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【NEXT UP! #4】夜々:不安のなかで獲得した、寄り添うように灯る歌声

歌舞伎町

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NEXTUP
DATE : 2025.11.19
劇場、ライブホール、屋外ステージ、路上ライブスペース、ナイトクラブ──さまざまな“表現の場”が、東急歌舞伎町タワーにはある。ダンサー、シンガー、アイドル、DJ…。そこで日々パフォーマンスを行うクリエイターたちの顔ぶれもまた、幅広い。

あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。

第4回は、シンガーソングライターの夜々。今年1月にデビューしたばかりの彼女だが、活発にライブを行いながら、バラエティーに富んだ作風の楽曲をコンスタントにリリースし、着実に人気を高めている。「Kabukicho Street Live+」に出演した彼女に、アーティストとしての実を歩み始めるまでの経緯と、これからの展望について聞いた。

<NEXT UP!的 推しポイント>

  1. ステージへの恐れを打ち消した“ゾーン”の境地
  2. ダンスから音楽へ——“夜”に寄り添うための曲を届ける
  3. ハンナ・モンタナに憧れた気持ちを抱えて、目指すはドームのステージ

夜々(よよ)

シンガーソングライター。アーティスト名の「夜々」は、暗闇の中でも誰かに寄り添える存在でありたいという願いが込められている。

 

幼少期は人見知りで、人前に立つことが苦手だったが、ダンスをきっかけに表現する楽しさに目覚める。学生時代にはギター部に所属し、ギターの練習とともに作曲も独学で始める。AAAのライブ映像に衝撃を受け、アーティストを志すようになる。ダンスレッスンやオーディションを重ね、路上ライブでも経験を積みながら、自身の音楽スタイルを磨いていった。

 

2025年1月、ワーナーミュージック・ジャパンよりメジャーデビュー。透明感のある歌声と目を惹くビジュアルでミステリアスな雰囲気を醸し出し、夜々の世界観を表現した楽曲は唯一無二の存在感を放っている。
11月26日(水)には5th Digital Single『Coffee』のリリースが決定。


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—Beginning— 
何気なく始めたギター。作曲の原点は“パンの曲”

─ ライブお疲れさまでした。終えた直後の手応えはどうですか?

毎回「楽しかったな」って思っています。終わると幸せな気持ちになれるんです。もちろん思うようにいかなくて落ち込むこともありました。今年1月に出演した下北沢のDaisyBarでのイベントが初めてのライブだったんですが、緊張しすぎて全然思うようなパフォーマンスができなくて、本当に悔しくて…。でも夜々チームの皆さんが「ひとつひとつのライブを大切にして、ここから回数を重ねていけば良くなるから頑張ろう」と言ってくださって。そこからは“そのときの自分の100%を出す”ことを意識するようになりました。

─ ご自身にとっての“良いライブ”とは?

最近ようやく掴めてきた感覚があって、何も考えずに“ゾーン”に入れるときです。お客さんの反応がどうとか、自分のコンディションがどうとか、そういうことを一切考えずに、音と一体になっている瞬間。終わったあとに「あのときゾーン入ってたな」って気づくことがあります。

─ ゾーンに入るコツはありますか?

やっぱり練習ですね。特に新曲や覚えたてのカバーだと、歌詞の一部を迷ったりするんですけど、もう無意識でも口から出てくるくらいまで染み込ませる。そこまでやると、自然とゾーンに入れるようになります。

─ 人前で表現することは、幼少期から好きだったんですか?

小さいころは本当に人見知りで、授業で手を挙げられないタイプでした。ある日突然、ダンスをやっていた父から「一緒にレッスンに行ってみる?」と誘われて、仲の良い友達と一緒に行ったことがあったんです。それがすごく楽しくて。人前で表現することの楽しさを知りました。

─ ダンスが原点なんですね。そこからギターを始めたきっかけは?

学生時代に、ダンスの仲間と一緒に面白そうだなと思ってギター部に入りました。ダンスを並行して続けるためには運動部に入るのは難しいかもしれないなと思って。だから“楽しくアコギを弾く部活”っていう気軽さに惹かれて入部しました。

─ 初めて触れたギターにはどんな印象がありましたか?

学生時代からバンドをしていた父の影響が大きいです。スターダスト・レビューさんや小田和正さんの曲をカバーして家でよく弾き語りをしていたので、ギターは身近な存在でした。私にとっては“お父さんの音”という感じです。

─ 初めて自作した曲は覚えていますか?

ギター部時代に、部活中に突然できた曲「ベーコンフランス」という曲です。学校の購買に売っていた大好きだったパンの曲なんですけど…(笑)。自然とメロディが浮かんできて、1分ちょっとでできあがりました。少しふざけたタイトルかもしれないけれど、私の中では“最初にできた名曲”。今聴いても「これが私の原点だな」って思います。

—Essence— 
ライブハウスは私にとっての“幸せな場所”

─ プロになってから、曲作りで苦しむことはありますか?

めちゃくちゃあります。デビューしてから今まで、リリースのたびに嬉しさと同時に不安もあります。「もっと良い曲が作れたんじゃないか」と思うこともあります。制作中はひとりで自分と向き合って、誰とも話さない時間が長い。私は人と話すことで元気をもらうタイプだから、内にこもると本当に苦しくて。

─ その苦しみとどう向き合ってきましたか?

ある憧れのアーティストの方にお会いする機会があって、この気持ちを相談したことがあって。「気持ちが揺らいじゃう」と。そうしたら「苦しい気持ちを経験した人にしか、聴き手に寄り添える音楽はつくれないよ」と言っていただいて、すごく救われました。その言葉で、「ネガティブな時期も必要なんだ」と思えるようになりました。

だから“夜々”という名前も、“夜”のいろんな顔を表していて、楽しい夜もあれば、考え込んでしまう夜もある。そんな時間に寄り添える存在でいたい。私自身、音楽に救われてきたから、今度は私が誰かを救いたいという思いがあります。

─ 聴き手に寄り添えているな、と感じられた出来事はありますか?

先日、大阪の「MINAMI WHEEL 2025」というサーキットイベントに出演したときに、私の曲を聴いて泣いてくれていたお客さんがいて。ステージからその姿を見た瞬間、「ああ、音楽をやっていてよかったな」と思いました。 ライブではなるべくお客さんひとりひとりの目を見て歌うようにしています。感情が伝わる瞬間が一番好きです。

─ ライブをすることの楽しさはどんなところにありますか?

ライブハウスは私にとって“幸せな場所”。 日々の生活の中で、私のライブのために時間をつくって会いに来てくれる人がいるって、すごいことだと思うんです。その気持ちに応えたいから、私はみなさんの目を見て歌う。あの空間って、本当に奇跡みたいだなって思います。

—Future— 
ハンナ・モンタナに憧れた気持ちのまま、ドームツアーの夢を叶えたい

─ デビュー以降、活発にライブやリリースを行ってきたかと思います。なかでも、6月にリリースした『I Hope』はいしわたり淳治さんを作詞プロデュースに迎えて制作されました。共同作業での作曲は初めてだったかと思いますが、いかがでしたか。

バラード曲をつくること自体『I Hope』が初めてのことでした。自分でデモをつくってから「どういうことを伝えたいか」をいしわたりさんと話し合いました。本当に言葉の魔術師みたいな方で、一緒に作業していてすごく刺激的でした。韻を踏むことばかりではなく、言葉の流れや呼吸の気持ちよさを大事にする作詞術を知って、私の中でも大きな転機になりました。

─ 今後、挑戦してみたいことは?

まずはワンマンライブですね。来年はもっと自分の世界を広げていきたいです。将来的には、ドームツアーがしたい。これは中学生のときから言い続けている夢です。ドームの大きなステージで、ダンサーさんもいてほしくて、自分も踊って、最後にみんなで合唱して——そんな景色を見たいです。

私の原点にあるのは、小学生のときに見た『ハンナ・モンタナ』です。見た瞬間、「私もこうなりたい!」って思いました。おうちで曲をかけて、鏡の前で歌って踊って…あのころのときめきが、今も続いてるような気がします。

─ アーティストとして、いち個人として、どんな成長をしていきたいですか。

夜々という名前ではあるけど、“太陽みたいな人”になりたいですね。会うと元気になれる人。声を張らなくても、優しさが伝わるような「静かな強さ」を持っている存在になりたいです。今はまだ、急に静かにすると「どうしたの?」って言われちゃうんですけど(笑)、少しずつそうなっていけたらいいなと思ってます。

デビュー1年目という迷いや不安の多い時間のなかでも、経験のすべてを歌にしてしまうような前向きな眼差しが印象的だった夜々。その等身大の輝きは、これからさらに大きくなっていくはずだ。

文:MASH UP! KABUKICHO編集部

写真:山口こすも

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