新・歌舞伎町ガイド

エリア

FOLLOW US:

「HELLO KABUKICHO」Vol.1 いとうせいこう×廣木隆一が語る、歌舞伎町の魅力

DATE : 2019.12.06

鮮やかなネオンが煌めく繁華街に、迷路のように入り組んだ路地裏。多くの飲食店やショップがひしめき合い、多彩なカルチャーが集う歌舞伎町には、いまだ知られざる魅力がたくさん詰まっています。

そんなこの街の魅力を、ぜひみなさんにも再発見してほしい! そうした思いからスタートした「HELLO KABUKICHO」は、歌舞伎町のさまざまなエンタメを味わいつくすコミュニティです。今回はその第一弾企画として、歌舞伎町のホストクラブ「AWAKE」を舞台に、この街の魅力を語り合うトークイベントが11月17日(日)に開催されました。

記念すべき第1回目のゲストは、 文学・映画・音楽・演劇など多岐にわたって活躍し、歌舞伎町にも強い思い入れがあるという、いとうせいこうさん。そして、 歌舞伎町を舞台にした男女の群像劇『さよなら歌舞伎町』を手がけた映画監督・廣木隆一さんのお二人。株式会社東京ピストルの草彅洋平氏を司会に迎え、「歌舞伎町とわたし」をテーマに、自由奔放に語り合っていただきました。

映画を通して知り合ったというお二人の間で、一体どんなトークが展開されたのでしょうか? 現場で繰り広げられた、ディープな会話の一部をお届けします。

歌舞伎町は、「映画」が支えてきた。

『さよなら歌舞伎町』(2015)をはじめ、歌舞伎町を舞台に何作も映画を制作してきた廣木隆一氏

―今日は歌舞伎町の「過去」「現在」「未来」という3つのキーワードをテーマにお話いただきたいと思っています。まずは「過去」から。お二人は歌舞伎町にどんな思い出がありますか?

廣木:僕はピンク映画の助監督を始めた頃、毎回脚本の中にラブホテルのシーンがあって、ほとんどの舞台が歌舞伎町だったんです。当時、新宿にあった名画座には知り合いの脚本家や助監督がみんなバイトしてて、僕らは無料で入れた。終電が無くなるとそこに行って寝て……っていう生活ですよ。もうずっと新宿から出ずに映画を作ってましたもん。

「ヤバい映画はだいたい新宿で観ていた」と笑顔で話す、いとうせいこう氏

いとう:それで言うと、歌舞伎町は映画を作る側と見る側が支えてきた側面がすごくありますよね。名画座もたくさんありましたし。僕が学生だった1980年代の頃は、『フリークス』(1932年)や『ピンク・フラミンゴ』(1972年)など、ヤバいアングラ映画みたいなものは新宿で観るしかなかった。

廣木:その頃は「ATG(アートシアター新宿文化)」*という劇場もあって。ここでしか観れない映画がたくさんありましたよね。

*「ATG(アートシアター新宿文化)」=非商業的な芸術映画を製作・配給していたATG(アートシアターギルド)の拠点映画館(1962〜1974年)。国内外の芸術・実験映画が数多く上映された。

いとう:ロケに行って撮って帰ってきたら、当然こっちに来て飲むっていうことにも、映画人はなるわけですよ。

廣木:最終的にはゴールデン街に行って飲んだくれてね。

いとう:でも僕はそのゴールデン街が恐ろしくて恐ろしくて……。「絶対に連れて行かないでくれ!」と先輩方に言って、なるべく入り込まないようにしてました(笑)。

一同:(笑)

「基本的に、面倒くさい街なんですよ」

―ゴールデン街、怖かったんですか?

いとう:いわゆる文壇バーというものが歌舞伎町にはいくつかあって。そこに過激なタイプの文学者が集まって飲んで、喧嘩するみたいなことがよくあったんです。廣木さんもその頃を知ってますよね?

廣木:お店によっては自分の所属している映画の組(チーム)を言うとケンカが始まるので、絶対に行かないようにしてましたもん。面倒くせえなと思って(笑)。

いとう:基本、面倒くさいんですよね(笑)。でも、僕はそれすごく大事なことだと思ってて。面倒くさいってことは、特徴が濃い。クセがすごいということじゃないですか。個性がハッキリしてて、街としてはすごくいいなと思う。

廣木:人間も、すごくストレートなんですよね。「撮った映画観たよ。すっげーつまんなかった!」って言われて、どういうこと?!って(笑)。人との距離が近い。それは歌舞伎町特有ですよね。

いとう:そう。でも、下町っぽい “人の良さ”とは違う距離感なんですよ。だから不思議。僕は下町出身なんですが、下町って結構距離が近いように見えて、逆に気を遣って放っておいてくれるとこがあるんです。困ってると出てきてくれるんですけどね。でも、歌舞伎町は違う。「お前の映画観たことあるぞ!」といきなり距離詰められて、面倒くせえなっていう(笑)。

街に根付く、娯楽のDNA

いとう:街のことを考えるときは、やっぱり過去に遡るといいと思うんですよね。いつ廃れて、どう再生したのか……そこにヒントがある。みんな大体ピークの時を見がちだけど、下降した時に何を残して頑張ったかというのが次のウェーブに関係があると思うので。それはぜひこの街の人に聞いてみたいですね。

―今日は振興組合の方もいらっしゃるので、お詳しい方がいたらぜひお聞きしたいですね。

ここで、「HELLO KABUKICHO」を率いるメンバーの一人である、杉山元茂さん(写真左/現歌舞伎町タウン・マネージメント代表、歌舞伎町商店街振興組合副理事長)が急遽ご登壇! 歌舞伎町生まれ、歌舞伎町育ちでもある杉山さんが体感した、当時のリアルな街の状況とは……?

杉山:時代的に少し違うかもしれませんが、本当に廃れたと思ったのは17年くらい前。2001年に歌舞伎町の明星ビルという場所で大規模な火災が起きて、44名もの方が亡くなった。その事故後の3年間くらいは、人が全然歩いていなかった印象があります。

いとう:あのビル火災が象徴的だったんですね。そこからグッと上がってきたのはいつ頃ですか?

杉山:グッとは上がってこなかったです。東宝さんの新宿コマ劇場*が閉館しちゃった時も、このままどうなっちゃうんだろう……と。

*新宿コマ劇場=「演歌の殿堂」と知られ、歌舞伎町のランドマークでもあった劇場(1956〜2008年)。2015年、その跡地に「新宿東宝ビル」がオープンした。

いとう:確かに。あの時期、あの辺りは人いなかったですよね~。

廣木:全然いなかったですね。

杉山:その時期は地元の私達も不安だったし、明らかに希望を持てなかったですね。

いとう:そこから、どうされたんですか?

杉山:今思えば自分たちが何か行動したり、きっかけを作ったとかはないんですね。むしろ東宝さんがここにビルを建設するぞ!という表明をしてくださったことが、街に希望が持てる狼煙となった。

いとう:へ~すごい! やっぱり娯楽を携えてるんですね、歌舞伎町は。そういう娯楽のDNAが続いているんですね。

杉山:そうですね。そのビルの竣工から街の空気が変わったなと。戦後から、娯楽の街としてずっとそういうDNAは続いていて、東宝さんの力でなんとかそれが耐えることなく引き継がれてる気がします。

「この街自体が、舞台みたいだよね」

いとう:新宿って、訳わかんないファッションのおじさんとかが平気で歩いてて良いですよね。今日も全身金ピカでキメたおじさんが歩いてて、新宿いいな~と思って。あれが浅草とかだと田舎から出てきたおっさんなのかなって思うけど、新宿だとそうならない。

廣木:ステージみたいなもんなんですよね、新宿って(笑)

いとう:そうなんですよ。舞台があって、だんだん歩いていって、それこそ靖国通りを渡るころには日常に戻っていく、みたいな。アンリアルなゾーンがすごくある。

―そういうおじさんって昔からいたんですか?

廣木:昔からキメキメの人はいっぱいいましたね。新宿だとそれを許してくれるんです。他でやるとオイオイってなるんだけど。

いとう:ピコ太郎みたいな格好の人が平気で歩いてるんですよ。でも、かっこ悪いとは思えない。浅草だと芸人さんだなってなるし、他の街だと狂ってるってなっちゃう(笑)。そういうのが許されるのはいいですよね、街の特性として。多様性が基本的にあるから。

必要なのは、「刺激」と「混沌」。

―お二人は今も頻繁に歌舞伎町に来られてるんですか?

廣木:僕は映画を観に来るくらいですね。

いとう:僕も映画を観に行く時に。でも、いまは錦糸町で観るのも好きですね。錦糸町の映画館って、映画に興味無さそうなおじさんおばさんが普通にいて、なぜか登場人物のなかでも悪者側に感情移入するんですよ。だから悪者が捕まると「あ~…」って落胆の声が聞こえてくる(笑)。

一同:(笑)。

いとう:『バットマン』観たほうが良いんじゃない!?って(笑)。でも、それがすごく素敵だなと思っちゃって。錦糸町、昔の歌舞伎町のように夜もすごく怖くて、「ここの裏道入ったらどうなるんだ!?」「死ぬかもしれない!」みたいなスリルがある。

廣木:でも、街のおもしろさってそこにありますよね。やっぱり刺激が無いと。ぬるいところに行ってもしょうがない。

いとう:おしゃれな洋服屋が看板も出さずに営業していたりとか。

―歌舞伎町にも、ラブホテルの入り口を抜けた先にある「THE FOUR-EYED(ザ フォーアイド)」という個性的なセレクトショップがありますよね。

いとう:え、そんな店があるんだ! やっぱり、ただ単におしゃれな店ばかり並んでいても、結局六本木には負けるんです。けど、混沌とした場所のなかにそういうショップがあるだけで、ものすごく際立つ。大事なのはそういう状況ですよね。

多彩なカルチャーが混ざり合うことで、発展していく。

実家が小田急線沿いだったため幼少期から新宿に馴染みが深かったという、司会の株式会社東京ピストル代表・草彅洋平氏

―歌舞伎町の未来は、こうなったらいいな、ということはありますか?

いとう:僕、好きな街はすぐニューヨーク(以下NY)と重ねて見てしまうんですよ(笑)。新宿の中にNY的な要素を重ねてみると、エンターテイメントはどうなのか、人種性はどうなのかとか、見るポイントはたくさんあるよね。

―新宿の街にNYを置き換えて見るのはおもしろいですね。

いとう:NYっておしゃれなだけじゃなくて、歌舞伎町と同じようにクセ強いやつがいっぱいいるんですよ。だから NYを参考にすると良いヒントが見つかる気がします。NY化計画ですね(笑)。そのためには……ブロードウェイみたいなものが必要だし、質の良いエンターテイメントを集めないといけない。

廣木:花園神社ではよく屋外でテント興行とかもしてますよね。僕らが若い時からずっとやっていて、あれはすごい。

いとう:今、「オフ・オフ・ブロードウェイ」* みたいな劇団がすごく多いんですよね。普通の公民館の会議室みたいな場所でやってるんですが、めっちゃ面白い。劇場の常識が違うから、照明とかもなかったりして。そういう人たちができる箱は、新宿にはきっとたくさんあるはず。ライブとかも、カフェでやる人も多くなってるし、クラブでもできますもんね。このホストクラブにも舞台があるし。そこでこれをやるの!?というものが良い。

*「オフ・オフ・ブロードウェイ」=既成の劇場以外の場所での上演を特徴とする、実験的な演劇革新を実践したアメリカの演劇運動(1960年代)の総称

廣木:いいですね。そこで、インディーズの舞台の人たちが新宿を目指していくようなムーブメントが作れたら。そこからもっと違う文化が生まれてくるような気がする。

いとう:たとえば今芝居って言いましたけど芝居には音楽が必要だし、映像が必要な場合もあるじゃないですか。

―そうですよね。

いとう:みんな結びついてるんですよね。だったら生バンド入れよう、それならいいバンドあるよ、いいDJいるよ、と発展して多彩なカルチャーが繋がってくる。あとは目利きですよね。クセが強いっていう話も最初に出ましたけど、歌舞伎町は、店のマスターのクセが強いからこそ面白い人を呼んでくれる。そういう個性が大事なんですよね、やっぱりエンターテイメントには。

Talk Session Time

ここで一旦、お二人のクロストークは終了。

その後は会場のお客さんも交えて、トークセッションが行われました。

参加者には、ゲストにもっと語って欲しい歌舞伎町のテーマをボードに記載してもらい、お二人に気になるキーワードを選択していただきながら進行していきます

終盤には、こんなハートフル(?)なエピソードも飛び出しました。

お客さん:実は私の長男がホストになってしまいまして。ホストクラブというところが、どういう場所なのか母親として心配で心配で……。

いとう:それで今日来られたんですか!?(笑)

お客さん:はい(笑)。これまでも何度も歌舞伎町をウロウロしてみたんですが……。

いとう:職場には入れないもんね〜。

お客さん:そうなんです。母親参観みたいになるわけにはいかないし、息子に見かけられてはいけないと思って……いつもコソコソ歌舞伎町に侵入しては、トボトボ帰っていくような……そんな自分みたいなお母さまが全国に何人もいると思うんですけども。

一同:(笑)

いとう:そういう方にとっては、こうやって今日みたいに中を開放するのは良いよね。昼のホストクラブね(笑)

お客さん:だから、今日はこうやって町内会の方のお話を聞けたり、文化的な背景を知れて……ああ、良い街だなと。息子はすごく良い街に勤めさせていただいてるんだなあと。

いとう:ああ、それは良かったね(笑)

一同:(拍手&笑)

お客さん:本当に安心しました! その気持ちを伝えたくて。

いとう:いや〜なんか泣かせるわ(笑)。このまま映画にしたいくらいですね、廣木さん(笑)

廣木:母子物語で。『HELLO KABUKICHO』っていうタイトルでね(笑)

―そうして幕を閉じた、第一回目の「HELLO KABUKICHO」。トーク内で出てきた「娯楽のDNA」という言葉にも象徴されるように、長年多彩なカルチャーが街のあちこちで生み出され、提供され続けてきたからこそ、懐の深い不思議な魅力に包まれている歌舞伎町。お二人のトークを通して、そんな街の輪郭が浮き彫りになったような気がします。

 

「HELLO KABUKICHO」では、トークイベントをはじめ、これからもさまざまな企画が開催予定。ぜひ、今後も活動をチェックしてみてください!

参加者の皆さま、ありがとうございました!

ダイジェスト動画も公開中!

▼ 全編ご覧になりたい方はコチラ
https://www.youtube.com/watch?v=6Ausaz-COFw

イベント詳細

トークテーマ:歌舞伎町とわたし
ゲスト:いとうせいこう×廣木隆一
日時:11月17日(日)開場:16:00 開演:16:30
※19:00終了予定
場所:AWAKE
〒160-0021
東京都新宿区歌舞伎町1-2-7 歌舞伎町ダイカンプラザ星座館 B1F

主催:株式会社TSTエンタテイメント・歌舞伎町商店街振興組合

いとうせいこう

1961年生まれ、東京都出身。1988年に小説「ノーライフ・キング」でデビュー。
1999年、「ボタニカル・ライフ」で第15回講談社エッセイ賞受賞、「想像ラジオ」で第35回野間文芸新人賞受賞。執筆活動を続ける一方で、宮沢章夫、竹中直人、シティボーイズらと数多くの舞台をこなす。
音楽活動においては日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、日本語ラップの先駆者の一人である。現在は、ロロロ(クチロロ)、レキシ、DUBFORCE、いとうせいこう is the poetで活動

廣木隆一

1982年に『性虐・女を暴く』で監督デビュー。米サンダンス・インスティテュートに留学し、帰国後に発表した1994年『800TWO LAPRUNNERS』でベルリン国際映画祭、文化庁優秀映画賞、文部大臣芸術選奨新人賞、批評家対象最優秀監督賞を受賞。2003年には『ヴァイブレータ』で一大センセーショナルを巻き起こし、ヨコハマ映画祭では作品賞、監督賞をはじめ、見事5部門を受賞した。人間模様を深みある演出で見事に描き上げ、2015年に歌舞伎町を舞台に『さよなら歌舞伎町』(15)を発表する。近年では『余命一ヶ月の花嫁』(09)、『軽蔑』(11)、『ストロボ・エッジ』(15)、Netflixドラマ『火花』など、話題の作品を数多く手がける。

text:編集部
photo:ムラタマサト