あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。
第9回は、シンガーソングライターの石原克が登場。両国国技館を会場に繰り広げられるギターの弾き語りライブイベント「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2025」の新弟子検査グランプリを獲得するなど精力的に活動を展開し、「Kabukicho Street Live Fes.」にも出演した彼に、音楽の原体験やターニングポイント、シンガーソングライターとしての夢について聞いた。
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<NEXT UP!的 推しポイント>
- 沈んだ場所に寄り添う言葉を届けるシンガーソングライター
- DIYな活動スタイルで切り拓いたキャリア
- より深みのあるアーティストになるために、続く探求

石原克(いしはら・かつみ)
シンガーソングライター。1999年生まれ、東京都出身。幼少期に両親と4歳上の姉とともにカラオケに頻繁に行っていたことが音楽の原体験。高校時代からは高橋優、森山直太朗、星野源などのシンガーソングライターに傾倒。自身もシンガーソングライターを目指すようになり、高校3年生のときにギターを始める。大学2年生のときに大学と並行して音楽の養成所に通い、作曲を学ぶ。2022年から毎月ワンマンライブを開催。「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2025」新弟子検査グランプリ獲得。2025年8月から2マンライブ「聴きながら」を開催。11月に新曲『縦に』をリリース。好きなものは犬とコーヒー。強みは天才じゃないことを受け入れているところ。
—Beginning—
卒業文集に書いた、歌手の夢
― 幼少期はどんな子どもでしたか?
よく喋り、よく歌い、よく笑う子どもでした。音楽一家というわけではないですが、みんな歌が好きで、小さな頃からカラオケに連れていってもらっていました。よくお酒を飲む両親だったので、毎週のように居酒屋で夜ご飯を食べて、帰りにカラオケに行って…今じゃあまり考えられないですよね(笑)。
― みなさんどんな曲を歌っていたんですか?
母は歌がとても上手で、広瀬香美さんやプリンセスプリンセス、レベッカなどを歌っていました。姉は男性アイドルの曲を歌っていた記憶があります。父は僕の耳元で水木一郎さんの『マジンガーZ』の歌詞を教えてくれて、僕はそれを繰り返して歌っていました。もう少し大きくなると小学校の合唱で歌っていたスピッツの曲や、両親が聴いていた小田和正さんや徳永英明さんの曲を歌うようになりました。

― 音楽をやっていこうと思ったのはいつですか?
小学校の卒業文集には「歌手になりたい」と書いていましたね。母は「あなたは歌が上手だよ」とすごく褒めてくれていたのですが、それもよくある親バカなんだろうなと思っていました。中学に上がっても特にバンドを組んだり音楽をやったりするわけではなく、漠然と歌手になりたい気持ちだけを抱いていました。ただ、高校生になって友達とカラオケに行き始めたときに歌を褒めてもらえて「お母さんが言ってたことは本当だったんだ!」と思いました(笑)。高校に上がる頃からシンガーソングライターの方々の音楽を聴くようになり、卒業する頃には僕もシンガーソングライターになりたいと思うようになっていました。
― シンガーソングライターの音楽を聴くようになったきっかけは?
僕の中でとても大きな出来事だったのですが、中3のときに友達と喧嘩してしまったんです。相手もたぶん心にもないことを口にしたのだと思うのですが、僕はショッキングなこととして受け取ってしまって。そこから、いい関係だった人ともこんなことになるんだったら、もう友達なんていらないという極端な考え方になり、自分が傷つかないため、人を傷つけないための言動について深く考えるようになりました。そんなときに高橋優さんや森山直太朗さん、僕がいちばんリスペクトする星野源さんなど、そうしたアーティストの方々が歌う内省的な曲に救われました。
― 音楽の捉え方が変わったのですね。
そうですね。それまではどうやったらうまく歌えるかしか考えていませんでした。でも、その出来事があってから歌の内容を深く読み取れるようになったと思います。背中を押してくれたり、引っ張りあげてくれたりということではなくて、彼らは沈んだところにいてくれた。ここにいてもいいんだ、この感情を抱えて生きていいんだと歌ってくれていたんですよね。だから僕も「ここにいていいんだよ」と伝えられるシンガーソングライターになりたい。だからこそ今、まずは自分がかけてほしい言葉を歌詞にしていて、そこから派生して身近な人や聴いてくれる人の心の支えになれたらと思っています。
― では、高校では本格的に音楽をやり始めていたのですか?
入学直後はハンドボール部に入ったのですが休みが全然なかったので辞めて、2年生で軽音部に入りました。でも入部したときにはもうみんなバンドを組み終わってたんですよ。だからたまにボーカルで参加する幽霊部員でした。母が中古のギターを買ってきてくれたのですがそれも挫折していました。
—Essence—
2年半続けた、マンスリーのワンマンライブ
― ギターを始めたのはいつですか?
高校卒業間近で、僕が好きな音楽ってみんなシンガーソングライターじゃん!と気づいて、じゃあ自分もギターをやるべきだと思って始めました。シンガーソングライターを目指し始めたのもその頃です。受験が終わって大学に入るまでの暇な時間で、ホコリを被っていたギターを引っ張り出してひたすら弾いていましたね。
― 曲を作り始めたのは大学に入ってからですか?
はい、20歳からです。大学2年生のときから1年間、大学と並行して音楽の養成所に通っていたのでそこで作曲を学びました。大学の同期が就活を始めて将来のことを考え始めていたので焦りもありましたが、高校時代のバイトで一緒だった歌の上手い子が、オーディションを受けてちょっといいところまでいけそうだと聞いて。先を越されたらまずい、負けてられないとかなり焦って、いくつか養成所のオーディションを受けて入所しました。

― 実際に入所してみていかがでしたか?
シンガーソングライターコースに行って曲作りを学んだんですけど、そのときってまだギター歴が2年目くらいだったので演奏がボロボロで。卒業までずっと成績は下のほうだったので、とにかく精一杯食らいついていましたね。毎日胃が痛くて苦しかったですけど、今思えば人生において必要な時間だったと思います。演技も歌に繋がるだろうと思っていたので、養成所を卒業してからは俳優の事務所に2年ほど所属していました。だからちょっとだけ俳優活動をしていて、Vaundyさんの『花占い』のMVにVaundyさん役で出演させてもらったり、『キングダム』のエキストラに行かせていただいたりしました。
― 大学卒業後はどのような活動をしていたのですか?
在学中から少しずつ活動はしていたのですが、全然お客さんがついていなかったんです。僕の実力不足のせいですが、ブッキングライブに出てもファンがつかず、どうにかしないとと思って2022年5月から2年半、歌舞伎町のライブハウスで毎月ワンマンライブをするようになりました。だから、歌舞伎町には色々な思いがあります。当時は苦しかったし、地下の薄暗いところでやっていたので、「Kabukicho Street Live Fes.」のような空が見える気持ちのいい場所で歌わせていただく機会をいただけたのは、ありがたかったです。「Kabukicho Street Live Fes.」のような公認ライブ以外の路上ライブはしないので、大きな広場で大きな画面に映してもらえて本当に嬉しかった。

—Future—
円熟していくシンガーソングライターを目指して
― 毎月のワンマンライブの開催を2年半で区切りをつけたのはなぜだったのですか?
ワンマンライブばかりやっていると横の繋がりがなく、自分の手の届かない範囲にいるお客さんにはやはり届かないんですよね。だからいろいろな人とライブをしたいという欲求があって。そんな中で「J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE 2025」という憧れのオーディションでグランプリをいただいたことで、もうちょっと自由に動いてみようと思うようになったんです。それでブッキングライブに呼んでいただいたり、2マンライブを企画したりするようになりました。
ずっと一人で闘ってきたので、この半年くらいは積極的にいろんなところに行って、共演者たちと交流しています。観客としてライブに行くことも増えました。今までやっていなかったこと、新しいこと、僕にとっては普通じゃないことに触れて見聞を深めていけたらと思っています。

―ライブをするうえで意識していることはありますか?
居心地のいい空間を作りたいと思っています。僕はライブのときにお客さんに「声を出して笑ってもいいし、めっちゃ泣いてもいいし、寝ててもいいよ」ってよく言うんです。それに尽きますね。寝ている人がいても、その人にとってはきっと僕の声とともに寝ることが必要なんだと思っていて。今「聴きながら」という2マンライブを主催しているのですが、いわゆる2マンライブってゲストに出ていただいて、自分が出て、それで最後に一緒に歌って終わり、みたいな構成じゃないですか。「聴きながら」はそうではなくて、僕もゲストも常にステージの上にいて、2、3曲ずつ交互に歌い合うかたちにしています。タイトルのとおり、みんな聴きながら何をしていても良くて、出演者も聴きながら本を読んだり編み物をしたり、趣味をするのがテーマなんです。僕はコーヒーが好きなので、ゲストが歌っている間にコーヒーを淹れて提供しています。
― 将来はどんなステージに立ちたいですか?
まずは全国ツアーをできるようになりたいですね。もう少し背伸びするなら、さまざまなホールや教会、オペラハウスなどで歌ってみたい。もっと大きい夢は両国国技館でワンマンライブをすることです。歳を重ねて経験を積むと言葉に重みが出ると思うので、シンガーソングライターの真髄は30代40代だと思うんですよ。よく、「若いからなんでもできるね」って年長者の方に言われることがあるんですけど、あんまりそれって嬉しくなくて(笑)。「誰だって、いつでもなんでもできるはずでしょ」って。歳を重ねて、「今が一番楽しいよ。どんどん楽しくなるから」って下の世代がワクワクするような言葉をかけられる大人になりたいです。
文:飯嶋藍子
写真:谷川慶典