本田大輝
ほんだ・たいき/「SHOGUN BURGER」(東京都新宿区歌舞伎町1-15-12 ピアットビル 1F )を運営する株式会社ガネーシャ代表取締役社長。富山の焼肉屋「大将軍」の2代目。宮迫博之の焼肉店「牛宮城」のプロデューサーとしても知られる他、「焼肉ハウス大将軍」、「SHOGUN PIZZA」、「SHOGUN FRIED」などを手がける。
田中開
たなか・かい/新宿ゴールデン街「OPEN BOOK」(東京都新宿区歌舞伎町1-1-6 ゴールデン街五番街)店主。1991年、ドイツで生まれ、東京で育つ。早稲田大学基幹理工学部卒。新宿ゴールデン街にレモンサワー専門のバー「OPEN BOOK」、新宿一丁目に「OPEN BOOK 破」、日本橋のホテルK5内に「Bar Ao」を経営。直木賞受賞作家の田中小実昌を祖父に持つ。2022年には初の著書『酔っ払いは二度お会計する』(産業編集センター)を刊行。
本田大輝(以下、本田) 実家の家業だった「大将軍」という焼肉屋を継いで、潰れそうだった会社を立て直したんだけど、世界に通用するようなブランドを作りたくて、8年前に「SHOGUN BURGER」を始めました。
田中開(以下、田中) めちゃくちゃ良い名前ですよね。
本田 ありがとう。「大将軍」から取ったんだけど、海外に向けてやるなら「SHOGUN BURGER」しかないなと思ったんだよね。
田中 歌舞伎町で一番流行ってるんじゃないですか。
本田 ありがたいことに。すごい真似されたりしてるけどね(笑)
田中 どうして歌舞伎町でオープンしたんですか。
本田 修行先を探して今の妻と一緒に何十件も焼肉屋を巡ったんだよね。それで、店側で肉を焼いてお客様の口に入るまでお世話をするスタイルの焼肉屋が良いなと思って、歌舞伎町の「TEJI TOKYO」に辿り着いた。僕は小さい頃から焼肉屋を見てきたからお客様に焼かせないスタイルがおもしろいなと思ったのと、働いている人がカッコよくて。アルバイトは募集していなかったけれど、直接電話して申し込んで、働かせてもらった。大学3年生でバイトを始めて、そのまま就職しようと思ってました。
田中 それまでは、歌舞伎町に遊びにくることはあったんですか。
本田 いや、ないですね。「TEJI TOKYO」があるのも、普通の大学生はなかなか行かないような歌舞伎町のかなり奥深いエリアなんですよね。ちょっと怖いなと思ってた。でも2017年くらいに、急激にインバウンドが増えて、歌舞伎町もムードが変わりましたね。こんなに海外の人がいるんだったらここで何かやりたいなと思って、ハンバーガー屋をやることにしたんです。
田中 じゃあ始めから海外を見越していたんですね。
本田 そう、他のブランドでの東京進出には2回トライしたんですが定着しなくって。だから、実は店をやるのは「SHOGUN BURGER」が3店舗目なんです。
田中 どうしてハンバーガー屋にしたんですか。
本田 新宿にハンバーガー屋が少なくて、あっても大手チェーンだけでした。グルメバーガーと言われるものは、渋谷区や港区にはあったけれど、新宿にはないからチャンスがあると思った。会社のみんなには止められましたね(笑)「歌舞伎町でグルメバーガーなんて無理に決まってる」って。でもうまいハンバーガーを作る自信があったし、インバウンドからの需要もあると思っていたから、僕は「いける」と確信していたんです。でも3、4ヶ月は全然売れなかった。
田中 歌舞伎町でおいしいものが食べられるってイメージがないですもん。どうして焼肉ではなくてハンバーガーにしたんですか。
本田 焼肉屋の先輩が多かったので、東京の焼肉屋のレベルの高さや初期費用についてはよく知っていました。実力が伴っていないという判断で、別の業態を選びました。やはり肉の仕入れは年功序列の面もあり、有名店や規模の大きな店でないと良い肉を継続的に仕入れるのは難しいんです。
田中 でも焼肉屋じゃなくてハンバーガーだったおかげで、観光スポットのようになったのかもしれませんね。売れない時代から、どうして行列ができるようになったんですか。
本田 人通りはたくさんあるのに、誰も入ってこない。だから深夜にバー営業を始めたら、友達が来てくれるようになって。大赤字だけど、朝5時くらいまで飲むというようなことを繰り返していた時代がありました。富山では評価されていたハンバーガーが、東京では通用しなくて。アメリカにも食べに行って、再度開発し直しまして、今のシェフとも出会いました。そうこうしているうちに友達のグルメな人たちが応援してくれるようになって、それから徐々に認知があがっていったんです。
田中 歌舞伎町の人って、一度気に入ったらリピートしてくれませんか?惰性もあって、気に入ったところには徹底的に通い詰める人が多いイメージ。新しいものだからって行くわけじゃなくて、「いつもの」が良いんですよ。「SHOGUN BURGER」は売れない時代も粘ったことで、その「いつもの」になったんですね。
本田 そうかもしれない。あとは僕、歌舞伎町出身ではないけれど、歌舞伎町で働いていた時代が長かったから、この街の人と仲良くなるのも得意だったんですよね。外国人のキャッチとも仲良くなって、来てくれるようになった。インバウンドの人たちにもちゃんとうまいと言ってもらえるようなものは作っていたので。そのうちTripadvisorやGoogleにコメントがついて、いつしか行列ができるようになりました。
田中 今では東急歌舞伎町タワーにも店舗がありますね。
本田 東急歌舞伎町タワーの方は新しいスタイルを取り入れました。ベルギーから仕入れた生ビールや、オリジナルのビールをサーバーから提供できるようにして、パブのように楽しんで、締めにハンバーガーを食べてもらえたらと。タワーの地下に「ZEROTOKYO」というクラブもあるので、クラブのあとに来店してもらう流れも作っていきたいですね。
田中 最後に本田さんは、歌舞伎町のどんなところが好きですか。
本田 探検している感じが楽しいんじゃないですかね。整備されすぎていないから、宝探しをしている感覚で街を歩ける。B級グルメはけっこう面白いところもたくさんあるしね。もつ焼きの「カミヤ」とか、居酒屋の「道しるべ」とか。
田中 たしかに、海外の友達とかもそれを楽しんでいる気がします。
写真:横家暉晋
文:平井莉生(SOW SWEET PUBLISHING)