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新宿・歌舞伎町の老舗「すずや」のとんかつ茶づけが人気の理由。普通のとんかつと何が違う?

歌舞伎町

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DATE : 2024.12.16
新宿・歌舞伎町で生まれた、他に類を見ない独創的な一皿が「すずや」の「とんかつ茶づけ」だ。同店の創業は1954(昭和29)年であり、「とんかつ茶づけ」も半世紀以上愛され続けている。この大名物はどんな特徴があり、多くの人を虜にしてきたおいしさの秘密とは? 関係者へのインタビューを交えながら、味や歴史を紐解いていく。

新宿・歌舞伎町名物「とんかつ茶づけ」はかつてのまかない飯だった

とんかつ茶づけ 1,680円(普通サイズ)

「とんかつ茶づけ」は1954(昭和29)年創業の、現在の「すずや」黎明期に生み出された。同店のルーツは惣菜店であり、当時も惣菜を販売していたという。そんなある日のまかないの時間。まだ電子レンジのない時代に、料理人が冷えてしまったとんかつを食べる際に温めようとお茶をかけたのが「とんかつ茶づけ」の始まりだ。

ユニークなまかないの美味しさは評判となり、やがて客にも知られるようになる。ついには1963年ごろに「裏メニュー」として商品化され、その後正式なメニューへと昇格。時代を追うごとにレシピが改良され、「定番醤油味」をはじめ、「からし醤油味」「にんにく生姜醤油味」「とうがらし醤油味」の全4種(新宿本店のみ)と、ソースのバリエーションも広がりながら進化を続けてきた。

しかし、このソースについて「おや?」と気付く人もいるだろう。そう、これらはとんかつソースのような洋風のソースではなく、醤油ベースなのだ。実際の味も、濃口醤油のコクを生かした、いわば江戸っ子的なしょっぱさが特徴である。

確かな理由について今回突き止めることはできなかったが、お茶づけとして食べるなら甘くフルーティなソースよりも、醤油味のほうが理にかなったおいしさだからだと想像できる。また、当時は砂糖などが不足していた時代だったため、まかないだった「とんかつ茶づけ」には、醤油より高級なソースを使うことがはばかられたからかもしれない。

新宿・歌舞伎町一番街の入り口にある「すずや」

「すずや」の場所は、ある種歌舞伎町のエントランスといっていい。街のメルクマール「歌舞伎町一番街アーチ」の脇にある地下1階~地上11階の建物が自社の「SUZUYAビル」であり、同店はその5階にある。

窓の向こうには靖国通りや歌舞伎町の街並みが

もともとの店舗は「劇場通り(歌舞伎町一番街)」の1本東側にある「ゴジラロード」(旧セントラルロード))沿いにあった。具体的には「ドン・キホーテ 新宿歌舞伎町店」の向かい、現在は1階が「とらそば」となっている場所に「すずや」の前身店が存在。

詳しくは後述するが、昭和40年代前半に現在の場所へ移転し、地下1階~地上7階の自社ビルを建てた。そして2014年に建て替え工事を行い、2016年に新たな「SUZUYAビル」が竣工。外観の一部がレンガ調となっているのは、以前の面影を残そうという心意気によるものだ。

一皿で二度楽しめる!名物「とんかつ茶づけ」

まだ未食の人には、ぜひ味わってほしい「とんかつ茶づけ」。その名の通り、とんかつであり、お茶づけとしても楽しめる“二度おいしい”メニューである。歌舞伎町の名物として長年愛されている理由は何か。味わいの魅力や食べ方を解説しよう。

【食べ方①】まずはそのまま和風とんかつとしていただく

「すずや」には一般的なとんかつやフライの定食も存在するが、「とんかつ茶づけ」はプレゼンテーションからして独特だ。通常の皿ではなく鉄板に盛り付けされ、付け合わせのキャベツは千切りではなくソテー。上からソースをかけ、その香ばしさを楽しめるのも魅力だ。

とんかつのカットも、縦だけではなく横にも切り込みが入れられ、ひと口大でそのまま食べられる。まずはおかずとして、オンザライスとんかつを。炒めキャベツや漬け物を、箸休めにするのもおすすめだ。

【食べ方②】とんかつの締めはお茶づけで流し込む

ただし、あまりにもとんかつが絶品だからといって、オンザライスのみで完食してしまうのはもったいない。2、3切は残しておき、ある程度食べ進んだら、炒めキャベツや漬け物などを全部ご飯に乗せ、上から番茶をかけてサラサラと味わおう。

なお、この番茶は「とんかつ茶づけ」のために吟味された静岡県産。通常のお茶とは異なる茶葉を使用した、こだわりの番茶なのだ。その特徴はキレのある渋味にあり、濃厚なソースの味を絶妙にウォッシュアウトしてくれる。

“おかわり自由”!とんかつにも負けないキャベツが魅力

もはや“ご飯泥棒”といえるゴールデンコンビの「とんかつ茶づけ」だが、さらに「すずや」でうれしいのはご飯、キャベツ、味噌汁、漬け物がおかわり自由なところ。「とんかつ茶づけ」はもちろん、その他の定食類でも同様であり、心置きなく“おいしいループ”を楽しめる。

加えて、おかわり自由とはいえ素材への妥協は一切なし。たとえばお米は料理との相性から選んだものを採用し、キャベツも甘みが豊かな品種や産地のものを指定して仕入れている。このように満足度を追求する姿勢も、長年愛される理由のひとつなのだ。

元々は民芸を愛する夫婦が始めたモダン喫茶店がルーツだった

2024年でちょうど創業から70年。その間「すずや」は歌舞伎町でどのように歩みを進めてきたのか。常務取締役の杉山さんと、新宿本店店長の飯島さんに聞いた。

左から、飯島店長と杉山常務

「『すずや』の前身は1947(昭和22)年に設立された『鈴木食品工業』で、私の祖父の姉にあたる杉山華子と、その旦那さんが夫婦で始めました。なお、旦那さんである鈴木喜一郎の父親は角筈一丁目北町(現在の歌舞伎町一丁目)会長を務め、“歌舞伎町をつくった”ともいわれる鈴木喜兵衛です」(杉山さん)

店舗の場所は前述「ドン・キホーテ 新宿歌舞伎町店」の向かいで、3階建てだったという。やがて惣菜の製造や販売だけでなく、その場で食べられる飲食店となったのが1954(昭和29)年。店名は「民芸茶房すゞや」となった。

「民芸茶房すずや」の外観

「創業者夫妻は民芸品のコレクターで、共通の趣味を内装などに生かしたモダンな喫茶レストランだったと聞いています。メニューは、信州のクルミを添えて提供するコーヒーや苺ババロアといった喫茶メニューのほか洋食も人気でした」(杉山さん)

洋食の充実とともに、1966(昭和41)年に店名は「民芸茶房 レストランすゞや」へ改名。日本のファミリーレストラン元年といわれる、日本万国博覧会(大阪万博)が開催された1970(昭和45)年より4年も前のことだ。

しかし平成になると、世のレストランは飽和状態に。同店では差別化を図るべく、メニュー数を絞って名物を広く知ってもらおうという機運が高まり業態展開。1991(平成3)年には洋食メニューを廃止し、看板がオレンジ色の「名代とんかつ 新宿すずや」へとリニューアルした。

今でも一部、当時の家具を使用している

とはいえ、常に時代を先読みするのが“すずやイズム”。新宿でも老舗の洋食店が徐々に減少する中、再び思い切った行動を起こす。往年の一部洋食に関しては、当時の味を知る関係者などからの話をもとに、現在の「すずや」となった2016年のリニューアル時に復刻させた。

「ハンバークやタンシチューなど、当時の洋食は数種のバリエーションがあったそうです。その中から、『細切りビーフ100%のハンバーグステーキ』『豚リブロースの鉄板焼き』は再現でき、新宿本店限定で提供しています」(飯島さん)

柳宗悦や棟方志功に愛された「すずや」のもう一つの顔

店名の「すずや」は創業者の名字にちなんだものだが、由来はもうひとつあった。それは当時盛んだった民芸運動のシンボルマークが「鈴」だったこと。民芸を愛する夫妻の元には柳宗悦、濱田庄司、芹沢銈介などの巨匠も訪れ、なかでも同店と懇意だったのが版画家の棟方志功である。

「看板やメニューの表紙は棟方先生に創作いただいた原本があり、それを元に今でも使わせていただいています。また、店内にも棟方先生や芹沢先生らの作品を飾らせていただいたり、内装に関しても旧店舗の意匠や家具を継承して使ったり。できるだけ『すずや』らしさや、往時の雰囲気を生かすよう努力しています」(杉山さん)

身近な雑貨を挙げれば、食器には益子焼を中心に丹波焼なども用いられ、民芸品ならではのあたたかみを直接肌で感じられる。同店を訪れた際には、随所を観察してほしい。

守るべきものと進化させるもの。「すずや」の味が愛され続ける理由

「すずや」が長年愛されている理由は、創業時から続く伝統の味や理念を大切にしながら、変えるべきものだけを時代に合わせて進化させているところだろう。それを象徴するのが、「とんかつ茶づけ」でもある。

通常のとんかつと違う「とんかつ茶づけ」であるため、あえて下味に塩は使わず黒胡椒のみで味のアクセントに。また、肉はロースよりも脂身が少なく、均一の肉質や味で提供できるヒレを採用したり、鉄板スタイルの器にしたり、刻み海苔を添えたりとおいしさの向上に努めている。間違いなく、新宿・歌舞伎町を代表する名物料理のひとつだ。ぜひオンリーワンのおいしさをご賞味あれ。

文:中山秀明
写真:坂本美穂子

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