこういましたよ。ビールも飲めるしね。

― 「下手な居酒屋に行くよりは」という感覚なんですね。チャージも安いですもんね。

鈴木:文筆家みたいな人も多かったから。ちょっと入って演奏聴きながら書き物してる人もいたね。

(注釈)
※1 オーナーの佐藤良武氏は当時大学生で、自動車部に所属していた。当初はカーアクセサリーも売っている、車好きが集まるような喫茶店だった。しかし、徐々にBGMで流していたジャズ目当ての客が増え、ミュージシャンも出入りするようになり、ジャズライブハウスへと姿を変えた。

※2 渡辺貞夫:1950年代から活動するサックスプレイヤー。アメリカのモダンジャズの名門、バークリー音楽大学に留学した二人目の日本人(最初の一人はピアニストの穐吉敏子)。1966年に帰国すると、トッププレイヤーとして活躍し、また最新のジャズ理論を若手ミュージシャンに教えた。PIT INNには帰国直後から出演し、当時目が飛び出るほど高額だったグランドピアノをPIT INNが購入する際に保証してもらったという。89歳になった現在でもPIT INNに出演し、生涯現役を貫いている。弟の文男氏はドラマーで、PIT INNではじめてライブを行った一人。

PIT INNとエルヴィン・ジョーンズ

― GAMOさんはいかがですか?

GAMO:僕も同じような時期ですね。サックスやってるから、峰(厚介)さん(※3)とか(山口)真文さん(※4)とか観たなあ。

― 当時の街の雰囲気も含めて、PIT INNはどんな場所でした?

鈴木:今と比べると、はっきり言ってお客さんは怖かった(笑)。全然怖い。

GAMO:確かに怖かった(笑)。

鈴木:自分たちが働いてても、「ただものじゃないな」っていう人がいっぱいいたから。ミュージシャンもすぐ喧嘩してたしね。打ち上げしてたら、いつの間にか「この野郎!」って(笑)。

GAMO:でも、どれだけ怖い先輩でも、音楽の話をするとすごく優しくなんでも教えてくれたんですよね。いろんな人がいたけど、「音楽が好きだ」という気持ちは共通してて、それが居心地良かったです。

鈴木:熱い気持ちがあるから喧嘩になるんだよね(笑)。

GAMO:あと僕は地元の北海道から出てきてすぐだったから、とにかく大人の世界っていう感じで。今みたいにネットなんてないから、『スイングジャーナル』とか雑誌でしか知らないのにいきなり新宿や六本木に行って、「なんて華やかなんだ!」と(笑)。まだBLUE NOTEのようなジャズクラブもないころですから、来日するミュージシャンのライブを割と近い距離で聴く機会も滅多になかったんですよね。PIT INNで海外のアーティストを間近で観られたのも貴重な経験ですよ。

― エルヴィン・ジョーンズ(※5)もPIT INNと非常に縁が深いと伺いました。

鈴木:1966年にエルヴィンとアート・ブレイキー、トニー・ウィリアムスが「世界三大ドラマー」ということで来日したんだけど、エルヴィンに大麻所持の疑いがかけられて1ヶ月くらい日本から離れられなくなっちゃったんですよ。その間、PIT INNのオーナーとか、オーナーのお母さんが身の回りの面倒をみたり、金銭的にもサポートするために毎晩エルヴィンと日本のミュージシャンでセッションをやったんです。当時のミュージシャンにとってはもう掛け替えのない素晴らしい体験だよね。エルヴィンはそのときみんなが優しくしてくれたことを恩義に感じて、それ以降もPIT INNによく出演してくれてたんですよ。

GAMO:毎年正月に出てましたよね。

鈴木:大きなジャズクラブでやっても、翌日にPIT INNに出てくれたりもしたし。ウィントン・マルサリス(※6)を連れてきてくれたこともあった。PIT INNの大きさで、ウィントンってありえないよね(笑)。本当に、エルヴィンは情に厚い素敵な人でした。

(注釈)
※3 峰厚介:キーボード奏者の本田竹曠と立ち上げたフュージョンバンド「ネイティブ・サン」などで活躍した日本のフュージョンを代表するテナーサックスプレイヤー。

※4 山口真文:テナーサックスプレイヤー。PIT INNには1970年より出演しており、後述の松木恒秀らとともに鈴木宏昌の「ザ・プレイヤーズ」に参加した。

※5 エルヴィン・ジョーンズ:マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどとも共演したジャズドラムのレジェンド。この件をきっかけに親日家となり、日本人女性と結婚。自身のグループ「ジャズ・マシーン」にも日本人ミュージシャンを多くフックアップしている。ちなみに、その疑惑は現在では潔白だったことが証明されている。

※6 ウィントン・マルサリス:クラシック奏者としても知られるジャズトランペッター。80年代に伝統的なアコースティックジャズを継承する新人として大いに注目され、グラミー賞を受賞。97年にはピューリッツァー賞も獲得している。

超貴重なセッション、バブル、タモリ

GAMO:そういえば、六本木でスティーブ・ジョーダン(※7)がライブしていたら、終演後にちょうど来日してたジャコ(・パストリアス ※8)が遊びに来たんですよ。それで、ジャコが「よし、セッションしよう」って。従業員ももうほとんど帰っちゃった後で、あんなに贅沢なメンツの演奏を僕とあと何人かしか目撃してないんです。あれは忘れられないな。本当に録音しておけばよかった(笑)。50年代のニューヨークのジャズクラブで夜な夜なセッションが行われていたっていうのは、こういう感じだったんだなと思いましたね。

鈴木:あと覚えてるのが、マル・ウォルドロン(※9)がピアノソロを何日かやってて、そのときGAMOが照明担当だったのね。毎回「Left Alone」という曲を最後に演奏するんだけど、その曲になるとスーッとマルにスポットライトが当たるんだよ。

GAMO:そうそう、当時のPIT INNの照明は少なかったんだけど、ちゃんと当たるように調整してた。でもあの時、「時間ないから1曲目にLeft Aloneを演ってくれ」なんて事を言うお客さんもいて。

鈴木:え! そんなことあったっけ!?

GAMO:そうなんですよ!もちろんそんな時もマルの演奏は素晴らしかったですけどね。

鈴木:ああ、思い出した! そんなこともあったなあ。

GAMO:フラッとタモリさんが来ることもありましたよね。

鈴木:ああ、ベースの鈴木良雄さん(※10)が出られた時とかね。

GAMO:「ミュージックステーション」に何回も出演させてもらっているので、タモリさんとPIT INNとかジャズの話をしたいなとずっと思ってるんですけど、なかなかタイミングがないんですよ。ギタリストの松木(恒秀)さん(※11)から、「笑っていいとも!」の生放送が終わってからタモリさんの家で一緒にレコードを聴いたり、曲作りしてた、なんて話も聞いた事がありました。

(注釈)
※7 スティーブ・ジョーダン:70年代から活動するドラマー。ジャズ、フュージョンに限らず幅広いジャンルでプレイし、奥田民生のレコーディングにも参加している。

※8 ジャコ・パストリアス:バンド「ウェザー・リポート」での活動でも知られているベーシスト。独自のスタイルを追求し、リズムキープだけではないアンサンブルの中心としてのベースプレイを確立。今でも熱狂的な支持を集めるカリスマ。

※9 マル・ウォルドロン:ビリー・ホリデイの伴奏者としても有名なジャズピアニスト。「Left Alone」は1959年に発表。ビリー・ホリデイが作詞し、スタンダードナンバーとなった。

※10 鈴木良雄:ベーシスト。渡辺貞夫や菊地雅章、スタン・ゲッツ、アート・ブレイキーなど、日本に留まらずジャズ界最高峰プレイヤーのグループで活躍。タモリとは早稲田大学ジャズ研究会からの付き合いで、ともにレーベル「ONE」を発足させている。

※11 松木恒秀:ギタリスト。「ザ・プレイヤーズ」に参加し、他にも山下達郎や吉田美奈子とも共演するなど、幅広くスタジオミュージシャンとしても活躍した。「ザ・プレイヤーズ」は『今夜は最高!』にレギュラー出演していた時期があるので、そのころのエピソードだと思われる。

(GAMOとPIT INN店長が次代に伝えたいこととは……<後編>に続く)

GAMO(ガモウ)

唯一無二のオリジナルスタイルを築き上げた日本が世界に誇るスカバンド『東京スカパラダイスオーケストラ』のテナーサックス担当。ライブではサックスの演奏だけでなく、アジテーターとして会場を盛り上げる。

鈴木寛路(すずきかんじ)

「新宿PIT INN」の店長。20歳の頃に新宿PIT INNでアルバイトとして働きはじめ、以降40年に渡って新宿のジャズシーンを支え続けてきた。レジェンドから若手まで、数多くのミュージシャンが信頼を寄せる名物店長。

text:張江浩司
photo:落合由夏

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