あらゆる価値観が交差する歌舞伎町に集う次世代の才能たちの、過去・現在・未来に迫るインタビューシリーズ「NEXT UP!」。
第8回は、ダンサーのLohacKが登場。自身もダンサーでありながら、「Kabukicho Street Cypher」に企画立案から携わり、そのほかにも「MAYBE」「IGNITE」「02LOCK」といったダンスイベントのオーガナイザーを務める彼は、まだ大学生ながら東京のダンスシーンにおける注目人物だ。そんな彼に幼少期からこれまでの歩み、現在のシーンへ抱く思いや展望について聞いた。
<NEXT UP!的 推しポイント>
- 「Kabukicho Street Cypher」で開花した、オーガナイザーとしての才能
- ダンスカルチャーの価値を社会に認めさせたい──シーンを背負う気概
- 夢はイベント無料化? シーンの課題を見据えた具体的なビジョン

LohacK
愛知県名古屋市出身。2002年10月30日生まれ。2人兄弟の長男。小学1年生のときに友人の誘いで愛知県東海市のダンススクールに通い始め、ヒップホップダンスを始める。小学生時代はサッカーをしており、地区選抜チームに所属していた。中学1年生からはロックダンスとポップダンスを踊るように。ストリートダンスユニット「Hilty & Bosch」の動画を見てロックダンスに魅了される。高校時代は、文化祭で模擬店やクラス展示のリーダーを務める。建築家を目指して法政大学に進学。ダンスサークルに入り、1年生の夏からは先輩に誘われて外部イベントにも出演。ダンスイベントのオーガナイザーやMCなども務めるようになる。「Kabukicho Street Cypher」は企画立案から参加、「MAYBE」「IGNITE」「02LOCK」など精力的にイベントをオーガナイズする。大切にしているのは人とコミュニケーションを取ること。最近ハマっていることは料理。
—Beginning—
シャイな少年が男子校で覚えた社交術?
― 幼少期はどんな子どもでしたか?
ずっとボケーッとしていて、「何を考えているのかわからない」と言われることもある内気な少年でした。忘れ物も多いし、だらしないし、初対面の人には声をかけられないシャイで緊張しいな性格でしたね。でも、人をもてなすのがすごく好きで、小学生のときは友達を呼んで家にある僕のグッズを全部紹介していました。レアなガチャガチャのアイテムやらWiiのゲームセットやら自分のアルバムやら、しつこいくらいに(笑)。
― ダンスを始めたきっかけを教えてください。
小学1年生のときにダンススクールに行ったのが最初です。幼稚園と小学校が一緒だった友達の親がダンススクールに通っていて。その友達本人もレッスンに行き始めるということで、僕を含めて6人くらいが誘われて、一緒に通うようになりました。僕らが住んでいた名古屋市から車で1時間くらいのところに教室があったので、週に1回みんなで大きい車に乗って、小旅行しているみたいでした。当時はダンスが楽しいというよりも、単純に友達と遊んでいる感覚でしたね。小学生の頃はサッカーもやっていて、地区選抜のチームに入って結構頑張っていたんです。なのでダンスは週1の遊びの時間という感覚でした。
― 遊びだったダンスに本気で取り組み始めたのはいつごろですか?
ロックダンスを始めた中学2年生くらいからですね。小学生のころはヒップホップダンスをやっていたのですが、それまでずっとお世話になっていたヒップホップの先生が急にいなくなっちゃって(笑)。代わりにロックダンスとポップダンスを主に踊っている先生がついてくれたんです。Hilty & Boschという2人組のロックダンサーがいて、その方たちがすごく速い曲で音ハメしてバチバチに踊っている動画がすごくかっこよくて、よく真似して踊っていました。ロックはリズミカルでハイテンポで、踊っていてテンションが上がるんです。

― ダンスを始めてからもずっとシャイな性格だったのですか?
中1くらいまではシャイでした。でも、中高一貫の男子校に通っていたなかで、ふざけたノリで遊ぶ友達がだんだん多くなってきて、みんなに認めてもらうにはどうしたらいいのか考えたんです。それで毎日みんなに一発芸を披露するようになって、鍛えられました(笑)。昼休みになると友達のいない他のクラスに行って一発芸して帰る、みたいな。そういうことをしているうちに社交的になっていきましたね。
― 高校卒業後は東京の大学に進学しましたが、東京の大学を選んだのはなぜですか?
小さい頃からブロックで何かをつくるのが好きで、親戚に「建築関係は衣食住の住だし、安定するよ」と言われたのがすごく自分のなかに残っていて。それで高校卒業後は大学を出て建築家になりたいと思っていたんです。名古屋の大学で教えている建築の考え方は僕には合わなさそうだなと思って、東京の大学を探してみたらすごく近代的な建築の考え方や教え方をするところがあったので、受けてみようと。
― ダンスする環境も変わりましたよね。
そうですね。上京して最初のうちは大学のサークルの子たちとずっとダンスしていました。1年生の夏頃から先輩に誘ってもらって外部のイベントに出るようになって、そこから「LohacK」という名前で活動し始めるようになったんですよ。
—Essence—
ダンサーとしてもオーガナイザーとしても「人と繋がりたい」
― なぜ「LohacK」というダンサーネームになったんですか?
僕、本名が「コウキ」っていうんですけど、東京に来て最初にバトルに出たときにコウキ、コウタ、コウタロウとか、同じような名前が多すぎて。このままだと名前を覚えてもらえないし、ダンサーネームがあったほうがかっこいいなと思ったんですよね。それで、ダンススクールの先生に、ダンサーネームをつけてほしいとお願いしたんです。それで「LohacK」という名前になったので、先生が僕のダンサー人生のスタートラインをつくってくれたなと感じています。
― どういう意味が込められているのですか?
ロックの「Lo」に、ダンスの小技を意味する「hack」を組み合わせた名前です。僕は速い曲でわちゃわちゃ踊るのが好きで、先生も僕に対して小技をたくさん繰り出す印象があったみたいで。最後のKが大文字なのは、コウキのKです。めちゃめちゃ考えてくれた末の命名だったみたいなんですけど、最初は「使いづれえ…」ってなりました(笑)。
― え!(笑)
正直、自分に合わないと思ってました(笑)。でも、使っていくにつれてだんだん馴染んできたし、まわりの人からも「LohacK、かっけえ名前じゃん」って感じで浸透していったのが嬉しかったですね。
― 「LohacK」として活動しつつ、今も大学では建築を学ばれているわけですが、今、生活のなかでダンスが占める割合はどれくらいですか?
7割くらいですね。ダンサーとしての活動ももちろんあるのですが、最近はダンスイベントの運営やMCなどの活動もすごく増えてきて。自分のダンスにとって重要なのはコミュニケーションだと思っているのですが、ダンサーとしてもオーガナイザーとしても、「人と繋がりたい」という思いが根底にあります。

― さまざまなイベントに出演したり関わったりするなかで、「Kabukicho Street Cypher」はLohacKさんにとってどんなイベントですか?
僕の人生において重要なイベントです。「Kabukicho Street Cypher」は企画立案から関わらせていただいて、運営とイベント中のMCもやらせてもらっています。当初、歌舞伎町シネシティ広場を観光地にしたい、そしてこの場所をストリートの原点にしたいというお話をいただいて。それに加えて、せっかくだから僕のやりたいイベント像を盛り込もうと思ったんですよね。それで、「ヒップホップミュージックオンリー」とか「ファンクミュージックオンリー」とか、音楽ジャンルでその日のテーマを縛るスタイルでやってみませんか、と提案しました。
参加費が無料なので、ヒップホップが得意な人でもいつもとは違うちょっとテンポ速めの曲で踊っみようかなとか、そういう可能性が引き出されるイベントにしたかったんです。僕自身いろいろな音楽で踊ることが好きで、それによってさまざまな人と出会えました。それを多くの人にも共有したいし、何よりこのイベントに参加した経験が彼らの糧になることでダンスシーンがもっと豊かになっていくと思うんですよね。そういう循環のある空間をつくりたかったんです。あと、僕のオーガナイザーとしての目標を「これにしよう!」って考えさせられたのも「Kabukicho Street Cypher」です。


—Future—
シーンを盛り上げるために、社会人になってもできることを
― LohacKさんのオーガナイザーとしての目標とは?
日本のダンスイベントの参加費を全部無料にすることです。無料というのはつまり、そのイベントが公共的なものになるということに近いというか。ダンスを社会に認められた文化にしたいんですよね。
ダンスって、ストリートから生まれたものだからヤンチャなイメージがあるし、そういう部分は無くなって欲しくないんですけど、同時に人生を良い方向に導いてくれるものだと思っていて。ダンスのそういう側面をもっともっとアピールしたいんです。いろいろな理由でダンスを続けられなくなって辞めてしまった昔のダンス仲間たちが、ネガティブな内容をSNSにアップしてたりすると、彼らがダンスを続けられるような環境を用意できないだろうかと考えてしまうんです。ダンスって人生をめちゃくちゃ明るくしてくれるぜって伝えたいし、僕がイベントを開催することで、みんなが帰ってこられる場所を維持したい。

幸せの基準って、一軒家を持っていて、収入がいくらで、どういう車に乗っていて…みたいな、ステータス的なことばかりじゃないと思っていて。そうじゃなくて、「この音楽を聴いて気持ち良くて幸せ」と思えるような、感情としての幸せをしっかり捉えられる人が増えるといいなと思っています。そのためにはアートやカルチャーを日本にもっと普及させていきたいですし、そのなかで僕ができることのひとつが、気軽に参加できるダンスイベントを根付かせることかなと思っています。
― LohacKさんが主催されている「MAYBE」などのイベントは、どんな特徴を持ったイベントなんですか?
「MAYBE」は勝ち負けがはっきりしていて、順位の付け方がシビアなので、正直、出演するのが辛いという声をもらうこともあります。ただ、シーンを盛り上げるには、目指したいと思えるトップが必要だと思っていて。そういう場所があるからこそ裾野ができて、全体が盛り上がる。今、日本のダンスシーンには、18歳から25歳の若年層でそういう権威のあるイベントが無いんですよ。なので、そういうイベントを育てていって、そこからどんどんシーンを盛り上げていけたらと思っています。
赤字が出ることもざらにあって、その補填のためにバイト代を稼いでいるような状況なので、正直辛いんです(笑)。でもダンサーがダンスだけで食っていけるようにしたいから出演してくれる人たちにもしっかりギャラを払いたいし、もちろん会場費もかかるし。金銭的なサポートを申し出てくれる企業さんもいらっしゃいますが、企業さんの意見に左右される状況は作りたくない。だから、今は「MAYBE」の系列イベントで売り上げが立ちやすいものをいくつかつくってそこで利益を得たり、「MAYBE」優勝者を他のイベントのジャッジにしたりと、自分たちでカルチャーを醸成できるように回しています。
― すばらしい取り組みだと思います。大学卒業後も、ダンスシーンに携わっていくつもりですか?
そうですね。イベント運営やMCの活動は変わらず続けていきたいと思っています。ただ、ダンスシーンを食い扶持にはしたくないんです。あくまで僕がやりたいのは盛り上げることなので、仕事ではないかたちで関わっていきたいですね。なので、一般企業に就職するつもりです。そうやって、ダンス以外の広い世界も知ることで、飾らずにオーラがあるかっこいい大人になりたいです。そのためにはたくさんの経験をして、いろんな人の話を聞いて、いろんな価値観に触れて、自分を表現できるようになっていければと思っています。

文:飯嶋藍子
写真:谷川慶典