長野県の小学生が、歌舞伎町のステージを目指す

2026年7月2日、歌舞伎町・シネシティ広場。高層ビルの合間を突き抜けていくように、児童たちの演奏が鳴り響く。はじめは緊張が漂っていた表情も、観客の手拍子や声援を受け、次第にほぐれていく。音楽を奏でる喜びを全身で知るような、パワフルでまっすぐな音。たまたま通りがかった人や海外からの観光客も足を止め、最後には予定していなかったアンコールが2度も巻き起こった。

伊那小学校は、1970年代から総合学習を教育の中心に据えてきたユニークな学校だ。児童が取り組むのは、ヤギの飼育、パン作り、和食の追求……そのすべてが、児童たちの「やってみたい!」からスタートしている。
伊那小の教育理念は、「内から育つ」。6年謹組の担任・有賀功太郎先生は、こう話す。
「子どもは何かを与えられるのではなく、自ら動き出す存在であり、それぞれに可能性を持っているものだと考えています。教師が教え込まなくとも、子どもが自然に気づいていく。そういう授業をつくろうとしている学校です」(有賀先生)

6年謹組が取り組んできたのは、カホン。そして東京への修学旅行が近づいてくると、児童たちから飛び出したのは、こんな言葉だった。「先生、東京でもライブをやるしかないでしょ!」
それまで、学内や地域で演奏を披露してきた子どもたち。その度に「聴いてくれる人に楽しんでもらえると、自分たちももっと楽しい!」そんな気持ちが芽生えていった。「次は武道館だね」「東京ドームだね」。冗談混じりに教室で語っていた子どもたち。けれど、東京の大きな舞台で、たくさんの人に演奏を見てもらいたい。その思いは、本物だ。

そこで候補に挙がったのが、ストリートライブ。有賀先生が会場探しに奔走するなか、出会ったのが東急歌舞伎町タワーの公認イベントである「Kabukicho Street Live」だ。
「実際に調べてみると、ストリートライブの許可をとるのは本当に難しいことがわかりました。Kabukicho Street Liveにもダメ元で問い合わせをしたのですが、『ぜひ』と言っていただいて。掬いあげてもらえた思いです」(有賀先生)。
はじめこそ、「歌舞伎町」という地名に少し身構えていた児童たちだったが、街の映像を見せると反応は一変。
「ゴジラがいるところだ!」「ここで演奏できるの!?」
2025年に同じくシネシティ広場で開催された、King Gnuのストリートライブ映像も後押しになった。King Gnuでツインボーカルを務める常田大希さん、井口理さんはともに伊那市にゆかりのある、児童たちの憧れの存在。そんな彼らが何千人もの観客を集めた会場で、自分たちも演奏する。憧れは、一気に現実と地続きになった。彼らの練習にも、いっそう熱が入っていった。
はじまりは、教室に置かれた一台のカホン

謹組の児童たちがカホンに出会ったのは、4年生のとき。音楽好きの有賀先生が、教室に持ち込んだのがカホンだった。誰ともなく自然に、子どもたちはカホンに触れるようになった。
伊那小では、クラス替えが行われるのは6年間で一度、4年生になるときだけ。ゆえに4年生から6年生となった現在まで、カホンは子どもたちのそばにずっとあったというわけだ。
4年生の10月、全校音楽会で「初ステージ」を踏むことに。10台のカホンをレンタルで用意し、ギターや鍵盤ハーモニカ、歌などを交えて演奏を披露。すると会場からは、見たことのないほど大きな手拍子が巻き起こったという。

演奏を終え、手応えを噛み締める子どもたちに、有賀先生は尋ねた。「どうして、みんなが手拍子をしてくれたんだと思う?」
返ってきたのは、「俺たちのノリが良かったんだよ!」という、なんとも頼もしいこたえ。自分たちが夢中で楽しむことで、聴いている人も一緒に盛り上がってくれる。児童たちが、音楽を誰かに届ける喜びを知った瞬間だ。
初ステージを経て、カホンは本格的に謹組の「授業」の中心となっていった。レンタル品ではなく「自分たちのカホンを作りたい」という思いから、岡谷市のカホンメーカー「Chaany(チャーニー)」に制作を依頼することに。約30万円の費用が必要だとわかると、アルミ缶収集で資金集めに取り組む。それも、子どもたちが自ら考え、起こした行動だ。

完成したカホンは、ひとつとして同じものはない。木材の種類や、打面の素材、内部に取り付けるパーツまで、一人ひとり仕様が異なる。透明なアクリルを打面に選んだ子もいれば、内部にギターの弦や、小太鼓に使われる「スナッピー」を取り入れた子もいた。
「子どもたちのこだわりが、本当にすごいんです。工房の方がそれぞれの要望をたくさんくみ取って、オーダーメイドで作ってくださいました」(有賀先生)
自分たちでお金を集め、どんな音を出したいかを考え、職人の力を借りて作った世界にひとつだけのカホン。それを携えて演奏を重ねるうちに、謹組の学びは教室から地域へ、そして東京へとつながっていった。

「大人が道を作ってあげるのではなく、子どもたちが自分で道を作り、そこにたどり着く。それが、伊那小の目指しているところなのだと思います」(有賀先生)
迎えた本番。6年謹組の音は、この街に確かなグルーヴを生み出した

そして迎えた本番の日。この日のために保護者たちは急きょ、おそろいのTシャツを制作。児童たちだけでなく、クラスを取り巻く大人たちの期待も高まっている。
本番前は「まずは、子どもたち自身が歌舞伎町という場所を思いっきり楽しんでほしい。その姿が誰か一人にでも響けば、それだけでも大きな学びになると思っています」と語っていた有賀先生。

東急歌舞伎町タワーのスクリーンにも、演奏中の児童たちの姿が大きく映し出される。本番では「空も飛べるはず」「青いベンチ」「怪獣の花唄」など6曲を披露。選曲基準は「心から歌えること」。先生自身も、ギターで演奏に参加した。ビルに囲まれた新宿の空。その谷間を、子どもたちの声が上へ上へと向かって響いていくように感じたそうだ。
「その響きが心地よくて、思いっきり演奏することができました」(有賀先生)

児童たちはこう振り返る。
「曲にのってしまえば、緊張が楽しいに変わった」
「間違えても、楽しいという気持ちが一番だった」
「練習は大変だったけれど、本番はめっちゃ楽しかった」
「演奏する人と見ている人が、一緒になってやるのが楽しかった」

彼らの感想には、何度も「楽しかった」という言葉が登場する。外国人観光客が、歌詞がわからなくとも手拍子をしてくれたこと。「We Will Rock You」で飛び跳ねる観客がいたこと。通りすがりの人が次々と足を止めてくれたこと。
後からわかったことだが、会場にはお笑い芸人を目指している若者が二人いた。アンコールを送ったその二人は、涙を流しながら彼らの演奏を見つめていたという。
「シネシティ広場は、King Gnuがライブをした場所であり、将来を夢見る人たちの挑戦の場所でもある。私たちにとって憧れの、特別な場所に来られたことは、夢のような時間でした。演奏は荒削りかもしれませんが、子どもたちの歌声や生み出す音は、確かにたくさんの方の心に届いていました。子どもたちの頑張りもあったと思いますが、それに加えて、歌舞伎町という街とそこに集う温かな人たちのおかげなのだと感じます」(有賀先生)

本番前の取材では、児童たちの演奏について「実は、けっして上手くはないんです。ですが、一生懸命さや、『楽しい!』という気持ちを表現することは、心から上手な子たちです」と笑顔で話していた有賀先生。歌舞伎町のステージは、彼らの生み出す音の大きな力を、あらためて証明してくれたと言えるだろう。

歌舞伎町で得たのは、自信と達成感、そして「人の優しさ」

有賀先生は、東急歌舞伎町タワーのスタッフたちにも触れる。
「正直なところ、私も当初は『危ない場所かもしれない』というイメージが歌舞伎町にありました。でも、打ち合わせに伺った際にスタッフの皆さんが本当に温かくて、『この人たちと一緒なら間違いない』と思えたんです」(有賀先生)
児童たちには、きらびやかなステージだけでなく、その舞台を支える人の存在にも気づいてほしいと語っていた有賀先生。児童たちにライブを通じて得たものを尋ねると、「自信」「達成感」「演奏する楽しさ」とともに、「人の優しさ」というこたえが数多く寄せられた。

「歌舞伎町で演奏できたことは、普通のことではないから感謝したい」
「いろいろな人が携わってくれて、自信がついた」
「みんなが、みんなのことを大切にしているとわかった」
ライブを終えた児童たちの言葉からは、先生の願いが確かに届いていたことが伝わってくる。
以前、有賀先生に「子どもたちに将来どんな大人になってほしいか」と尋ねたことがある。先生のこたえは、「いろいろな人の思いがわかる人」。
「目の前にいる人が、今どんな気持ちなのかを想像できる人。そして、何気なく目にしているものの裏側で、どんな人が働き、どんな思いがあって成り立っているのか。そうした『見えないものが見える人』になってほしいと思っています」(有賀先生)

演奏を聴く人の気持ちを想像し、自分たちのステージを支えてくれた人々の存在に気づくこと。歌舞伎町で過ごした時間は、児童たちが有賀先生の願う姿へと近づく、大きな一歩になったのかもしれない。
一台のカホンからはじまった謹組の音楽は、多くの人の手を借りながら、歌舞伎町のステージへとたどり着いた。
「東京の人を笑顔にできた」「これからもっと上手になりたい」「いろいろなところでライブをやりたい」。憧れの舞台を終えた子どもたちは、もう次の景色を見つめている。

文:徳永留依子
写真:morookamanabu