深く潜ろうとしたら、どこまでも行けちゃう街
— ヒカルさんが歌舞伎町を訪れるようになったのは、いつ頃からですか?
大学受験に失敗し、芸大合格を目指して浪人をしていた頃ですかね。新宿美術学院という予備校に通っていたんですが、その予備校の仲間たちと歌舞伎町で朝まで遊び倒したりしていました。。ちょうど人生に行き詰まりを感じていた時期だったので(笑)。
— ストレス発散が目的だったんですか?
そうですね。浪人生って、学生でもなければ社会人でもない、宙ぶらりんな存在じゃないですか。しかも、たとえ1年間頑張ったとしても合格する保証はどこにもないという。そんな日々の不安やストレスを解消するために遊んでいました。
— 実際に歌舞伎町で遊ぶようになってから気づいた、歌舞伎町の魅力はありますか?
探求しようと思えば、どこまでも深く掘り下げられるディープなスポットが多い街だと思いました。
— 例えば、どんなスポットがありましたか?
SMショーは、なかなかのディープスポットでしたね。
— いきなり危険球が飛んできましたね(笑)。
友人が有名なロープアーティストの助手として、縛られるモデルを務めていたんですよ。そのつながりから、歌舞伎町の地下にある小さいクラブで開催していたSMショーによく足を運んでいました。高校の同級生がなぜかガスマスクをして全裸で縛られている姿を見るのは複雑な心境でしたけど(笑)
— ディープ系でも少しエロス寄りなスポットに興味があった感じですか?
どちらかいうと、“アングラ”と呼ばれるカルチャーに関心がありました。人生で初めて“アングラ”に触れたのが歌舞伎町でした。
— 深淵をのぞく恐怖みたいなのはありませんでしたか?
深く潜ろうとしたら、どこまでも行けちゃう怖さはありましたね。
— 踏み込みすぎちゃったかも!?みたいな経験はありませんでしたか?
どうだろう? たぶん、まだビジター程度でとどまれていると思います(笑)。
普通の人の普通って、本当に普通なの?
— ヒカルさんの著書『エイリアンは黙らない』では、ゲイバーも「死ぬまでに行きたい場所リスト」に入っていたという記述がありましたが。
私も同級生の女の子を好きになったことがあり、ストレートな性的指向ではないという認識があったので、「バイナリーの型に当てはまらないゲイバーとは、一体どんなところなのだろう?」という好奇心を持っていたんです。
— 実際に行かれてみた感想はいかがでしたか?
好奇心本位で足を踏み入れるのは失礼なんじゃないかと尻込みしてしまい、なかなか入店できずにいたんですが、いざ入ってみると、男だからこうであるべき、女だからこうであるべきと言うような、らしさを求められないコミュニケーションの場がすごく新鮮で、居心地の良さを感じました。男女のコミュニケーションにも異性恋愛を前提にしない楽しみ方があることを知り、それ以来、結構ハマっていますね。
— 普通の人がなかなか行かないスポットに行かれていますね。
そうですね、SMショーにしても、人によっては顔をしかめてしまうようなスポットかもしれませんね。でも、私には常々、そういった偏見のある場所を訪れて、実際はどうなんだろうと自分の目で確かめてみたい欲求があるんです。「一般の人たちが持つその普通という感覚は、果たして本当に普通なの?」と問いかけたくなる気持ちといいますか。
— なるほど。そういった世の普通に疑問を投げかける姿勢は、ヒカルさんのアーティスト活動からも強く感じられますね。
そこには、私が日本生まれ日本育ちの中国籍という、ちょっと変わった属性を持っていることが影響しているかもしれません。中国人だけど、中国語はあまりしゃべれないし、中国にも住んだことはありません。かといって、日本人とも違うんですが、中国へ行くと日本人扱いされてしまうという……。おまけに性自認の揺らぎも経験しているので、日本人ってこうだよね、女の子ってこうだよね、という当たり前にずっと当てはまらずに生きてきたんですよね。
— 当たり前の集団に帰属して、安心感を得るという経験がない分、自分の目で確かめたいという気持ちが強いんですかね。
というよりも、ネガティブなものに自分なりの光を照らすことに興味があるんだと思います。
— ヒカルさんが取り組んでいる害獣と呼ばれるアライグマやネズミとの共存をテーマにしたボディペイントも、そういった試みの一つですよね。
ええ。害獣というのは、人間から見た一方的な視点に過ぎないんですよね。ニューヨークの街をリサーチして、彼らの生息地を調べたところ、その生態系は人間の生活の上に成立していることがわかりました。だとしたら、アライグマやネズミも私たちと同じニューヨーカーじゃないかと。ネズミのペイントしたモデルさんを高級誌『THE NEW YORKER』の表紙のように撮影することで、そういったコンセプトを表現したんです。
女の子でいる“メリット”を享受してみたら……
— 一方で、歌舞伎町のガールズバーで働いた経験があるともお聞きしました。ガールズバーは、ヒカルさんが苦手とする女性らしさを求められる職場だと思うんですが、どうして働いてみようと思ったんでしょうか?
私がリンリン(※)だった頃の話ですね(笑)。今思うと、ちょっとチキってましたよね。どうせなら、おっパブぐらい攻めとけよと思いますが(笑)。私はそれまで「若い女の子は、こういうところが得だよね」みたいに言われることのあるメリットを一切享受することなく、スルーして生きていたので、「もしもせっかくの機会を無駄にしてしまっているんだったら、もったいない!」という謎の焦りから働いてみようと思ったんです。若い女の子であるということで、どれくらいお金が稼げるのかにも興味がありました。
※ガールズバーで働く際、国籍が中国であることを告げると店長から「源氏名は、チャンかリンリンで!」と言われ、「チャンはないでしょう、チャンは」という理由から消去法で「歌舞伎町のリンリン」になったというエピソードがある
— 実際に働いてみて、どうでしたか?
すごく向いていないことがわかりました(笑)。求められている女性像に自分はまったく当てハマらないんだな、と。
— でも、向かいに座っているお客さんは「こんなことをしてほしいのでは?」ということはわかるわけですよね?
わかるんですけど、全力でやりたくないんです(笑)。例えば、お酒の飲ませ方にしても他の女の子たちはできるだけお客さんに長くいてもらえるように、ペースやインターバルを考慮して飲ませているんですが、私はとにかく酔わせようと思い、すぐ潰れさせちゃうんです(笑)。会話も確信に迫るような真剣な話をしてしまうため、「いや、ガールズバーの女の子にそんな会話求めてないよ」みたいな雰囲気になってしまって……。世間が言う価値のある女の子像と私がなりたい人間像は、本当に噛み合わないんだなということが嫌というほどわかりました。
— じゃあ、スルーして生きてきて正解だったとわかったんですね(笑)。
はい。でも、もしもこの経験がなかったら、「みんながいいという女の子になった方がいいんじゃないか」という気持ちに引きずられることもあったかもしれないので、挑戦してみて本当に良かったと思いますね。
— 働いたことで得られた経験も大きかったと。
多分、私自身にもそういったところで働いている女の子にある種の偏見があったんだと思うんです。でも、彼女たちのプロの仕事ぶりを目にしてからは、尊敬の念しか無くなりましたね。なかには、私のように本能的に無理だと感じていても、仕事として割り切って働いているプロもいらっしゃったので。
歌舞伎町はエイリアンが棲む街なのかも
— ほかにも、歌舞伎町でご自身の偏見や先入観が解消されたというような経験はありましたか?
本場の中華からゲテモノ料理まで食べられることで有名な上海小吃で、犬の肉を食べたことがあるんです。
— えっ! 犬ですか!! アジアにそういう食文化があることは、聞いたことがあるんですが。
韓国や中国、かつては日本にも犬を食べる習慣はあったんですよ。戦後や土地が痩せていて、なかなか食べ物のない場所では、何百年も前から食べられてきた歴史があるんです。
— どうして食べてみようと思ったんですか?
韓国人や中国人に対するヘイトに、「犬を食べる野蛮な奴らだ」みたいな悪口があるんですが、そもそも「牛や豚は食べていいのに、どうして犬はそんなにダメなんだっけ?」という疑問に向き合ってみたいと思ったんです。
— 実際に食べてみてどうでしたか?
私が食べたのは、犬の肉を春雨や白菜と一緒に煮込んだスパイシーな鍋だったんですが、すごく美味しかったですよ。大根と一緒に煮ることで臭みも取られていましたし。馬肉に近い味わいでしたね。
— 当初の疑問に対する答えのようなものは出せましたか?
肉を一切食べないという人に批判されるならわかるんです。実際犬を食べることにはいろいろな問題があるケースもある。だけれど普通の食用の犬の場合、牛や豚は食べるけど、犬はかわいいから食べるべきではない、と特別視するのは、少し違うんじゃないかなと。犬以外の動物だってかわいいですしね。肉や魚を食べている限り、それは命をいただいているわけですから、すべての命は平等に尊いことを自覚しなければいけないと思いました。
— 先述の著書をはじめ、ヒカルさんはご自身のことをエイリアンに例えていらっしゃいますが、ある意味、歌舞伎町もホステスやホストといった夜職の人たちやアウトサイダーを生きる人、それから移民の人たちと、エイリアンが生息している街なのかもしれません。ヒカルさんがそういった歌舞伎町の特性に共感を覚えたり、刺激を受けるようなことはありますか?
エイリアンが棲む街というのは、確かにそうだなぁと思いますね。さっきの“アングラ”の話にもつながるかもしれませんが、どんなに深く潜っても、どこまででも受け入れてくれる懐の深い街である分、いろんな人たちに居場所を提供してくれていると思うんですね。だから、行くたびにこれまで出会ったことのないようなタイプの人たちと出会うことができますし、そのたびに自分の価値観を少し変えてくれるような体験を味わわせてくれます。それでいて、必要以上に干渉してこないところも魅力ですね。振り返れば、私の世界をちょっとずつ広げていってくれた街が、歌舞伎町だったのかもしれません。
『エイリアンは黙らない』(晶文社)
チョーヒカル(趙燁)
1993年東京都生まれ。2016年に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、衣服やCDジャケットのデザイン、イラストレーション、立体、映像作品なども手がける。国内外での個展開催のほか、企業とのコラボレーションやメディア出演など、多岐にわたる活動を展開。著書に『じゃない!』『やっぱり じゃない!』(フレーベル館)、『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』『絶滅生物図誌』(雷鳥社)、『ストレンジ・ファニー・ラブ』(祥伝社)、『エイリアンは黙らない』(晶文社)などがある。
text:高柳淳
photo:タイコウクニヨシ